おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

アーメン ソーメン ヒヤソーメン (20世紀少年 第286回)

 「20世紀少年」を読んで驚いたことに、「アーメン ソーメン ヒヤソーメン」という呪文(?)は、1960年代に私や私のご学友どもが勝手に作って使っていたものではなく、サダキヨも知っていたのだ。ネットで調べてみたら、少なからずの人が使っていたらしい。当時のテレビか何かで流行ったのだろうか? それとも、もっと歴史があるのだろうか。

 第11巻でサダキヨを訪ったモンちゃんは、サダキヨの勤める学校の屋上で本人に対し、「サダキヨといえば屋上だ」と語っている。屋上のサダキヨの初出は古く、第3巻の125ページ目に、深夜のマルオの家で「いつも屋上で、宇宙人と交信していたサダキヨ...」とケンヂの回想の中に出てくる。


 もっとも、モンちゃんの「その後、宇宙人との交信はできたかい?」という質問に、サダキヨは首を横に振っているので、正確には「いつも宇宙人と交信しようとしていた」のである。さらに言えば、単に連絡を取りたかっただけではない。

 第10巻第9話「顔のない少年」において、サダキヨがコイズミに語るところによれば、「友達がほしかった。いつか宇宙人がおりてきて、僕の友達になってくれると思ってたんだ」という、切実な願い事があったのである。

 彼も私も、映画や外国のテレビドラマなどで、外国人がお祈りの最後に「アーメン」と言うのを幼いころから知っていたはずだ。サダキヨは宇宙に向けて祈っていたのだ。


 先月(2012年2月)、天草を旅行したときに、大江天主堂の壁に小さな張り紙がしてあり、「アーメンとは、そうあってほしいという意味です」という趣旨のことが書かれていた(ちょっと表現が違ったかもしれない)。広辞苑第六版によると、アーメンはべブライ語で、「まことに」、「たしかに」、後に「かくあれ」の意(以下、略)とある。かくあれ、すなわち、「そうあってほしい」である。

 これに続くソーメンとヒヤソーメンは、単に「メン」で脚韻を踏んだだけの言葉遊びであろう。しかしながら、子供心にも私が不思議に思っていたのは、私の実家では、ソーメンとは冷えている麺だけだったので、なぜソーメンとヒヤソーメンの区別があるのかという謎であった。煮麺を知らなかったのである。


 司馬遼太郎街道をゆく 17 島原・天草の諸道」には、司馬さんが島原で煮麺を食べさせる店を探す場面が出てくる。先月、旅の前にこれを読んで初めて、「製品としての素麺をべつにゆでておいて熱い汁の中に入れる」という食べ方を煮麺ということ、それを「にゅうめん」と読むことを知った。広辞苑にも同様の説明がある。醤油味か味噌味とある。

 素麺は司馬さんによると、奈良町時代に大陸から伝わった唐菓子から発展したらしく、「その源流の地が大和三輪山の三輪町であることはうごかしがたい」と、関西人らしい郷土愛を全面に打ち出して断言なさっておられる。

 関西に住んでいたころ、私は奈良盆地の古墳などが好きで、そこらを歩き回っていたのだが、ある日、偶然この三輪素麺が庭先で干してあるのに出くわしたことがある。あれほど美しい食べ物は見たことがない。


 「街道をゆく 17」によると、素麺はその後、播州や小豆島に伝わった。播磨の素麺といえば「揖保乃糸」です。1990年代のカンボジアに暮らしていたころ、タイからかシンガポールからか、この「揖保乃糸」が首都プノンペンにも流通していて、まことに貴重な日本食であった。暑い国だから、ヒヤソーメンはとても美味しかった。

 島原も素麺の産地として名高いが、司馬さんが訪問したころは冬で、そうとう寒かったらしく、このため煮麺をお求めになられたようである。島原の素麺は、小豆島から入植した人々により伝わったらしい。

 島原や天草は、島原ノ乱と過酷なキリシタン弾圧により、村によっては女子供まで根こそぎ殺された。放置された田畑を耕すべく、各地からの強制的な移民政策が実施された。素麺も、そんな風にして伝わったのだろうか。


 ちなみに、司馬さんにとっては、煮麺は味噌味のはずなのが、島原では醤油味だったと書き残している。しかも、「べつにあたためる」のではなく、島原では「いきなり汁にいれて直に沸騰させる」らしく、地元では「地獄煮」と呼ぶのだと報告されている。凄い名だが、美味しかったそうだ。
 

 ということで、「アーメン ソーメン ヒヤソーメン」におけるヒヤソーメンは、一応、素麺とは完全に一致しないということで、また、全体を七五調に整えるために、付け加えられたものであるというのが、私の推測である。

 サダキヨの願いは叶えられることなく、宇宙人の替りにヘリコプターが降りてきたり、空飛ぶ円盤が墜ちてきたりと大変なのだが、それはまだ先の話である。



(この稿おわり)




大江天主堂の遠景(天草にて、2012年2月26日撮影)





















































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