おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

太陽の塔     (20世紀少年 第224回)

 今から10年余り前のことだったと思うが、当時在籍していた組織の業務出張で、大阪府の一都市を訪れたことがある。どこかの駅で降りて、目的地のオフィスまで歩きだした私は、目の前に立ちはだかった巨大な建築物を見て、ものすごく驚いた。「太陽の塔」が立っていたのである。

 誰でもこの巨大で奇怪な塔を初めて見たら驚くだろうが、私の場合、少なくともテレビや写真では子供のころ何度も見ていたのにも拘わらず、てっきり大阪市にあったのだと思っていたし、それより何より、まさか今も残っているなどと夢にも思っていなかったのだ。もちろん嬉しい驚きであり、でも残念ながら東京からの日帰り出張中で、立ち寄る時間の余裕はなかった。


 ましてやショーグンの場合、あるはずのない東京で見たのだから、その驚きは察するに余りある。ようやくショックから立ち直ると、角田氏とともに建設中の会場を歩きだした。「あのときのパビリオンと全く同じだ」と言っている。私もこのソ連館のシャープな外見だけは、おぼろげながら覚えている。

 角田氏によると、今回の万博はちっとも盛り上がっておらず、テーマは「在るべき未来都市」だという。1970年の大阪万博で用いた「理想の未来都市」の焼き直しか? しかし、理想とは「こうなるといいな」というものであって、「あるべき」という拘束ではない。ここにあるのは進歩と調和ではなく、退行と硬直であろう。


 それにしても、大阪万博の関係者は、岡本太郎が「太陽の塔」のデザインを提案したとき、よくまあこの容貌怪異な塔をシンボルとして採用したものだと思う。英断と呼ぶべし。残念ながら、ゆるキャラとやらが好きな現代日本の官民には、このような怪物は耐えられまい。

 太陽の塔そのものも、例の独立行政法人日本万国博覧会記念機構という組織も、関係者の愛着のおかげで今日に至るも健在なのかもしれない。さて、その機構のサイトによると、太陽の塔には4つの顔があったらしい。過去形で「あった」というのは、塔の内部に展示されていた「地下の太陽」が行方不明になって、今は3つしかないとのことです。誰だ、持って行ったのは。


 胴体の真ん中にあるのが、「太陽の顔」。太郎さんがテレビのCMで、「グラスの底に顔があってもいいじゃないか」と主張していた、あのシュールなお顔のレリーフである。二つ目は背中に描かれた「黒い太陽」。三つめは塔のてっぺんに据え付けられているたぶん金属製の「黄金の顔」である。

 上記サイトによると、3つの顔は以上の順で、それぞれ「現在」、「未来」、「過去」を象徴しているという。第12巻の冒頭に出てくる春波夫さんの「ハロハロエキスポ音頭」の背景は、「バックに流れる1970年、大阪万国博覧会の映像」と紹介されているように、「黄金の顔」と「黒い太陽」が、10ページ目と18ページ目に描かれている。


 さて、塔に近づいたショーグンが、珍しく慌てて駆けだしたのは、この塔が偽物であることに気付いたからである。未来の象徴である「黄金の顔」に替えて、そこには彼が数十年前にデザインした俺達の仲間の印、その後に”ともだち”に盗用された、あの目玉と左手のマークが飾られていたのだ。

 かつて、万丈目が市原弁護士たちに対して、「あえて言えば、これが名前です」とスプーンの先でコツコツたたいていた「これ」である。誰がこんなことをやろうとしているんだ、とショーグンは怒りの絶叫を放つが、角田氏の答は明快である。「未来」は、”ともだち”の手にあるのか。ちなみに、第15巻196ページ目でオッチョが睨みつけているように「黒い太陽」も”ともだち”模様にされてしまっている。


 ところで、偽の太陽の塔は、2014年の第7巻が初出ではあるものの、時系列では、1997年の第8巻が先である。ケンヂが載った巨大ロボットと、新宿の街中で対峙したモニュメントとして出てくる。すでに見たように、このときは、「黄金の顔」が”ともだち”マークになっているだけではなく、「太陽の顔」も別の「鉄仮面」と仮称しておいた気色の悪い顔に入れ替えられている。

 血の大みそかのモニュメントは、大爆発により破壊されたなら、1997年と2014年との間で塔の部品に違いがあってもそれはそれで良いかもしれない。問題は、第22巻においてカンナが都民を避難させようとする万博会場に立っている、ともだち暦3年における偽の太陽の塔も、1997年の偽物と同様、「太陽の顔」ではなく「鉄仮面」に戻っているのだ。


 第7巻と第22巻の間に、”ともだち”は交代している。第7巻時点の”ともだち”は、「ばんぱくばんざい」のフクベエであった。第22巻時点での”ともだち”は、フクベエのこだわりと、僕のこだわりは違うと明言する別の男になっていた。偽の太陽の塔の変貌はこのことと関係がるのかもしれない。では、1997年には誰がモニュメントをデザインしたのか...? 分からない。



(この稿おわり)


太陽は美しい。自宅にて。
(2011年12月24日撮影)