14年もの歳月を費やして、その知力気力体力の限りを尽くし、オッチョが海ほたる刑務所から脱獄したのは、そこらの逃亡者とは異なり、単に束縛から逃れるためだけではなかった。俺たちの最後の希望を守るという崇高な使命がある。
もっとも彼の大脱走は、外形的には至って地味であり、スプーンで穴を掘り、通気口やトンネルを歩き、東京湾を泳ぎ、密漁船に乗せてもらい、ホームレスに身をやつして隠れた。しかし、そのフィナーレは派手なんてもんじゃなかった。
INRIのステンドグラスを全身でぶち破り、鷲は舞い降りた。
カンナはさぞかし驚いたことと思うが、さすがは超能力少女、顔も見えない相手の大きな背中に向かって、「オッチョおじさん?」と正しく見当を付けている。受刑中のオッチョおじさんに宛てて、彼女は何百通もの手紙を書いてきたのだが、ようやく届いた返事は、なんとまあオッチョおじさんご自身だったのだ。
やっぱり正義の味方の登場は、かくのごとく痛快じゃなくちゃいけない。デス・スターに急降下爆撃を仕掛けたルーク・スカイウォーカーの援護射撃にやってきたハン・ソロとチューバッカのように。長坂坡で趙雲子龍と主君の跡継ぎを守るため、曹操の大軍の前に立ちはだかった張飛のように。
この直前、ユキジの「伏せて、カンナ!」という叫び声も間に合わず、鼻ホクロ巡査はカンナの目の前でショットガンの標準を合わせた。しかし、先述のごとく、この男は、銃口を向けたらすぐに撃つべしという鉄則を守らず、「きゅうせいしゅはせいぎのためたちあがるが...」などと、ごたくを並べ始めた。
このため発砲が遅れ、それが蝶野刑事に銃を抜く暇を与えてしまったため、先にそちらを撃たざるを得なくなった(しかも、当たらなかった)。ようやく構え直してカンナに向かった途端に、天からオッチョが降ってきたのだ。しかも、鼻ホクロは知らないだろうが、どうせオッチョとカンナには弾丸は当たらないのだ。
外部からの狙撃で鼻ホクロ巡査が倒れたとき、逃げ出した群衆を一人かきわけてオッチョに近づいてきたのはユキジだった。彼女は涙を浮かべて本当に嬉しそうだが、オッチョは彼女に一瞥をくれただけで、「カンナを頼む」と言い残し、スナイパーを追って出て行ってしまう。
オッチョは身を挺してカンナを庇い鼻ホクロ巡査の前に立ちはだかったとき、「カンナは俺達の最後の希望だ」と宣言している。でも、それでは、ユキジの立場は? 第10巻の冒頭で角田氏がショーグンに問うている。「会えたんですね? さっき、向かいの教会で、”最後の希望に”...。」
これに対して、オッチョはカンナとユキジの二人を思い浮かべたうえで、戦友の漫画家に「ああ」と答えている。張飛も子龍もハン・ソロ船長もそうだったが、正義の味方というのは無愛想でないといけないらしい。さすがのユキジも、男と犬には苦労が絶えないのだ。
でも、本当に良かった。遥かなる絶望の荒野を越えて、オッチョが戦場に還ってきたのだ。
(この稿おわり)
雪の夜(2012年1月23日撮影)