ヤコブの梯子に導かれて、風の塔から外に出た二人。角田氏は、思わず海と空に向かって「外だ!」と叫ぶのだが、ショーグンに引きずり降ろされてしまう。さすがの漫画家も「何をするんですか」と怒っているのだが、ショーグンは、「外の光は8年ぶりなので俺は直接見られない。」(さすが、ら抜き言葉ではない)と語り、代わりによく見ろと命じている。
8年ぶりということは、ショーグンは8年前に一旦、彼は独房から一般房に戻ったか、あるいは、外が見えるところまでは脱出に成功したか、そのいずれかであろう。14年間ずっと独房という感じの会話が随所にあるから、たぶん後者であろう。かくて、空を見上げた角田氏が見たものは、「ものすごい数のヘリが、僕らの捜索のために」旋回している光景であった。
このあとのやり取りが良い。特にショーグンの返事は、全編で最高の台詞だろう。角田氏は気が付いた。「いや、奴らが捜しているのは、あなただ。あなたは、いったい何をしたんですか?」と尋ねる。ショーグンは愛想のかけらもなく、こう答えた。
「いや、これからやるんだよ」と。
このときショーグンの決意を秘めた顔は、別のアングルから描かれて第7巻の表紙を飾っている。全身、傷跡だらけだ。ケンヂの顔も載っているが、これは2000年血の大みそかに、新宿駅の西口から南口に走ったときの顔だろう。
角田氏は泳ごうと言うが、俺はともかくお前は無理だというのがショーグンの見解であり、ついては賭けに乗れという。賭けとは、東京湾で密漁をしているらしいタイ国籍の漁船に乗りこむというものだった。選んだ船が密漁船でなかったら、タイ人ではなくて中国人だったら、タイ人であっても協力的でなかったら、賭けは負け。ジジババのクジ並みの当籤率ではないだろうか。まさに命賭け。
しかし、二人は強運であった。ショーグンは、決して弱者を見捨てて一人で逃げたりしない。天恵であろう。彼が選んだ「第五蛸八丸」は、助け舟でした。私は「タコのはっちゃん」の名の由来を知らない。今の若い人は「ONE PIECE」しか知らないだろうが、40年以上前からあった言葉である。たこ八郎より古いと思うが...。
漁船の上で「どうやら当たりだ」と語るショーグンの表情、ようやく緊張が和らいでいる。彼はバンコク仕込みのタイ語で、腹ペコだから上手いタイ料理店に載せて行ってくれと頼んだらしいのだが、途中で降ろされて泳ぐ破目になった。密漁者も関わりになるのを恐れたか。しかし漁船をタイ料理店に横付けするのも無理だろうしな。
船上で角田氏に「見てください。東京があんな近くに...。」と声を掛けられて、ショーグンは沿岸の夜景を眺めた。ファン・ゴッホの「星降る夜」では、アルルの街に北斗七星が輝いていたが、ここではビルの灯りが東京湾の海面に映えている。「21世紀の東京か...。俺達が夢に描いた未来都市だぞ。ケンヂ...」とオッチョは言った。
しかし、14年ぶりに上陸した海辺で、彼はまた信じがたいものを見ることになる。夜が明けたが霧が深い。ショーグンの目の前に、おぼろげな姿を現したのは、何とここにあるはずのない「太陽の塔」であった。
彼ほどの男が思わず地に膝をついてしまう。「猿の惑星」のラスト・シーンでは、チャールトン・ヘストンが同じく膝をついて怒り心頭に発しているのだが、ショーグンは力なく笑い声を洩らしながら、目に涙をためている。
メイが殺されても、フクベエが墜落しても、彼は涙を見せなかったのに。人は強い虚脱感に襲われると、失笑したり泣いたりすることがあるのだろうか。それとも、単に脱力しただけではないのだろうか。何せ私は14年間も独房にいたことがないし、脱獄した経験もないので、ここでのショーグンの心境が今ひとつ分からないのが残念です。
(この稿おわり)