おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

カンナ8号線 (20世紀少年 第370回)

 今回のタイトルは、本文と全く関係ありません。遠藤カンナの名は、かつて、神無月生まれ(旧暦十月)だからではないかとの奇説を立てたこともあったが、普通に考えれば、花のカンナに由来するものだろう。「カンナ8号線」は、キリコやフクベエや私が若かったころに流行った松任谷由美の曲名です。

 小さい頃よく遊んだ近所の高校の片隅に、夏になるとカンナが鮮やかな赤い花を咲かせていたものだ。花の中の方を覗くと、ときどきマメコガネがもぐりこんでいて、どうやら蜜でも吸っているらしい。マメコガネは、当時アメリカに移民して大いに繁殖し、米国の商品作物に大打撃を与え、ジャパニーズ・ビートルと呼ばれて恐れられた。可愛い甲虫です。


 第13巻の75ページ目、立ち去ろうとするオッチョに走って追いついたカンナは、「オッチョおじさん、どこ行くの」と、やや非難気味に問いただしている。これに対するオッチョの応えを聴いているうちに、カンナの表情が緊張の度合いを増す。「まだ、何も終わっていないからな。”ともだち”が死んだだけで、何も変わっちゃいない。奴らはまだウィルスを所持している。世界中が奴らにだまされたままだ」。

 こう言い残して歩み出したオッチョにカンナはこう言った。「あたしも行く」。ヨシツネの秘密基地を出ようというのだ。確かに、オッチョにしてもカンナにしても、あの地下の秘密基地で調査・諜報の活動を続けるというのは、あまり似合わない感じがする。


 私は若いころシンディ・ローパーが好きであった。当時のアメリカの人気女性歌手といえば、少し年上のシンディと少し年下のマドンナが代表格だったが、シンディの歌のほうがマドンナよりお洒落だったと思う。LAでカセットを買いに行ったとき、「R」のコーナーにシンディの作品がなかったのでウロウロしていたら、事情を訊きにきた店員が、「L」のコーナーに案内してくれたのを覚えている。いまだに私はL音とR音の区別がつかない。

 シンディの代表曲の一つ、「Girls Just Want to Have Fun」は、娘たちを引き連れて踊る彼女のビデオ・フリップが今も我が家のビデオ・テープに残っている。この曲には「ハイスクールはダンステリア」という奇怪な邦題が付いていたものだ。昨年の大震災以降、彼女が被災地に見せてくれた心遣いを私は忘れない。

 この曲の歌詞に気に入りの一節がある。こんな感じだろうか。「可愛い娘をとっ捕まえて こそこそ隠れて何かやっている奴らもいるが この私は お日様の下を歩き続けるぞ」。I wanna be the one who walks in the sun. 


 しかし、カンナの人生は決して、そのような快調なものではなかった。まず、”ともだち”の家に生まれてしまった。母に連れられ、有無を言わさず(赤ん坊だから仕方ないが)家出させれた挙句、祖母と叔父に押し付けられて母は出奔。ケンヂおじちゃんはとても可愛がってくれたが、間もなく自宅は放火で全焼。

 一家3人はしばらくユキジの祖父が接骨院を開業していた廃屋に身を寄せるが、程なくそこも出て、地下に隠れ住むことになる。爾来3年ほど、カンナは地底人暮らしをしている。廃駅だというから、周囲は真っ暗で、冬はさぞかし寒かったであろう。風呂やトレイはどうしていたのか。


 しかも、おじちゃんは天下のお尋ね者で外出もままならない。カンナは保育所にすら行けず、両親も同年代の子供もいない環境で育てられている。楽しみといえば、おじちゃんとラーメンやカレーを食べることと、一番街商店街などでケンヂの路上ライブを聴くことぐらい。

 地下の自宅も、ケンヂは「秘密基地」と呼んではいるが、ホームレス工法の平屋建てで、どうやら2室。ホームレスのおじさんたちが食事する卓袱台まであって狭い。ケンヂおじちゃんは、なぜかウサギの被り物をして仕事に出かけて、そのままの姿で帰ってくる。


 そんなある日、ケンヂが大男を連れてきた。男は優れた幼児教育家が必ずそうするのと同様、身長差で威圧感を与えないよう、しゃがんで彼女と真っ直ぐ視線を合わせて、「こんにちは」と挨拶を交わした。この先の会話は愛読者の方々にはお馴染みであろう。

 「いくつ」、「みっつ」、「お名前は?」、「カンナ。おじさんは?」、「おじさんか? おじさんはオッチョだ」と珍しく穏やかな顔でショーグンは言った。これが二人の出会い。

 間もなく、カンナはオッチョにとって最後の希望となり、オッチョはカンナにとって返事こそくれないが、なくてはならない文通相手になった。そして折角、教会で再会できたのにオッチョは敵を追ってさっさと去り、お正月に再び会えたと思ったら、今度もまた黙って一人で出て行こうとしている。これではカンナでなくても怒るだろうよ。


 しかも、オッチョの返事は鬼のようで、「おまえはここにいるんだ」とドライアイスみたいに冷たく乾いている。「あたし、知ってるの」と叫んだカンナが語ったのは、母親代わりのユキジにすら知らせていないと思われる鳴浜町での目撃談、「わたしはゴジラ、15万人を踏みつぶした」のメモのこと。

 カンナが語るところによると、殺された15万人のために、償いきれるわけはなくても、償うために一緒に行きたいのだという。「母さんは人殺しなの」と叫ぶカンナの両肩をがっしりつかんだオッチョは彼女を黙らせて、死ぬ直前に山根が彼に語った話をカンナに伝えることになった。


 これを語らずに去ろうとしていたということは、オッチョはカンナが、母と細菌兵器の関係にかかわる情報を得ているとは知らなかったからだろう。だが、知っていた。しかも、中途半端に知っていて、ひどく誤った解釈をしていたのだ。

 できればオッチョとて、ケンヂの姉が”ともだち”に加担して細菌兵器の開発に参加してしまったことなど、もう過去のことになったのだから、伏せたまま墓場まで持っていきたかったに違いないと思う。

 だが、このままではカンナは余りに不幸だし、何をし出すか分からないところは叔父さん似でもある。話さざるを得なくなったのだ。さて、その話の内容に移る前に、次回もう少し、ここでの二人の会話について考えてみたい。



(この稿おわり)





冬のスズメ(2010年2月27日撮影)


オッチョおじさん、高架をくぐる(2012年6月1日撮影)