おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

ホームレス     (20世紀少年 第59回)

 
 ホームレスという英単語が、現在使われている意味で、いつごろ日本に定着したのか良く覚えていない。少なくとも私が未成年のころは浮浪者とかルンペンとか宿なしとか、いろんな表現があったが、ホームレスの語はなかったように思う。

 拙宅にある1981年に印刷された英和辞典に、「homeless」という単語が載ってはいるが、「家のない、飼い主のいない」という形容詞としてのみ説明されており、現在のネット上の辞典にあるような「ホームレスの人たち」という名詞の語義はまだない。


 私自身がこの言葉を知ったのは、1986年から1991年までアメリカで暮らしていた期間中のことである。そのころだけは英語に敏感になっていたので、「ハウスレス」ではなくて「ホームレス」なんだと思った記憶が残っている。

 日本ではマイホームというと、一般に持ち家のことを指す。住宅建築業者も、○○ホームというような名前が多い。だが、本来、家屋を意味する英語は「house」である。漢字では同じ「家」でも、ハウスとは「いえ」のことであり、ホームとは「うち」のことと言っても良かろう。


 本来のホームとは居宅ではなく、家庭があるところ、家族と一緒に住んでいるところであって、すなわち人間関係、社会環境といった概念と関わりを持っている。

 そして、ホームレスとは、英語本来の意味どおり、家族、家庭、故郷から切り離されてしまった人たちのことであって、住居がないという意味ではない。住まいなら、段ボール箱やビニールシートのがある。彼らに決定的に足りないのは建築物ではない。

 そういう意味では、現代日本で社会問題となっている、近所や親戚との付き合いのない一人暮らしや、ネットカフェ難民も、広義のホームレスとも呼ぶべきかもしれない。


 若いころ上野が通勤経路上にあり、ときどき立ち寄ったが、上野公園はホームレスが多かった。今はその近くに住んでいるが、ホームレスは激減している。

 三十代、新宿西口で働いていたが、駅からの通路に大勢のホームレスがいた。こちらは激減どころか、文字どおり一掃された。今は、歩いて一時間ほどの距離にある隅田川の河岸に多い。東野圭吾著「容疑者Xの献身」にも出て来る。

 しかし私はホームレスになった経験はないし、知り合いもいないので、その生活振りは良くわからない。彼らの支援をしている知人に話を聞いたことがある程度だが、その人によるとホームレスも人それぞれで、ささやかな共同体のようなものを作って助け合っている人たちもいれば、本当に一人ぼっちの人もいるそうだ。


 「20世紀少年」に出て来るホームレスたちには良い人が多い。第2巻に出て来る通称「神様」と3人のおじさんたちは、自宅兼コンビニ店を襲われ、やがて地下潜伏を余儀なくされたケンヂの闘争や、彼と家族の生活を支えてくれたのだ。そしてカンナは3歳になるまで、そこで育った。彼らなしでは、血の大みそかは別の展開になっただろう。

 彼らもそういう生活をしている以上、世間的にはホームレスなのだが、彼らには人との繋がりというものがある。ホームにはサッカーなどで使うように、地元、本拠という意味もある。定住地はなくても、住居は粗末でも、かれらにはホームがあるといっても良いかもしれない。さて、神様の話題に移ろう。



(この稿おわり)



荒川区台東区の区境には、昔、音無川という運河(農業用水・生活用水)と、それに沿って王子に至る道があったらしい。現在は京浜東北線がほぼそれと同じルートを辿っている。
(2011年7月25日撮影)
 





































































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