おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

歌、歌ってるやつを撃つな (20世紀少年 第582回)

 第18集の112ページ目でケンヂは立ち上がった。左記のごとく私がページに「目」をつけるときは、ページ番号が印刷されていない場合。かつての漫画はページの上下にも左右にも余白が多かった。今は少ない。「20世紀少年」も少ない。だから、単行本を上下や横から見ると、かなり黒っぽい。

 余白を潰してまで絵を拡げる手法を、印刷業界では「裁ち切り」等というのだそうだ。その分だけ絵が大きく描けるわけだから、強調したい場面などに適しているらしい。しかし、余りに断ち切りが多いと言語情報が頼りのこのブログは不便です。いい歳してマンガのページ番号を数えている私。


 立つんだと言われて立ったケンヂは再びギターを奏で始め、グータララのリフレインを唄いながら自分を撃った敵、星巡査に迫り行く。鬼気迫る宇宙人の接近に星巡査は身動きがとれず、冷や汗を流している。「俺は歌を歌ってんだ」とケンヂは2回、星くんに言い聞かせるように述べ、「歌、歌ってるやつを撃つな。」と言った。

 根拠はないだろうが迫力がある。ひざまづいてしまった星巡査であった。勝負あり。ペンは剣より強いそうだが、ギターが拳銃より強いのを目撃した蝶野巡査長は、「すごい」と感激している。「間違いない、遠藤カンナ、君の言ってたのはこの人だ」と彼は確信した。


 それはそのとおりとして、次の「この人こそ救世主だ」という蝶野巡査長の主張はどうだろうか。私の記憶ではカンナがケンヂを「救世主」と呼んだことはないはずだ。地球を守るためとは言っていた。意味は似たようなものともいえる。だが、「きゅうせいしゅ」というのは、なんだか”ともだち”用語みたいで違和感があるな。

 ともあれ、急激にケンヂへの親近感を増した巡査長は、「あなたは遠藤...」と話し掛けたのだが、芹沢司令官の登場で邪魔された。芹沢は「とっとと撃ち殺せ」と拳銃を向け、相変わらず宇宙人だの侵略者だのと言っている。蝶野巡査長は体を張って銃口の前に立った。このときからチョーチョは伝説の刑事への道を歩み始めたと言ってよかろう。


 とりあえず先ほど目にしたばかりの前例にしたがって、「グータララ、スーダララ」を歌い、「歌を歌っている人間を撃つことはできない」と言ってみた。しかし相手の凶暴さとなると、星巡査と芹沢とでは天と地ほどの差がある。不測の出来事が起らなかったら司令官は巡査長を撃っただろう。

 しかし抜群のタイミングで急報をもらたす伝令は来た。北方から大挙して現れた人々がフェンスを破って侵入したという。副官が「宇宙人か?」と訊いているが、伝令の警官によるとヒッピーと自称しているらしい。芹沢はケンヂ一人に時間をかけている場合ではないと判断したらしく、重火器で国境線を守り、村人は一か所に集めておけと指令した。


 だが、村人は姿を消したという凶報が入った。蝶野巡査長がふと気が付くとケンヂもいなくなっている。悪い知らせは重なるものである。村人が「訳の変わらない歌」を歌いながらチョージャ様の屋敷に向かっているという。農民一揆が始まろうとしているのだ。

 ちなみに、125ページ目に出てくるフェンスをなぎ倒して入ってくる人々の絵は、1969年の夏、ウッドストックの音楽祭に乱入して有料のフェスティバルを無料にしてしまった若者たちの姿とそっくりだ。いつだったか話題にしたウッドストックの記録映画にその様子が収録されている。



(この項おわり)



第6話の冒頭、熱唱するケンヂの背景に立つ民家にも、このような形の煙突が描かれている。煮炊きや風呂釜から出る湯気や煙を外に出すためのもので、これではサンタクロースをお招きできないが、雨が降りこんだりゴミが落ちてこないようにできている。 
(2012年12月22日、台東区谷中にて撮影)
























































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