おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

再会そして別離   (20世紀少年 第314回)

 ケンヂたちが小学校高学年だった1970年前後の週刊少年マガジンは、その連載漫画に「巨人の星」、「あしたのジョー」、「ゲゲゲの鬼太郎」、「天才バカボン」など、今となっては信じがたいほど充実した作品群を抱えていました。

 その中で私の一番のお気に入りは「男おいどん」であった。松本零士作品。小学校では自分のことを、「おれ」の代わりに「おいどん」と言っていました。今でも単行本を全巻、持っている。長くなるので中身までは触れないが、時代設定はその当時のリアル・タイムなので、「20世紀少年」の少年時代のシーンと、ほぼ同じころである。

 主人公の「おいどん」は九州出身で十代後半の大山昇太(おおやま・のぼった)という若者。チビ、短足、ガニマタ、近眼でメガネ、ボサボサの髪という、もてない男子の典型的な特徴を漏れなく兼ね備えていた。


 さて、「20世紀少年」では第9巻の112ページ目に、ヘリコプターから降り立ったヨシツネ隊長の雄姿が描かれているのだが、先に並べ立てた男おいどんの外見的特徴とそっくりそのままであり、ヨシツネには悪いが何度読み返しても連想せざるを得ない。まだ生活様式が洋風に切り替わる途中だったあの時代、こういう容姿の男は、むしろ普通であったと思う。

 ヨシツネが、どこからヘリを調達してきたのか分からない。だが、肝心なのは彼の決意である。ヘリから降りる姿を高須に見られるかもしれないし、友民党があとから調べられたら誰がヘリをチャーターしたか、あっさり知られてしまうだろう。ヨシツネはドリーム・クリーナーの職をなげうって、小泉響子を助けにきたのだ。まあ、彼の責任でこうなったという側面もあるし。


 ここからの場面は、サダキヨとコイズミ、ヨシツネ、カンナの再会のシーンであるとともに、サダキヨとの別離の物語でもある。このうち、サダキヨとコイズミとカンナは、昼に学校で別れたばかりとはいえ、わずか半日の間に、三人三様、いろんな出来事があって大変だったのだ。

 ヨシツネとコイズミが会うのは、しばらく前にドリーム・ランドの部屋の中で別れて以来のことだな。この日の朝、電話で「大至急そっちに向かう」と約束したから来てくれたのだが、「そっち」がここだとは、どうやって分かったのだろう。あるいは高須たちの動向を追跡したか。


 ヨシツネとサダキヨは、5年生の一学期以来だろう。この二人が小学生時代に言葉を交わした形跡はない。だが、ヨシツネは「何となく」と正直に言ってはいるが、サダキヨを覚えていてくれたのだ。小学校時代の二人の性格は比較的、お互い似ている。ヨシツネも親が転勤族だったら、もっとつらい子供時代を過ごしたかもしれない。大人になって、こんな苦労をしなくても済んだかもしれない。

 ヨシツネとカンナは、世紀末の大みそかの夜以来のことである。カンナの嬉しそうなこと。これまで彼女にとってのケンヂおじちゃんの仲間たちは、こんな厳しい親も昨今珍しいと言わざるを得ない母親代わりのユキジ、歌舞伎町教会で奇跡的な再会を果たしたのに「隠れてろ」と命じただけで再び消えてしまったオッチョおじさん、モンちゃんは亡くなり、他は行方不明だった。


 「20世紀物語」には数多くの再会場面が出てくるのだが、いつも笑ったり泣いたり率直に感情を露わにするのがヨシツネのいいところだな。もっとも、カンナと抱き合ったすぐ後で、彼女の近況など尋ねることもなく、「ユキジは元気か?」と訊いているあたり、正直にもほどがあるような気もする。20世紀のヨシツネは妻子ある身ながら、空港や地下でユキジを見るたび顔を赤らめていたものだ。

 そのヨシツネに一緒に逃げるんだと誘われたサダキヨだが、「やらなきゃいけないことがある」と言い残して、立ち去ろうとする。それは具体的には、「カンナに会って、伝えなきゃいけないことがある」のだが、サダキヨはコイズミにモンちゃんメモを手渡しておきながら、全てを伝えてはおらず、できれば一対一で話したい事柄があったらしい。ところがカンナまで屋上に来てしまったので、三人相手に話さなくてはならなくなった。カンナの母親の居所について。


(この稿おわり)




早朝のイカ釣り船。天草沖にて。(2012年2月27日撮影)