おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

赤いバンダナ  (第1068回)

 前回の続きです。レンタル・ビデオ屋という稼業も、すでに古くなりつつあるが、それが発生する前、日本の都市には「名画座」という共通ブランドの映画館があり、金はなくても時間ならあるという映画ファンのために、ときどきフィルムが切れるような古い映画を廉価で上演していたものだ。

 新入社員のころ東京のどこかの名画座で、イタリア映画の特集をやるという情報を雑誌「ぴあ」で入手して出かけた。ほぼ一日かけて四五本観たような覚えがあるが、中でも強く印象に残っているのが「道」と「自転車泥棒」だ。十年分の贅沢を、ただ一日で済ませたような日曜日。戻れたらな。


 第二次大戦で酷い目に遭った日本、イタリア、フランスといった国々が、戦後の白黒映画時代に、あまたの情緒的な作品群を世に問い、今なお高い評価と人気を誇っているのは、単なる偶然ではあるまい。クリス・クリストファーソンアメリカ人のくせに(失礼かな)、至極まともな映画を観ていたらしい。

 フェリーニ監督の「道」も、その名のとおりロード・ムービーである。大男のアンソニー・クインと、小娘ジェルソミーナの物語。フェリーニは「道」に別の意味も託しており、二人の人生の重なりの舞台であるとともに、取り返しのつかない別れの場でもあった。詳しくは書かない。まだの方はぜひ見て下さい。ぜひ。


 この映画を思い出しながら書いたというクリスの詞の中に、「私」が汚れた赤いバンダナから、「my harpoon」を取り出す場面がある。俗語でハモニカのこと。ブルース・ハープだな。「harpoon」の本来の意味は、白鯨やジョーズに出てくるような巨大魚を仕留める銛のことだ。

 もう一つ、「皮下注射器」という意味もある。うちの英和辞典にも出てくるくらいで、当たり前に使われているスラングらしい。確かに、銛と形状は似ている。さて、薬には医薬品にしろ、違法・脱法の麻薬にしろ、アッパーとダウナーに分けられるグループがある。酒などの嗜好品も含まれる。分量次第で、毒にも薬にもなる刺激物だ。


 アッパーは気分がハイになるもの。なにぶん試飲した経験がないので、他の情報源に頼るが、コカインが典型で、カフェインもこれに入る。ダウナーは気分が凹むのではなく、嫌なことを忘れてリラックスできるもの。アヘンやマリファナ、酒や煙草。「飲まないないとやってられねえよ」という世界。恍惚感、多幸感を得ることができる。効いているうちは。鎮静剤、鎮痛剤として使われる。

 戦争に麻薬はつきものだ。本来、鎮静や鎮痛のため使われたモルヒネや日本のヒロポンは、戦後、余って一般人に広まったらしい。これらの効き目を早く得るためには、静脈から脳に直送する手段が効率的で、粉なら鼻から、煙にするならパイプを利用して肺から、そして液体なら皮下注射器で、腕などから注入する、と映画に教わって来た。


 モルヒネを煮絞めたものがヘロインで、普通はこの注射器を使う。ここから先はアメリカ人に聞いた話だが、静脈が浮き出ない人も少なくないため(私もそうだ)、時には止血帯などで血流を止め、血管を浮き出させて注射する。バンダナは、その止血帯がわりに使うことがあったそうだ。

 伝わるところ、ジミ・ヘンドリクスジャニス・ジョプリンも、ダウナーを乱用していたらしい。彼らは薬物でハイになる必要はなく、その逆で、苦手な人には大騒音としか聞こえないであろう演奏中の研ぎ澄まされた精神状態から、普通のレベルに戻って休んだり寝たりするためにダウナーを必要としたのだろうか。ジャニスの死因は、ヘロインのオーヴァー・ドウズだった。

 1960年代、ベトナムの戦場で、あるいは徴兵を待つ身の若者や恋人たちは、このヘロインなどに頼った。アメリカ国内でも、広まったのだ。帰還兵が持ち帰ったのだろう。1969年、平和の祭典ウッドストック・フェスティバルで、「みんな薬、持ってる?」と挨拶代りにステージから声をかけていたジャニスは、その犠牲になった。


 「Bobby」は男女兼用だから、そのまま誰でも歌える。クリス・クリストファーソンが、自作の「Me and Bobby McGee」を、1970年にジャニス・ジョプリンがカバーしたバージョンを初めて聴いたのは、彼女の急死の直後だったと本人は語り残している。ジャニスのプロデューサー、Paul Rothchild から「オフィスに寄って、聴いてやってくれないか」と声をかけられたそうだ。

 ポール・ロスチャイルドがプロデュースしたアルバムは、漫画「20世紀少年」にもジャケットが出てきており、ジャニスの遺作「パール」と、ドアーズの「ハートに火をつけて」が、中村のお兄ちゃんの下宿にあった。その日、クリスはおそらく、いま私が聴いているのと同じカットを耳にしたはずだ。

 夜のLAは治安がものすごく悪く、さすがの私も夜中に一人で、町中を歩いたことは一度もない。聴き終えたクリスは、涙が止まらずLAの街中を歩きさまよい、それでも心痛は癒えず、音楽家としてのスタートを切ったナッシュビルに戻った。気が収まるまで演奏し続け、演奏仲間のキーボードとともに曲を作り、墓碑銘と名付けている。ドラマ仕立て。

 ちょうどジェルソミーナと同じように、ジャニスは音楽を残して遠くにいってしまった。束の間の自由と引き換えにして、失ったものの価値に男が気付いたとき、事態は取り返しのつかないことになっていたのだ。男子って、いつもこうなのね。赤いバンダナ。ジミ・ヘンドリクスのトレード・マークとして知られる。







(おわり)






道 (2016年9月22日撮影)

 





 できるなら 残りの人生を 
 あのころの ただ一日と 
 引き換えにして もどりたい
 隣にすわる ボビーの背を
 この腕でただ 抱くために

 

 I'd trade all of my tomorrows,
 for a single yesterday
 to be holdin' Bobby's body next to mine.


     ”Me And Bobby Mcgee”  
       Kris Kristofferson and Janis Joplin