おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

月着陸の日     (20世紀少年 第36回)

 第1巻の124ページに、「1969年7月20日」と珍しく月日まで入っている日付が出ているのは、この日にアポロ11号の月着陸船が、月面に無事、到着したからである。もっとも、アメリカ時間の20日午後遅くになったため、日本時間では翌21日に着陸したことになった。ドンキーは自宅にテレビがなくて、近所だからか頼みやすいからか、ケンヂの家に見せてもらいに来た。

 ケンヂの独白に「夏休みの始まったあの日の夜」とあるのは、この年の7月20日が日曜日だからで(ネットでは、こんな昔の曜日の検索もできるのだな)、さらに当時の土曜日は学校が休みではなかったから、東京では19日が終業式だったのだろう。私の田舎の静岡は23日ごろが終業式と相場が決まっていたので、後述するが21日は学校があった。


 ケンヂの家族はてんで関心がなくて寝てしまうし、最初は夢中になったケンヂも、またヨシツネとマルオも、好奇心はあったものの根性に欠けたようで、翌日は、挫折して寝不足の腫れあがった顔で集まってくる。

 ただ一人、徹夜で着陸の模様を観ていたらしいドンキーのみが、「僕たちも月面に旗を立てよう!」と高らかに宣言する。秘密基地の印だったオッチョ考案のマークは、これをきっかけに旗印になっていく。


 小学生のころの私は、子供向けの「宇宙の図鑑」で星座のページを開きながら、何時間も夜道に立ち続けて、星の名を探し、星座の形を宙に描いて飽きないほどの天文好きであった。

 しかし前回も書いたように、私にとってのアポロ計画は、本当に月面かどうかも分からない場所で(実際に陰謀説もありますな)、アメリカが勝手に星条旗など立てた迷惑行為に過ぎず、全く、興味がなかった。


 このため、私は今でも鮮明に記憶しているのだが、当日ランドセル背負って学校から帰ると、小さな白黒テレビに月面活動の中継だか録画だかが映っていた。

 家族が見入っていたのだが、私は一瞥をくれたのみでランドセルを放り出し、友達と外に遊びに出かけてしまった。今もって全く後悔していない。そのあと何回か続いたアポロの事業にも無関心であった。


 ちなみに、アポロ11号は月まで飛ばす先端部分を大気圏から脱出させるため、数回の噴射を繰り返すブースターという長い装置の付いたサターン5型というロケットで、発射後に用済みになって大西洋かどこかに落ちたこれらは、後に回収・修復されてテキサス州にあるNASAの宇宙基地に戻り、広大な敷地の一画に観光用として展示された。

 20年ほど前、ヒューストンまで旅行に行った私は、その現物を目の前で見ている。それでもアメリカ人のように触ったり、写真に撮ったりする気にならなかった。中学生のころ天体望遠鏡を買って、夏休みの自由研究に月のクレーターを数え上げ、丁寧にスケッチまでしたほど月が好きだった私だが、アポロ計画にはかくも冷淡であった。


 129ページ目でドンキーが叫んでいる「この一歩は小さいが、人類にとっては偉大な躍進だ!」というのは、最初に月面に降り立ったルイ・アームストロング船長の報告なのだが、先輩であるロシアの宇宙飛行士たちが残した「地球は青かった」、「私はカモメ」と比べて何とも味気ない。

 いかにも、気真面目さが取り柄の軍人が、前から用意していた無難な報告文を読み上げただけといった感じの代物で、感激も余韻も詩情もあったものではない。これと比べて、ガガーリンの「地球は青かった」については、石垣りんが「おみやげ」という短い詩を残している。

 近年
 旅からの
 あんな良いお土産はなかった。
 さびしく
 美しく
 光る
 ひとつの言葉。
 「地球は青かった」・・・


 ちなみに、「20世紀少年」の第7巻24ページ目には、今日の時点で(2011年7月10日現在)、史上最後のフライトを実施中のスペース・シャトルか、または、それと似た宇宙船に乗って、日本人初の民間宇宙観光旅行から戻ってきた神様が、取材で感想を求められて、こう答えている。

 「宇宙から見た地球? ふん・・・ まるでボーリングの球のようだった」。このほうがよほど夢と希望に満ちあふれている。


 もう20年ほどまえになるが、ロサンゼルスにいたころ読んだ本の中に、当初の計画では、最初に月面に降りるのはパイロットのバズ・オルドリンの役割だったが(おそらく安全確認や機材搬出の準備などだろう)、それを強引に、職権を使ってアームストロングが奪ったという一節を読んで、うんざりしたことがある。

 出典も忘れたし、本当のことなのかどうかも知らない。だから、ここで船長の人格を誹謗中傷するのは避ける。それでも、その記事を読んだときに、私が反射的に思い出した話くらいは書いておいてもよかろう。小学生のころ読んだ、人類史上初のエベレスト登頂に成功したヒラリーとテンジンの物語だった。

 何はともあれ、アポロ11号の成功が科学技術史上の快挙であることまで否定するつもりもないし、「心優しい ららら 科学の子」(作詞は谷川俊太郎)であるドンキーの喜びと興奮は察して余りある。しかし、月面旅行御一行様は、あいにく2人の現地組だけではなく、もう一人、周回軌道で待機していたコリンズ飛行士もいた。彼のことは次回にしよう。


(この稿おわり)

やっぱり月には草木も生えていなかった。世の中には遠くで観た方が良いものがたくさんある。さて、伊豆半島、伊浜の海と山を結ぶ道。 (2011年5月6日撮影)















































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