おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

顔のない少年   (20世紀少年 第287回)

 第10巻の終盤は、コイズミという聴き手を得たサダキヨの思い出話が延々と続く。孤独な少年時代の回想なので、話がどうしても暗くなるのは仕方がないのだが、まずまずのハッピーエンドで終わるので付き合おう。第9話「顔のない少年」に、関口先生が久々の登場である。

 私の5年生のときの担任の先生も、こうやって遠足の写真を並べて貼って、焼き増しを募ってくれたものである。サダキヨは「僕がちゃんと写っている写真なんでないんだ」とこぼしているが、これは先生を責めているのではなくて自嘲だろう。他の生徒はちゃんとカメラに向かって笑顔を見せているのだ。サダキヨが顔を伏せているのは偶然ではないだろう。


 次に、前回触れた屋上のサダキヨが出て来て交信中。それに続いてイジメの場面。変な色の靴、変な色のランドセル、おまけに変なお面なんかかぶりやがって、という理由による。残酷な言い方になるが、私の子供のころは、ここまで殴る蹴るの乱暴を受けるかどうかはともかくとして、他の子にとって変な恰好をしていると、嘲笑されたり馬鹿にされたりというのは普通のことであった。

 もっとも、イジメているやつらの一人が言う、「そんなに目立ちたいなら死ねよ。死ねば葬式で人が集まるぜ。」というのは、TPOをわきまえた大人が言えばジョークになり得るかもしれないが、子供が子供を蹴りながら言うべき言葉ではない。サダキヨはいずれ、この小僧よりも、おそらくずっと心安らかな臨終を迎えることになるだろう。


 アーメンが理解できないのか、宇宙人は援けに来ない。「間抜けなほどタイミングが悪い」関口先生しか来ない。後にサダキヨは先生に何度か手紙を出していることからすると、これを恨みには思っていなかったらしい。無視、陰口といった陰湿なイジメと比べれば、まだしも小学生程度の暴力行為は心の傷も浅いのだろうか?

 いや、浅いという表現は適切ではないか。ヤン坊マー坊に対するケンヂやヨシツネの怒りのように、恨みはいつまでも続くとしても、真っ当な怒りで済むだけ「まだマシ」といったところか。しかし先生になったサダキヨは、いじめられた子を見下ろしながら涙を流していた。彼が受けたイジメは、肉体的な暴力だけではなかったのだ。


 「友達がほしかったんだ」という彼の回顧に登場するのは、まず、学級委員長のグッチィ君達で、サッカーをやっている。この漫画でサッカーが話題になるのは、このときと第11巻でモンちゃんがサダキヨに語る2002年の日韓共同開催のワールド・カップだけだろうか。

 少年たちの一人が叫ぶ「逆サイ」というのは、今でいう「ファー・サイド」のことです。ちなみに、クロスはセンタリングと言った。センター・フォワードという点取り専門のポジションが花形だった時代のことだ。

 続いては医者になるノブオ君達が作っている学級新聞。座ってガリ版を担当しているのは、1997年のクラス会で、いつも胃腸が悪かったとケンヂに紹介されているコイズミの少年時代だろうか。ノブオは意地悪にも、サダキヨに物を投げつけて追い払っている。ろくな医者にはなるまい。


 しかし、サダキヨが「本当に仲間入りしたかったのは、本当に友達になりたかったのは、あの秘密基地をつくってたケンヂ達だった」のだ。サダキヨの不幸は、彼がこっそり秘密基地を訪れたとき、あいにく同じように仲間入り希望を持ちながら素直に行動できない別の子が先客として基地にいたことだった。

 このときのサダキヨと先客の出会いは、第16巻にフクベエの心象風景とともに再現されている。台詞も動作もそっくりだから、間違いなく同じ出来事である。第16巻は1969年になっており、両者は4年生である。しかし、サダキヨがグッチィやノブオや関口先生と同じクラスだったのは、後に第11巻で本人がモンちゃんに語るところによれば5年生の1学期で、すなわち1970年である。


 時代考証にこだわる多くの読者は、ここで引っかかったに違いない。第11巻では直前の場面がグッチィやノブオと同じ5年生であるはずであり、第16巻は1969年とはっきり書いてあるので4年生。さあ、どうする。この場面で、フクベエはサダキヨの顔を知らない。お面を外させて、「そんな顔してんだ」と言っている。

 ケンヂとマルオとヨシツネとオッチョ、フクベエとサダキヨは、5年生の1学期において関口先生のクラスの同級生である。すでに秘密基地の季節は夏を迎えつつある様子である。まさか、同級生同士で顔を知らないということはあるまい。直前のグッチィたちとの場面とのつながりが悪い(時系列が逆転している)という難点があるが、ここはサダキヨが転入前の4年生と考えた方が、私としては落ち着きます。


 ただし、別の小学校でもサダキヨが基地の近所に住んでいなければ、こういう展開にはなるまい。これについての傍証として、第16巻でサダキヨのお面を借用して外出したフクベエが、サダキヨの元同級生たちに人違いでイジメを受けている。東京なら普通だろうが、学区が隣の学校同士がお互い近距離にあり、二人の家は近所だったと考えればよいかな。

 二人の初対面は、第16巻のほうが先まで続くので、詳しくはそこで述べる。ここでは初めての読者が、この「よげんの書」を見て喜んでいる少年が、どうやら”ともだち”の子供時代ではないかと気づくヒントになっている。そして、1997年から2000年にかけて悪用された「よげんの書」は、このときに盗み見されたのだ。


 サダキヨは、先生に友達ができたと、転校の挨拶状に書いた。折り返し先生から、君にいい友達ができたことを心から嬉しく思うという丁寧な返事が届いたのをサダキヨは忘れていない。だが、本当に良い友達だったのかどうか、サダキヨは疑念を抱き始めている。

 なお、封筒に書かれた先生の返事の宛先、すなわち転校後のサダキヨの住所は途中で切れているが、東京都府中市と書いてあるはずだ。郵便番号183系列も、今もそのまま。せっかく作者・浦沢さんの出身地に引っ越したのであるが、いじめは止まらなかった。


(この稿おわり)



天草の夕暮れ(2012年2月26日)