おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

夢の博覧会    (20世紀少年 第220回)

 第7巻の62ページ目に、大阪万博のガイドブックらしき冊子の表紙が描かれ、続いて、秘密基地の中で、この本を真ん中に置いて万博旅行の作戦会議を開催中のオッチョ、ケンヂ、マルオ、ヨシツネが出てくる。万博は、これ以降、この物語の極めて重要なテーマになるので、少し丁寧に読もう。

 ガイドブックの表紙には、「これが万国博覧会だ EXPO'70 オールカラー 徹底ガイド」とある。「オールカラー」が泣かせる。それにあのサクラの花をデザインしたロゴも、とても懐かしい。表紙絵には、日本館を差し置いて大阪万博の象徴となった「太陽の塔」と、一組の少年少女が描かれている。少年の持つカメラの外見に、時の流れを感じるな。なお、第16巻では、サダキヨ少年も同じパンフレットを読んでいる。


 秘密基地ではケンヂの威勢が良く、「なんたって月の石だぞ、月の石。あれ見なきゃ万博行った意味ないって」と叫ぶところから始まる。ヨシツネは、自らの未来を予言するがごとく、テレビでは暑さでバタバタ人が倒れているらしいと言うのだが、ケンヂによると「人類の進歩と調和」や「理想の未来都市」のことを「考えただけで涼しくなるね」だそうだ。

 あのころ、至るところに桜の花のデザイン、「進歩と調和」というスローガン、「こんにちは」の歌が溢れていた。ただし私は、「理想の未来都市」というのは記憶に無い。でもオッチョはこれを覚えていたので、タイ人の密漁船の上で、14年ぶりの東京の夜景を「俺達が夢に描いた未来都市」と表したのだろう。


 オッチョ少年はケンヂの与太話を打ち切るかのように、「万博にもう行ってきた大阪の親戚の話だと」という切り出し方で、作戦会議を主導し始める。少年たちは夏服だが、大阪万博は1970年の3月15日から9月13日までの183日間、開催されているので、大阪の親戚は近所の利を活かして、早速、行ってきたのだ。

 なお、この開催期間の情報は、この事業仕訳けの時代によくぞ生き延びているなと応援したくなる組織名なのだが、「独立行政法人 日本万国博覧会記念機構」のサイトを参考にしたものです。知らずに今まで過ごしてきたが、大阪万博は通称に過ぎず、日本万国博覧会が正式名称らしいぞ。入場者数は6400万人。


 以前も書いたように、科学好きな少年は、「生物派」と「機械派」に大別でき、私は前者で(博物派というべきか)、したがって、未来都市というようなものに余り興味が湧かなかった。このため、機械派に違いない浦沢さんと異なり、万博にはほとんど思い入れがなく、大阪にも筑波にも愛知にも行かなかった。

 また、少年たちが夢中になって語っているパビリオンや付属施設の名前も、ほとんど知らない。記憶にあるのは「動く歩道」ぐらいだ。「月の石」が騒動になったのは覚えているが、後年、ワシントンD.C.スミソニアン博物館で本物を見たときも、ドンキーには申し訳ないが、「ただの石じゃないか」という感想しか持てなかった。

 私の実家もドンキー家と同様、貧しくて、しかも大阪に親戚もなく、万博に行こうというような話は家庭内で全く出なかったし、期待した覚えもない。もっとも、誰よりも私を可愛がってくれた新しもの好きな父方の祖父なら、行くぞと言い出したかもしれないけれど、大阪万博会開幕の半年ほど前に、仕事帰りの路上でトラックにはねられて即死した。それはともあれ、長くなったのでドンキーの話題は次にしよう。



(この稿おわり)



ご近所の店。創業は1970年だろうか?
(2011年12月18日撮影)