おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

津波てんでんこ (20世紀少年 第307回)

 大震災と漫画を関連付けてブログを書くなどけしからんと思われる方々は、どうぞお読みにならないでください。そういう考えがあっても否定しません。されど、私は恥ずかしいとも不謹慎だとも思わない。東日本大震災も、「20世紀少年」の読書も、私にとっては大事な出来事なのだ。

 前回も引用した週刊文春の同じ号に、津波被害史研究家の山下文男さんというお方に関する記事も載っている。山下さんは子供のころ昭和八年の三陸津波で被災し、その際に明治二十九年の津波で親族9名を失った父親から、「津波てんでんこ」の大切さを教わったという。今回の震災で私と同様、この言葉を知った人も多いかと思う。


 山下さんご自身、今次の震災の日には一本松が残った陸前高田にある病院に入院中で、病棟を飲み込んだ津波に首まで水に浸かりながら、カーテンにしがみついて生き残った。しかし、病身には辛すぎる衝撃だったのだろうか、昨年暮れに持病でお亡くなりになった。

 生前、山下さんは津波てんでんこに関する本を書き続け、また、語り続けた。昨年4月の文春記者の取材時には、「人助けを美談にしてはいけない。共倒れを防ぐために先人たちが辿りついた悲しい知恵、それが『てんでんこ』なんです」と病床で語ってみえたらしい。


 本来、津波てんでんこは、家族であろうと誰だろうと周囲を省みずに、てんでばらばらに逃げろという最悪の津波被害を避けるための教訓であることは間違いないだろう。そして、今回そうせずに命を落とした人が大勢いらっしゃったようだ。

 しかし、以下は私の個人的な意見なのだが、この言葉は「てんでんこ」に逃げて助かったものの、家族や親友や恋人など大切な人を失った被災者にこそ、かけるべき言葉ではないかと思う。勝手ながら、山下さんもご異論はないかと思う。

 私には想像しようもないが、自分だけ助かったことに対して、彼らはどれほど自分を責め、不幸を嘆き、理不尽な運命に苦しむことだろうか。明治も昭和も平成も、この点で変わりはないが、特に今回の津波は、平日の昼間に襲ってきただけに、親子や夫婦がそれぞれ別の場所にいたというケースが非常に多かったに違いない。てんでんこ逃げるしかなかった。その結果、生き延びた人と、亡くなった人が同じ家族の中に出た。そういう家庭がたくさん出た。


 「20世紀少年」に戻る。第11巻の86ページで、血の大みそかの恐怖をサダキヨに語ったモンちゃんは、そのあとで当夜のケンヂの発言を思い起こしている。「自分の命が危ないと思ったら、一目散に逃げてくれ。頼むからみんな、死なないでくれ」。実際のケンヂの台詞はこれよりもう少し長くて、全文は第5巻に出てくる。

 以前も引用したが、涙を浮かべるカンナに「おじちゃん、絶対戻ってくる」と約束するシーンの直前、ケンヂはダイナマイトを積んだトラックの荷台に腰を下ろして、招集した仲間(ユキジだけは、押しかけ仲間だったが)に、こう語っている。「ムチャはしないでくれ。一般の人を巻き添えにしないように。自分の命が危ないと思ったら、一目散に逃げてくれ。頼むから、みんな死なないでくれ」。


 ケンヂが頼み込んだ「てんでんこ」に、仲間はみな無言である。そして、モンちゃんがサダキヨに語ったように、「そう言った当の本人は、あのロボットに乗り込んで、命をかけて」しまった。

 大爆発が起きたとき、マルオとヨシツネ、モンちゃんとユキジは、それぞれの場所から文字どおり一目散に逃げたのだろうか。そうでもないような気がする。ヨシツネは死にかけた男に烏龍茶をご馳走している。マルオとオッチョは一緒にいたのだが何があったのか...。


 生き延びた彼らにとって、ケンヂのこの言葉は忘れられないものとなった。そして、それは単に、自分だけ生き残ったという無念さや恥ずかしさや悲しみばかりを伴うものではない。むしろ、あるときはモンちゃんのように心の支えとなり、あるときは判断や行動の決め手となった。


 第10巻で、カンナの暴走をたしなめるユキジは、勇気と「ムチャ」は違うと述べた後で、ケンヂの「頼むから、みんな死なないでくれ」を引用している。第12巻では、”ともだち”および春さんとともに自爆しようとしたマルオは、「一般の人を巻き添えにしないように」という忠告を想い起こして、凶行を思いとどまった。

 そして、誰よりも見事に、全身全霊でケンヂの「遺言」を体現したのは、ともだち暦3年に「ともだち府」制圧のため出撃し、無血クーデターを遂行したヨシツネ隊長だろう。かつて、私はこのときのケンヂの発言を、冴えない宣戦布告と書いたような覚えがあるのだが、こうして考え直してみると、彼のこの一言二言が、地球の平和を守ったといっても過言ではないような感じがする。



(この稿おわり)


わが町も平和。猫は路上で何を思う。(2012年3月25日撮影)




今朝の公園にて(2012年4月4日)