おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

旧交   (20世紀少年 第299回)

 第11巻第4話の「旧交」は、サダキヨとモンちゃんが小学校5年生以来の再会を果たす場面です。不治の病に侵されているモンちゃんは、ユキジが見舞う病院を抜け出してから、しばらく杳として行方が知れなかったが、2002年の夏、当時サダキヨが勤めていた学校に現れた。

 同僚の女性教師にまでサダキヨ先生と呼ばれて、サダキヨは不満そうだな。彼も2014年になると、「前の学校では生徒にサダキヨ先生と呼ばれていたよ」とニヤニヤ自己紹介をするにまで成長したのだが、このころはまだ繊細だったらしい。二音の苗字は読み辛いから仕方がないのだ。サダキヨは、さだまさしと一字違いである。


 サダキヨは物覚えが良い。彼曰く、「僕は小学校五年生の1学期しか、君らの小学校にいなかった」のに、モンちゃんの顔を見ただけで、彼のフルネームと呼び名を思い出している。コイズミに写真を見せたときも、ケンヂたちの顔と名前を覚えていた(もっとも、あの4名はテロリストだから特別か)。関口先生の住所まで覚えていた。この記憶力の良さは、彼の世間の狭さと無縁ではあるまい。

 対するモンちゃんは、前もってサダキヨの名を知っていながら、顔を見てもピンとこなかったらしい。サダキヨは、いつもいじめられていたし、変なお面をかぶっていたし、と妙な慰め方(相手も自分も、なくさめているのだろう)をしている。でも、モンちゃんは覚えている。屋上といえば、サダキヨだということを。だから、サダキヨ先生を屋上に呼び出したのだ。

 
 個人別にみると、その登場頻度の割に、モンちゃんやサダキヨやドンキーに割く文章の量が多いのを、私は自覚しています。取りあえずの理由も分かる。彼らが作中で死ぬからだ。それがどうしたと言われると、今はうまく答えられそうにない。自分も歳をとったからか、震災の影響か。

 屋上におけるサダキヨは、彼にしては珍しく、かなり率直である。モンちゃんに向かって、「あまり元気そうじゃないね」と言っている。確かに、モンちゃんは目がくぼみ、頬がこけている。モノトーンでなければ、きっと顔色はもっと悪く見えるに違いない。モンちゃんは、病気をしてねと軽く受け流して用件に移った。


 モンちゃんの用件とは、そういうあんばいで(病気のこと)、昔のことが懐かしくなり同窓会でもやりたくなったので、名簿作りに協力してくれないかという相談であった。しかし、サダキヨはここでも即座に、「嘘だろ」と言った。5年生の1学期しかいなくて、いじめられていた自分が招かれるはずがないという。

 なぜか、モンちゃんは話題を切りかえて、このシーンの直前に開催された2002年の日韓共同開催のサッカー・ワールドカップに言及し、でも自分達の子供のころは、やっぱり大阪万博だったよなと昔話を始めた。サダキヨは話についてこない。彼にとって楽しい話題ではなかったのだ。

 
 それに、どうしたことかモンちゃんも冴えない。覚えているのは炎天下の行列だけだとか、人類の進歩と調和なんて、そんなもの、あそこにあったかなとか、多分、彼は炎天下の屋上で、進歩も調和もしていない2002年の日本を世界を憂いている。不審げなサダキヨに対して、モンちゃんは「本当の用件」を伝えた。

 いかにも彼らしく単刀直入に、「”ともだち”の正体、教えてくれ」と、モンちゃんは言った。第4話「旧交」と第5話「全身全霊」は、モンちゃんが久々に登場して永遠に去っていく場面であるとともに、”ともだち”の正体究明に向かって、かつての仲間たちと現代娘たちが、それぞれ彼らなりに疾走する急展開の始まりでもある。


 モンちゃんは、いきなりこういう質問をぶつけたところをみると、サダキヨを単なる小学校の同級生とは見ておらず、彼と”ともだち”が何らかの関わりを持っているというところまで、調べ上げていたに違いない。

 そして、サダキヨの反応は鈍く、無言であった。この瞬間に、モンちゃんは辿りつくべきところに、たどり着いたことを知っただろう。そしてこの旧交は、たかが”ともだち”のために、二人の男の人生を暗転させることになる。


(この稿おわり)



ようやく満開(2012年3月18日撮影)