おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

遊ぼ。  (20世紀少年 第247回)

 コイズミのスカートを引っ張って「遊ぼ。」と誘った少年は、それだけ言い置いて背を向け、坂道を駆け上がりながら去ってしまう。取り残されたコイズミも、次いで坂を登っているから、おそらく取りあえず少年が消えたほうに向かったのだろう。

 彼女と同時にボーナス・トラックに送られたはずの他の二人は、別のステージに行ったのだろうか。それぞれに”ともだち”が待っているのか。技術的に、同じ時刻に同じ場所に入れるのは、後にヨシツネとコイズミが実証済み。別行動になるとは、やはり、ボーナス・トラックは修学旅行ではなく、個人が試されるテストなのだろう。


 コイズミが坂の上で見たのは一片の白い雲ではなくて、「なんかイヤラシイもの」、すなわち、新活ニューポルノのポスターであった。そうだなあ、もう街中では見かけないものなあ。早速、隣にある店に訴えるのだが、店番のババは耳が遠いだけなのか、面倒なのか、少し呆けているのか、「酢イカは15円」などとブツブツつぶやくのみ。

 ジジババの店の初出は早く、第1巻でケンヂがドンキーを回想する場面で既に出てくる。これからも何回も出てくるから、ここで詳細に語るのは避けるが、それでも一点、駄菓子屋なのに、店の奥に見えている模型飛行機が嬉しい。タケヒゴと薄紙だけで作り、動力はゴムの復元力。

 私には高価すぎてついに買えず、友達から借りて遊んだだけだが、それでも感激したことを覚えているほど、当時の少年にとって憧れの的であった。これは男の世界であるから、きっとジジが御存命中のころから置かれている商品であろう。


 この店でコイズミは新聞を見つけた。売り物ではあるまい。ババが読んでいたものだろう、どうやら朝日新聞らしい。コイズミは砂埃を上げて走るトラックや(そういえば当時は、田舎ではまだ三輪トラックが走っていた)、菓子屋の商揃えや物価から、どうやら昔の世界に来たと感じたようで、年代を確認せんとしたらしい。

 その新聞の発刊日は「昭和46年(1971年)8月28日」(昭和時代は、西暦より和暦が優先でした)とあり、自分が生まれるより20年以上も前だったので驚いている。こういう彼女の好奇心、観察力、記憶力はこのあとのストーリー展開において、とても重要な役割を果たす。


 ババの新聞の一面トップを飾っているニュースは、ニクソン・ショックによる円切り上げの実質開始という、戦後日本経済史でもトップクラスの大ニュースなのだが、現実の世界でも、実際に1971年8月28日に報道されている。写真ご参照。

 このコイズミが来訪したステージで起きた後述の事件が1971年の出来事だったというのは「ともだちの嘘」で、実際は1970年のことだと後に判明するのだが、ご丁寧に日付けのみならず記事まで入れ替えていたのだ。コイズミほか「来客」が、年号に気がつくかどうかは予想できないはずだが、念入りなことである。


 後ろで声がしてコイズミが振り返ると、4人の少年がアイスクリームを食いながら打ち合わせ中であった。傍で聞いていると、オッチョとかヨシツネとか聞こえてくる。マルオ少年は見るからにマルオの体格。

 そして残る一人の少年が、親に内緒で出てこいとか、モンちゃんやフクベエやケロヨンに声かけようとか、集合は12時で良いかなどと仕切ろうとしては、仕切れないでいる様子を見て、彼女は彼がケンヂであるという結論に至った。

 しかし、「あなた達、ケンヂ一派?」という質問は、当事者の関心を全く引かず、個人を特定して「あなた、ケンヂなのね」と訊き直して、ようやく確認が取れた。さて、4人が話をしていたのは、首吊り坂の屋敷に出る幽霊を見に行くかどうかという重大な相談事であった。オッチョによると、目撃者全員が、女の幽霊を宙に見ている。


 首吊り坂の事件の初出も古い。第1巻のドンキーの通夜で、ケンヂの口から事件名だけだが出ている。ショーグンと角田氏の会話にも出て来た。ケンヂとオッチョは、理科室の夜には参加していないが、何と言っても首吊り坂でヒーローになったのだから、オッチョはもちろんケンヂにも忘れ難い出来事なのだ。

 しかし、現実の世界での首吊り坂の工作に「失敗した」フクベエが、年号を偽るほどのリスクを冒してまで、このハプニングをVAに残した理由とは何か。ヨシツネに攻略法を教わった少年も、おそらくコイズミと同じ経路をたどって、同じような経験をしたはずだが、研修生にテルテル坊主を見せる意義があるのか、あるいは、ほかの目的があったのか不明である。


 後で出てくるが、現実にフクベエを首吊り坂に誘ったのも、VAでコイズミを首吊り坂に誘ったのも、ほかならぬケンヂだった。冒頭のハットリ仮面のような、「遊ぼ。」などという甘ったれた誘い方をするケンヂではないが、たいていの場合、遊びの言いだしっぺや、牽引役はケンヂだった。

 そのケンヂに「遊んでもらえなかった」と勝手に思いこんだ連中は、大人になってもお面をかぶって、ようやく「遊びましょ」と言える程度だった。それでもまだ山根とサダキヨは、「ともだち」フクベエと遊びたいという意思表示を盛んにしている。この二人が遅まきながら立ち直ったのは、それだけの素質があったからだろう。


 また、サダキヨともう一人のナショナル・キッドは、「友達になってくれる?」と言って了解を得ないと、安心して一緒に遊ぶ勇気が湧かないタイプであったらしい。相手の反応はさまざまだった。その反応が、言った本人に与えた影響もさまざまだったろう。その一声さえ言えない時もあったかもしれない。それらはこれから、その都度、考えよう。
 
 ともあれ、コイズミ他が、放っといても首吊り坂に来る保証はない、というか、子供たちの内緒の遊びなのだから、そのままでは来るはずがない。コイズミに限れば、ツアー・ガイドに選ばれたのはケンヂで、秘密基地に迎えに来たし、「遊ぼ」の少年もお面を除けば、服装といい、すぐに走り出すあたりケンヂ的な感じもする。


(この稿おわり)


実際の新聞報道。