おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

顔のある少年   (20世紀少年 第290回)

 第10巻の第10話は「顔のある少年」。再び車中の人となったサダキヨとコイズミだが、どこに行くつもりだったのだろう。サダキヨの罪は器物損壊程度では済まず、もはや政治犯であろう。地下に潜伏するほかあるまい。でもコイズミはどうする? 自宅と学校があるが、戻ればワールド送り必定だろう。

 サダキヨは「顔のない少年時代」の辛さをコイズミに語ったのち、「だから僕は誓ったんだ。僕は忘れない。」と語る。教師として受け持った生徒の顔と名前は絶対に忘れない。その子らの中で忘れられてしまう子の顔と名前も僕だけは忘れない。これが、サダキヨが教職を志望した理由だったのだろうか。


 コイズミの出番が来た。彼女の機転と好奇心が、またもやサダキヨを動かすときがきた。「なら、先生も覚えているかも」というのは、サダキヨがただ一人、数年間、年賀状を交わした相手の関口先生のことだ。サダキヨの年賀状人生は、たったのこれだけだったのか。関口先生は、それを処分しなかった。モンちゃんは、それを見せてもらったのだ。

 サダキヨは住所なんか覚えているもんかと言うのだが、「富士見台3の...」という地名が口をついて出る。ところで、その国の最高峰が首都から見えるというのは珍しいそうだが、かつての江戸・東京は、あちこちから富士山が見えた。北斎広重の浮世絵のとおりである。

 
 今でも例えば飯田橋に富士見という地名があるように、都心でも十数か所の富士の名を冠した地名があるらしい。ただし、その中で現在も地面から直接、霊峰富士を遠望できるのは、うちの近所の荒川区西日暮里にある富士見坂のみである。ダミアンが出会った悪魔は、富士山を見に来たのだろうか。間もなく、高層ビルが建つため、富士見坂から富士山は見えなくなるらしい。無念。

 サダキヨが思い出した富士見台という地名は、東京都練馬区に実在する。駅もありますよ。本当に関口先生がここに住んでいたかどうかは知らないが、ともかく、サダキヨとコイズミが訪問すると、お孫さんがいて「じいちゃんなら、いないよ。施設に入ったんだ。老人マンション」と言って、場所を教えてくれた。

 
 もう夜も遅いし、小泉は夕食のオムライスとシュウマイを食べ損ねているはずなのだが、その程度でくじけるような彼女ではない。老人マンションとはよく言ったもので、なかなか立派な建物である。ただし、普通のマンションではなく、第11巻58ページ目に出てくるこの施設の名前は「桃源ホーム」。その下に「東京都特別養護老人ホーム」、「東京都在宅介護支援センター」と看板に書いてある。

 「桃源」とは、陶淵明桃源郷から取ったものだろう。広辞苑には「俗世間を離れた別天地」とある。ネットでみると、この名のついた老人ホームが実に多い。私も親族が介護保険のお世話になっていることもあり、少し勉強しているのだが、在宅介護センターは法改正により、地域包括支援センターに改組されつつある。在宅介護が可能な人のための施設です。


 他方、特別養護老人ホームとは、関係者には「特養」でお馴染みの要介護者の入所施設。地方によっては、大変な順番待ちになっているが、関口先生は無事、入ることができたらしい。入所の条件は、介護保険法に定められた「要介護」であることが最低条件だが、関口先生は一人で歩いたり、多少手元はおぼつかないものの引出を開けたりしているので、身体の問題はそれほど厳しくはないらしい。

 かと言って知性のほうも、サダキヨの顔と名前を覚えていたし、後出するがキリコの記憶も鮮明で、ヨシツネとの電話の会話もしっかり成り立っている。とはいえ、施設の人によれば、見ていないテレビをまた付けっぱなしということらしいので、知力体力全般に、ゆっくりと衰えていらっしゃるといったところか。


 関口先生とせっかくの再会を果たしながら、サダキヨはてんで意気地がなく、先生の反応が当初あまり捗々しくなかったので、さっさと何も言わずに帰ろうとして、コイズミに引き留められる始末。一方の関口先生は、メガネの奥に目が描かれていない状態で、遠い昔の記憶を探っていたのだろう。

 先生は、遠足のとき自分が撮ったという写真を一枚、取り出した。「サダキヨ、それ、お前だろう」と言われたときには、すでにサダキヨは涙をこぼしている。写真の少年は先生に声を掛けられて、肩ごしに振り向いている。イジメに遭って、荒みきってしまったような陰惨な表情ではない。


 生徒が一人しか写っていなかったので、先生は壁に貼り出すのを避け、この写真は本人に直接渡そうとして忘れてしまったのか、もしくはサダキヨの転校があまりに急だったので機会を逸したのだろう。でも、この施設に入ってまで、ちゃんと保管していてくれたのだ。かくて、この先、サダキヨは教職に戻れなくなったものの、子供たちの世話は続けることになる。

 先生とコイズミのおかげで、サダキヨは「顔のある少年」だったことが、本人にも読者にも初めて分かった。意外と表情豊かな、この少年の顔は、物語の後半に何度も登場するのでお楽しみ。ここで一旦、話は高校に居るカンナに戻る。第10巻の表紙絵によると、カンナもコイズミも茶髪で、カンナは金髪に近いな。


(この項おわり)



近所の梅の木。今年は梅の開花が遅れましたね。(2012年3月11日撮影)