第11巻に戻ります。第11巻の後半から第12巻の最後にかけては、「20世紀少年」屈指のクライマックスである。2014年、地下活動中のユキジ、秘密基地のヨシツネたち、法王暗殺の阻止を図るカンナは、それぞれバラバラに行動していたが、サダキヨという妙な触媒の作用により合流し、コイズミを仲間に迎え、モンちゃんメモを手にした。
ここから物語は、ヤマネとは誰か、”ともだち”の正体は何かという二つの謎を解明すべく、オッチョと角田氏、春さんとマルオも加えて、しかもそれぞれ連携も取らずに自分なりの方法で真相に迫っていく。このスピーディーな展開、ドラマティックな構成、きっと私に限らず、全編で一番お気に入りという読者も多かろうと思う。
ちなみに、これと比べて「21世紀少年」の最後の謎解きは釈然としないと思う方も多かろうと思う。これについては、これまでも何回か触れたように、私はこの物語をミステリーとは思っていないし(もちろん、ミステリーの要素は含まれています)、そんなにミステリーが好きではないので気にならない。最後に何もかも知っている探偵が出て来て、全てを説明してくれなくても一向に構わない。
最後が盛り上がらないとか、後半だれるというような批判は、長編の読み方としては窮屈すぎる期待から生ずるものであろう。「源氏物語」も「罪と罰」も「ブッダ」も「水滸伝」も「レ・ミゼラブル」も「竜馬がゆく」も、断然、前半部分のほうが面白いと私は思う。それでも最後まで何度も読む。読むたびにどこか違う楽しみが待っているのが優れた長編であり、エンド・ユーザーならではの贅沢というものだ。
さて、年寄りくさい講釈を垂れるのもいい加減にして、第11巻の第11話「ヤマネ君」は、カンナが病院の廃墟で見出したヤマネという名の関係者らしき男の正体を、オッチョと角田氏、ヨシツネとユキジが追い求める話の始まりである。第11話の日付はいつか。大福堂製薬という会社から出た車の中で戸倉という同社の役員が、車中の電話で友民党の誰かと(万丈目だろうな、こういうのは)、お互い御用納めだと語っている。
この日がどうやら大みそかでないことは、このあとで出てくるユキジやカンナやコイズミの会話や服装から見て取れるのだが、詳細は省こう。いずれにしろ、年末のわずか二三日から年明けの元日までの間に、物語は派手に動く。彼らが正体を見極めんとした”ともだち”とヤマネは、ようやく追い詰めた途端に、いくつかの謎を残したまま破滅してしまうので、第12巻もやっぱり大団円とか、衝撃のエンディングなどといった幕切れではない。
戸倉が電話で語る内容は、会話の相手が何を話しているのか分からないだけに、電車内で聞かされる他人の携帯電話のお喋りと同様、不快感が残る。しかも、ろくでもない内容であることは明らかなだけになおさら不愉快であるが、看過できない中身を含んでいる様子なので、しっかり聴いておきます。
電話相手は先述のように友民党で、お互い年末年始は忙しく、その理由は翌年すなわち西暦2015年に、「いろいろありそう」だからだ。戸倉はこう言う。「なんとか間に合いました」、「詳しい報告は、アフリカからスタッフが戻り次第」、「細菌研究所の連中は祝杯をあげていました」、「年明け早々には、何とか」。
この時点で大福堂製薬は、どこまで悪魔の作業を進めていたか。細菌兵器には詳しくないが、たぶん製造工程は、①基礎的な研究開発、②動物実験、③人体実験、④大量生産というハードルを乗り越えていって、最後に同時多発テロに使用するのだろう。”ともだち”の場合は、細菌ないしウィルスに加えて、マッチ・ポンプすなわち自作自演のために、ワクチンも一緒に開発・製造する必要がある。
2000年血の大みそかの場合、1995年には鳴浜町で猿の実験が終わり、おそらくワクチンも町の人を救う程度の開発を終えていたはず。1997年には、第1巻の始まりでお母ちゃんが新聞で読んでいるとおり、アフリカで全身の血がなくなる新しい伝染病が流行ったが、おそらくこれが最初の大規模な実験だったのだろう。
では、2015年の西暦の終わりの場合はどうか。2003年までにヤマネが新型のウィルスの開発に成功したことが後に出てくる。2014年12月28日に、ンドンコ共和国で2000年と同様の感染症が多数の死者を出したというテレビのニュースを、206ページでユキジが観ている。これが、戸倉のいう「何とか間に合った」という出来事だったのだろう。
年明け早々には、大量生産に着手で忙しくなるといったところか。他方、ワクチンの話はまだまだ先のことである。しかし、戸倉の車を待ち受ける罠は、もうすぐ先のことである。
(この稿おわり)
ご近所(2012年4月8日撮影)
鈴蘭(2012年4月8日)