おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

人類を滅亡させる気  (20世紀少年 第373回)

 キリコのマフラーが素敵である。私が子供のころの田舎なら格子縞の襟巻と呼んだだろうが、今ではタートル・ネックのマフラーと言わなければ通じまい。若い人はぜひとも長生きして、こういう不便を分かち合ってほしい。2003年の寒い季節、キリコは富士山麓にある大福堂製薬に山根を訪ねた。第5巻の79ページ目。

 「本当に久しぶりだね」と、山根はキリコとの再会を心から喜んでいる様子である。ここが今の僕の城だとか、昔フラスコ―でコーヒー淹れて一緒に飲んだ話などを嬉々として一方的に語っている。それを遮るように、キリコは「Dr.ヤマネ」と言いかけて、「いえ、山根さん」と呼び直した。もはや同僚の研究者ではないという決別の宣言か。


 ところが山根には通じない。聞いてほしいことがあるのと語り始めたキリコの話の腰を折り、自分の自慢話を始めている。3か月間、地下の研究室に詰めた結果、何か特別なものが出来上がったらしく、しかもミドリザルの生体実験も終了しているそうだ。よほどのことらしい。

 だが、話す用件があって来たのはキリコのほうなのだ。「カーテンを開けて」とキリコは言った。「外の光を見なきゃいけない」からなのだが、山根は太陽光など研究の邪魔で、今は2時だが夜だか昼だか分からないそうだし、外の世界に興味もないようだ。キリコはカーテンを強引に開けようとするのだが、リモコンでしか開かないと山根に言われてしまう。全く会話が成り立たない。


 この後の話の展開からして、山根は本当に血の大みそかのテロは、キリコの弟がやったことだと信じているらしい。それに、「君がそれのワクチンをつくるんだ」と言っているから、キリコが”ともだち”や夫の真相を知って失踪したことすら知らなかったか、信じていなかったのではないか。究極の専門馬鹿であろう。

 ちなみに、山根と戸倉は鳴浜病院閉鎖後に大福堂製薬のヘッドハンティングを受けたそうだから、1995年から97年の間ごろに、この研究棟に入ったのだろう。キリコは96年ごろにカンナを身ごもっているはずだから、妊婦の身の上で細菌実験に参加するとも思えず、同じころに研究から離れたはずだ。久しぶりとは、六七年ぶりのことであろうか。


 キリコは血の大みそかの死者15万人の命の重みを訴えようとしているが、それよりこれを見てくれと山根が出してきた資料を、思わずプロフェッショナルの目で読んでしまった。「あなたは、なんてものを、つくりあげたの」というキリコの驚愕の表情が怖い。のちに出てくる夫の裏の顔を知ったときも、「あの子はだれ?」と言うときも、キリコの驚く顔が私には怖い。

 キリコはデータを見て、事態の深刻さを知った。「あなた人類を滅亡させる気?」と問うが、山根はてんで異次元の興奮の中にあり、これに効くウィルスの開発には10年かかるだろうという。ギリギリ、2015年の西暦の終わりに間に合うかどうかの瀬戸際だというのだ。さらに、山根はキリコにウィルスを早く作ってもらって、自分は先に行きたいのだとせがんでいる。


 興味深いのは、山根によると、”ともだち”は、「もうここまでで良い」と言ったそうだ。万博と世界征服はしたくても、人類滅亡まで実行する勇気はなかったのか。ワクチン開発の腕達者としてのキリコがいなくなって恐怖を覚えたか。下手すれば自分も死んじゃうもんね。フクベエの最終目的は、やはり世界大統領なのだろう。反陽子爆弾を使えば必ず自分も死ぬという前提で事を進める男とは、覚悟の度合いが断然、違うな。

 以上の理解が正しいとすると、山根による”ともだち”暗殺事件は、むしろ事態を悪化させた(少なくとも加速させた)と言えるかもしれない。皮肉なもので、山根をそこまで追い込んだのはフクベエ本人ではあるものの、そもそも山根のユダ化に際して、最初に引き金を引いたのは被害者の元妻、この日のキリコであった。「もし、つくれなかったら」と憔悴した顔でキリコは言った。



(この稿おわり)


花のある風景ふたつ(2012年5月14日・16日撮影)