おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

宇宙の意志     (20世紀少年 第58回)

 チョーさんにとっても、宗教評論家にとっても、市原弁護士にとっても、”ともだち”が主催する団体は、宗教なのかそうでないのか、判断がつかない様子である。

 これまで拙文において何度も引用し比較してきたオウム真理教は、自ら「教」と名乗っていたし、教祖もいたから分かりやすい。だが、こちらは何せ「ともだち」だし、神様も経典も偶像もないようだし、強引な勧誘をしたり、言葉巧みに高額の壺などを売りつけている様子もない。


 少なくとも一般の信者に対しては、せいぜいコンサートを開いたり、TシャツやCDを売ったりしている程度である。表向きは、サークル活動の一般的なイメージそのものである。

 実際、1980年にハットリが万丈目に事業案を持ち込んだ際、ハットリは「サークル活動」を提案しているし(第18巻第10話)、後に妻のキリコにも「サークル」と言っていたようだ(第20巻第5話、第11話)。


 第1巻で、田村マサオがピエール一文字を刺殺し、続いて第2巻でヤマさんがチョーさんを”絶交”している。ここに至って、この団体の上層部は殺人集団であることが明らかになるのだが(ここまではオウムと同じだろう)、では、一般の信者というかサークル会員は、どこまで知ってのことなのだろうか。

 この点で私はもう数回、作品を読んでいたのに、勝手な読み違いをしていた。武道館に集まって騒いでいるような末端の連中は、まさか人殺し団体に参加しているとは考えていないはずだと思い込んでいたのである。


 しかし、第2巻の93ページに、ともだちを前にした参加者たちの一人が挙手して質問しているシーンが出てくるが、彼の発言の中に、「このところ、大勢の宗教家が宇宙の意志により”絶交”されていますが...」とある。周囲も平然と聞いており、目立った反応はない。

 彼らがすでに”ともだち”が「宇宙」の意向を重視しているのを知っていることは、第1巻の198ページでも明らかだし、その「宇宙の意志」による”絶交”という名の、しかし、どうみても宇宙の神秘のようなものに触れた死ではなく、単なる刑事法上の殺人事件であることを知っている様子である。


 1997年、物語の始まったばかりの段階において、すでに”ともだち”の団体は末端の構成員に至るまで自覚的な殺人結社なのだ。さて、先ほどの会員の質問は、「宇宙の意思は、それによって”ともだち”に何をさせようとしているのでしょう」と続く。

 これに対して”ともだち”は、「何をさせようとしている思う?」と質問者に問い返している。その男が「宗教の統一でしょう」と答え、さらに他の者が「僕らは本当に一つの”ともだち”になれるわけだね」と喜んでいる。

 この反応自体は不思議ではない。なぜなら前出の第1巻198ページ目において”ともだち”は「宇宙が、真の”ともだち”選びを始めたのです」と説明しているのだから、それをまともに信じていればそう思うだろう。ところが、この第2巻の場面では、”ともだち”は「違うな」と答えている。本音が出たか、本領発揮か。


 単行本第2巻のカバーと表紙には、第1巻のあらすじが英語で記載されており、私なりに訳してみると、「”ともだち”、すなわち、世界の破壊を企む男は、『宇宙の意思』が『真の』ともだちを選び始めたと語り出す」となっている。第1巻の概要どおりである。

 しかし、第2巻で早くも前言撤回である。ざわめく周囲に対して、94ページ、”ともだち”は夢の実現についての話をする。最初の衝動を持続できたものだけが、夢を実現できると語る。そして彼の夢とは、「世界征服」であると述べて、珍しくニンマリ笑うのです。


 「世界征服」と「人類滅亡計画」は、1972年、第18巻184ページ以降において、「児童A」扱いされて恨みを抱く中学生のフクベエが、万丈目に語った言葉の一部である。ここで彼は「最初の衝動」が「復讐」であると明言している。

 リベンジの相手は、スプーン曲げ騒動でテレビを降板させられた際に、自分を嘘つき呼ばわりし、インチキ呼ばわりし、いじめた奴である。


 そして、「例の計画を実行する」と述べているのだが、もちろん、その「例の計画」のうち「世界征服」の原典は「しんよげんの書」であり、「せかいだいとうりょう」の出現と同義であろう。

 もっとも、後者の「人類滅亡計画」は、私ももう少し整理しないとよく分からないのだ。どの少年がどんな計画を持っていたのか、少しまだ混乱していますので。


 マインド・コントロールというのは、こういう風に少しずつ嫌な色に染めてゆくのが有効な手段なのだろうか? ともあれ、この段階ではまだ初めて読む読者には、ともだち一味は、自分たちに邪魔な人間だけ(邪教などと呼ばれている)を殺しているようにも感じられる。ところが、それがとんでもない誤解であることが間もなくわかる。


(この稿おわり)


噴水で遊ぶ子供たち。夏はこうでなくてはいかん。
(2011年7月25日撮影)


















































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