おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

いじめ   (20世紀少年 第289回)

 第10巻第10話の「顔のある少年」は、関口先生がサダキヨに出した心のこもった年賀状の絵から始まる。昭和四十八年とあるから、サダキヨは中学生だ。ところが、コイズミ相手のサダキヨのおしゃべりは、「中学の時、僕は死んだ」という冴えない表現から始まっている。「いじめはなくなったが、そのかわり誰からも無視された」と言う。

 言葉どおり受け止めれば、サダキヨは、「誰からも無視され」ることを「いじめ」とは違うものだと考えているらしい。確かに、殴る蹴るの壮絶なイジメとは異質なものではあるが、むしろ現代のイジメ問題は、報道で見聞きする限り、肉体的な暴力よりも精神的な迫害のほうが深刻なのではないのだろうか?


 イジメはこの物語の後半に重要なテーマの一つとなるので、あまり楽しい話題ではないが避けて通るのはやめよう。確かにサダキヨや私が子供のころのイジメとは、いじめっ子とか弱い者いじめという言葉から連想されるように、力の強い者が力の弱い者を引っぱたいたり蹴飛ばしたり、大事な物を取り上げたりするのが主であった。そういうことを、私もしたし、されもした。

 乱暴な言い方になるかもしれないが、その程度だからサダキヨは耐えられたし、関口先生も「大丈夫か?」という程度で済ませていたのかもしれない。少なくともサダキヨにとっては、中学生時代の「透明人間」あるいは「いない人間」であった自分の過去のほうが、ずっと辛そうにみえる。単純な暴力の世界から、無視、絶交、村八分といった陰湿なイジメに深刻化したのだ。


 例えば、私は小学校1年生のときに絶交されたことがある。幸い、”ともだち”用語の「絶交」ではなく、交情を絶つという本来の意味での絶交です。今でもよく覚えているのだが、なぜかトイレで隣に立った同級生の小僧に、「俺たちは今日からお前を絶交することに決めた」と宣告されたのである。

 私は驚いて、ボンヤリとしていた覚えがある。驚いた訳は、絶交される理由が思い当たらなかったこともあるが、そもそも、それ以前の問題として、その同級生とは親しくも何ともなく、そいつに絶交されても困らないし、第一、絶交しようにも親交がないのだから絶交できないではないか。いまだに訳がわからん。


 思うに、こういう連中は、無視したり絶交したりする相手が、オロオロしたり泣いたり淋しがったりするのを見て、暗く喜んでいたに違いない。フクベエはそういうタイプか。特に近年よく言われるように、いじめる側にいないと、いじめられる側になってしまうのが怖いという人もいるらしい。ともあれ、絶交の件の結末は全く記憶にない。あまりに私の反応が鈍かったので、張り合いがなかったのだろう。

 それと比べると、私の小学校の同級生が、後年、語ってくれた経験は悲惨なものだった。彼女は幼稚園から小学校まで何回も同じクラスになった幼馴染だったが、6年生のときも同級で、そのクラスの女子たちから陰険な仕打ちを受け続けたらしい。上履きを隠される、文房具を捨てられる、意地悪な内容の手紙やメモを渡される...。


 一番きつかったのは、ある日の朝、「死ね」と書かれた紙切れが机の引き出しの中に入っていて、それを手に取って見たのち、首謀者の娘の一人から、「ねえねえ、読んだ?」と楽しそうに訊かれたときだったそうだ。幼馴染は、いつも穏やかな笑顔を浮かべている育ちの良い穏やかな少女で、一部の男子からの根強い人気を誇っていたが陰でこんな目に遭っていたのだ。

 しかも、私にとってショックだったのは、彼女が名を挙げたイジメのリーダー二人は、明るくて可愛くて勉強もできて、クラスの中心的な存在の女の子たちだったことだ。欠席裁判は宜しくないが、私には幼馴染が嘘を言っているとは、とても思えない。イジメというのは、こういう風にして行われていたのだ。便所での絶交宣言なんて、これと比べたら鼻歌みたいなものだ。


 サダキヨは、マンガ雑誌の「COM」を買うために、わざわざケンヂ達の住む町に電車に乗って出かけたらしい。今はCOMというとドメインしか連想されないだろうが、かつてはサダキヨが語っているように、「火の鳥」などが連載された本格的な雑誌だった。

 このときサダキヨは、その潜在意識において、無視され続けるよりも、殴られたり蹴られたりの方が「まだマシ」だと感じていたのかもしれない。だが、小学校時代のクラスメートはすれ違う彼に気付かない。

 あまつさえ、電話した相手の”ともだち”からは、「君、死んだって噂が流れているよ」と言われてしまう。マルオも聞いて覚えていた、サダキヨ死亡説である。自分はこの世からいなくなっていて、みんなの記憶からも消えていたとサダキヨは語る。しかし、「だから僕は誓ったんだ」と話を継いだところから、ストーリーは新たな展開を迎える。



(この稿おわり)



天草の白梅。私は梅が大好きなのです。(2012年2月26日撮影)