おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

大きなニュース   (20世紀少年 第315回)

 第11巻第7話は「サダキヨの決意」というタイトル。私もコイズミのヴァーチャル・アトラクション以来、長いことサダキヨに付き合ってきたのだが、ここで彼はしばし物語から姿を消すことになる。後半には、少年時代の彼が何度も出てくるだろうからお楽しみ。

 屋上に集まった4人のうち、男二人すなわちサダキヨとヨシツネは、どうにも表情が読めないが、コイズミとカンナはさすが若いだけあって表情豊かに描かれている。特にコイズミは顔つきを見ているだけで十分、楽しい。

 
 112ページ目、男おいどん風のヨシツネと再会したときの、「驚いた」というよりは「何これ」という感じの呆れ顔といい、ヨシツネがサダキヨを覚えていたことを知ってサダキヨの顔をふり仰ぐ顔といい、いかにも彼女らしい。ヨシツネとカンナが再会の喜びを交わすシーンでは、穏やかにほほ笑んでいるのだが、すぐにサダキヨに視線を移す。彼女は心配なのだ。

 カンナはサダキヨに対する不信感を隠さない。一旦、「佐田先生」と言ってから、「サダキヨ」と言い直し(一応、担任なんだけどな)、「あなたは、いったい何なの?」と訊いております。それはそうだ。

 カンナはこの半日で、サダキヨが”ともだち”かもしれないという情報をコイズミから得て、そのコイズミはサダキヨに連れて行かれたし、校長から”ともだち”が自分だと父と教えられた。サダキヨには悪いが、下手をすれば、サダキヨが父ではないか。


 サダキヨの反応はいかにもサダキヨ的に鈍いが、コイズミは俊敏であった。「あたしを助けてくれたのよ。ご馳走してくれたし、マンガみせてくれたしね」と言っている。これがカンナに対してではなくて、サダキヨに言い聞かせているところが嬉しいね。

 彼女は、サダキヨにちゃんと釈明してほしいのだ。ところで、ご馳走してくれたというと、あの状況下で、コイズミはオムライスとシュウマイとグリーン・ピースを食べたのだろうか。引き続いて、ドリーム・ナビゲーターから守ってくれたことも付け加え、「”ともだち”を裏切ってまで...そうよね?」と一番大事なことを、間接的にヨシツネとカンナにも伝えている。


 これには、さすがのカンナの顔色も変わった。サダキヨは、「僕は君らの思っているような人間じゃない」と言っているが、この「君ら」は誰だ? カンナは含まれているのだろうか。それに、彼は「君ら」が、自分のことをどういう人間だと思っていると考えているのだろうか。

 コイズミが語ったことは事実関係のみであり、間違いではない。彼女が強調したかったに違いない「もう”ともだち”側ではなく、こっち側の人になった」ということを、まとめて否定したかったということか。

 念のためか、扉を開く際にサダキヨはもう一度、「僕は君らの思っているような人間じゃない」と叫んでいる。「私はあなたの思ってるような人ではないかもしれない」と坂井泉水は歌った。私の一番好きなZARDの曲、「心を開いて」の一節。メロディーとキーボードの音色が美しい作品である。「ビルの谷間に二人座って、道行く人をただ眺めていた」という歌詞も好きです。
 

 さて、ヨシツネはさすがに大人であり、詳しい話はあとで聴くから一緒にヘリで逃げようというのだが、サダキヨは全然、大人ではなくて、コイズミにモンちゃんメモを渡したと言い置いただけで、階段に続くドアから入って中から鍵を閉めてしまった。カンナがノブを引っ張っても、サダキヨがドアをたたいても開かない。

 扉の向こうでサダキヨはカンナに対し、モンちゃんメモに彼女の母さんの2002年当時の居所が書かれていることを伝え、今は行方が分からないが何かの手がかりになるかもしれないとドア越しに話した。そして、モンちゃんを殺したことをサダキヨとカンナにも教えてしまったのだ。言わなくてもいいのに。けじめの問題か。


