おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

隊長としての資質    (20世紀少年 第240回)

 私は第8巻の105ページ目の下段に出てくる、両腕を挙げたままで走って逃げるコイズミの絵が好きなのだが、今どきこういう風に走る娘さんというのは、まだいるのだろうか。さて、逃げた先で出くわしたヨシツネのことを、彼女は最初のうち、盗撮ジジイとかエロジジイなどと呼んでいる。

 しかし、ヨシツネがともだちランドの地下を歩きながら「奴ら」を批判したり、迎えた隊員たちに「隊長」と呼ばれたりしているのを見て、「ジジイ」は「おじさん」に格上げになっている。さらに、サラリーマン時代に自殺まで考えた大失敗の思い出話をしながら、車内で眼鏡を外した男の小さな三角形の目を見て、彼女は相手が例のヨシツネではないかと気付く。

 
 秘密基地に入ると、早速、頼んでもいない会員証をもらえたのだが、その写真はどうやら浴場で盗撮されたものの上半分である。彼女はここまで来た当初の目的を思い出してメモリーを返してくれと騒ぐのだが、ヨシツネに「安心しろ、下の部分は切り取って捨てといた」と言われ、さらに会員証を作った隊員と隊長の二人に「たいしたものは写ってなかった」と云い捨てられてしまう。気の毒に。

 地下の部屋にコイズミを導き入れたヨシツネは、かつての戦友たちのポートレイトを眺めながら、僕は隊長の柄ではない、誰かが帰ってきたら譲るという話をする。このあとで、何回もする。一件落着後の国連表彰の場でも、まだ言っていた。ヨシツネには本当に隊長の資質はないのだろうか。


 会田雄次さんの著作の中に(「アーロン収容所」だったか別の本だったか覚えていない)、彼の戦争体験の一つが語られている。軍隊は普段、上下関係が非常に厳しい組織である。しかし、いざ敵と向かい合って、銃撃戦などが始まったら、兵隊は必ずしも上官の命令に従い続けるとは限らないそうだ。その場で自然と最適の指導者が選ばれ、その指揮に従うものだという。

 そういう意味では、確かにヨシツネの指導力や戦闘能力が、いざ戦争というとき頼りになりそうかというと、申し訳ないが少々、心もとない。実際、血の大みそかで彼はほとんど役に立っていない。吐いて、はぐれて、逃げた。だがしかし、銃刀を振りまわすばかりが戦闘部隊の仕事ではない。ヨシツネの隊もこの段階では、どうやら”ともだち”の正体究明が主たる事業内容であるようだ。


 とはいえ、相手が軍事・警察を握っている以上、いつの日か「ドンパチ」の可能性はある。ヨシツネは、今のところは上手くいっていても、それが心配なのかもしれない。それでは、塩野七生さんの知恵をお借りしよう。これまた作品名を忘れて恥ずかしいが、あるエッセイ集の巻頭にあった軍人との会話記録より。

 彼女の話し相手は地中海のどこかの国の士官で、しかも、その時その国は他国と交戦中だった。実戦に身を置く相手に、塩野さんは、どうすれば部下は戦場で喜んで命がけで働いてくれるのだろうかと訊く。記憶では、相手の返事は簡潔であった。普段から自分は全力で、部下のことを考え、面倒をみている。そうすれば戦場で、彼らは自分のために死んでくれる。


 第11巻の199ページ、隊員たちのために、おせち料理を作っているユキジと、それをつまみ食いして叱られているヨシツネが出てくる。ヨシツネによると隊員たちは、2000年血の大みそかの孤児で、年末年始も帰るところがない。

 すでに秘密基地が五つほどあるくらいだから、ヨシツネの秘密事業は昨日今日に始まったものではあるまい。五年十年の歴史があるはずで、その間、ヨシツネは身元が判明したら命が危ない「ともだちランド」のドリーム・クリーナーの仕事などをしながら、孤児だった隊員たちを食わせてきたに違いないと思う。


 そうであれば、いざ戦いが始まったとき、隊員たちは誰のために死ぬだろうか。隊長と名がつけば誰でも良いというものではあるまい。答えは明らかである。それがわからない20世紀少年の仲間ではない。ユキジもマルオもオッチョも、この先、ヨシツネたちとは付かず離れずの活動に入るが、決してヨシツネの地位や名誉を侵害するような馬鹿な真似はしていない。

 ヨシツネの資質と実績に対する正当な評価は、後年、ケンヂが「21世紀少年」の上巻において、国連軍のプロファイラーが語ったヨシツネの功績に関する見解に同意しつつ、無造作に言い放った次の一言に尽きる。「その通り。よく、わかってんじゃん」。


(この稿おわり)



昼の月は白い。(2012年1月4日撮影)