 こういうときは、カンナの超能力でドアを開けてしまえばいいと思うのだが、彼女も忙しくて思い至らなかったのだろう。その代りに女子高生たちは、かつて我が国で、天岩戸に天照大神がお隠れあそばしたという災厄があり、その際に用いた作戦に則って、本人に内側から開けさせようと誘いをかけた。

 すなわち、まずはコイズミが「自分が本当の悪者だって気付いたって。後悔してるって。」と代弁して他の二人をなだめようとし、気を取り直したカンナは、モンちゃんが不治の病を抱えていたとユキジから聞いた話を披露する。そして、もう一つ、小学校5年生の屋上で、ケンヂがサダキヨに「ズルはだめだよ」と言われたエピソードも公開。

 この「スプーン曲げズル未遂事件」は、第7話の冒頭にサダキヨの回想も描かれているのだが、珍しくケンヂが会話の中身を覚えていたのに、サダキヨは忘れてしまったらしい。サダキヨは「僕をここから連れてって」と宇宙人に信号を送っている。気の毒に、少年は単に助けてもらいたかったのではなく、もう地球から連れ去ってもらいたかったのだ。


 教え子二人の言葉は、サダキヨの胸にしみたはずだ。しかし、彼はドアを開けることなく、泣きながら階段を降り始める。うれし涙の中でお礼を述べる相手は、自分を覚えてくれた3人の同級生、モンちゃんとヨシツネとヨシツネ。その気持ちは大切だが、コイズミとカンナにも御礼すべきだったと思うよ。

 また、帰りがかけにサダキヨは、”ともだち”の居所を知っているので、「明日、大きなニュースが流れるかもしれない」と言い残して去った。これが「サダキヨの決意」であろう。下まで降りた彼は、「”ともだち”が一番大事にしているメンコ」2枚を人質にとって、包囲網を突破する。あまりの子供じみた戦法に、さすがのドリーム・ナビゲーター一同も手の打ちようがなかったのだろうか。


 前にも触れたが、このメンコは「鉄人28号」と「風のフジ丸」。”ともだち”がメンコ好きだったという証拠は、全編において一切出てこなかったと思う。咄嗟の機転で嘘をついたとしたら、サダキヨもなかなか、やるではないか。”ともだち”が鉄人28号の大ファンであることは随所に出てくるので、こちらを前にして見せた判断も正解。

 ちなみに私の実家では、引っ越しなどで、私の子供のころの品物はほとんど全て親に捨てられてしまったが、なぜかメンコの箱だけは残っている。数百枚はあるだろう。これでも強かったのだ。ある日、近所の子供の母親たちからうちの母に対して、「いくらメンコを買い与えても、おたくの子に奪われてしまう」という強いクレームが来て、以後、メンコ遊びはご法度となった。「ガキのくせにと頬を打たれ、少年の眼が歳を取る」と中島みゆきは歌った。

 
 近所の住民が集まっている。さすがの高須も「行かせなさい」と諦めざるを得なかった。前が壊れた愛車で走り去るサダキヨ。ヘリに乗り込んだコイズミは、大きなニュースとはどういうことかと同乗者に訪ねるのだが、サダキヨもカンナも無言である。蟷螂の斧という諺でも思い出しているのか、カンナは薄明かりが差し始めた都会の景色を見下ろしているばかり。

 翌日のテレビで、小さなニュースが流れた。港区の路上で、乗用車が走行中に突然炎上、車内から中年男性の遺体が見つかったという。どうみても、サダキヨが乗っていた車である。ヨシツネも新聞でこれを読んで、やはり、どうみてもこれはサダキヨだと断言した。私もそう思った。彼が「事故に見せかける」方法に詳しい団体に所属していたことを、つい忘れていたのだ。


(この稿おわり)



説明が必要なほどの年代物を発見(2012年2月25日撮影)


























































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