おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

伝説のライ魚     (20世紀少年 第31回)

 前回において、「伝説の巨大ライ魚」騒動には、作品の全編を貫く大切なテーマが二つあり、そのうち一つはイジメの問題で、もう一つは「友達の友達の言うことは信じられるか」という問いかけであると述べた。今回は後者の、友達の友達が見た、あるいは、言っているという噂の真偽についてがテーマです。

 そんなの、どうでも良いし、分かりっこないと言ってしまえばそれまでの話であるが、このあと作品中に何回も出て来る「友達の友達」が発信源だという噂の中には、カツマタ君の生死という大事な問題が含まれているため、無視できない話題なのだ。


 ケンヂたちが自転車で向かった先には、「ジャリ穴」という名の、砂利採掘の跡地に雨がたまってできた池がある。夏休みのたびに、「ジャリ穴に子どもだけでいってはいけません」という手紙が学校から配られたらしいが、元気な子供にとって、これは「行け」と言うに等しい。

 この池には、全長2メートルものライ魚が棲んでおり、ケンヂらは英雄になるために、伝説の巨大魚を捕獲しに来たのだ。ここでの少年たちの行動には、それぞれの個性に応じた役割の分担がある。ケンヂは、後に父親が釣好きだったという話が出て来ることからして、彼が持っているちゃんとした浮(うき)がついた釣り竿は、あるいは父から拝借したものか。

 隣でマルオが丸くなって座って、小さな網を握っている。2メートルの魚にこれでは小さすぎるはずだが、小学生時代の私同様、魚を獲る道具は、こういうものしか持っていなかったからだろう。大物相手に、両名のタッグで勝負するつもりらしい。ヨシツネは怖くて見物しており、徒歩でついてきたドンキーを邪険にしている。


 この池の周囲はすり鉢状で、しかも法面が砂利とあっては、原理的にアリ地獄と同じである。これは確かに危険であり、今こういうものを放置して事故があったら、業者と学校は大変な責任追及を受けるだろうが、当時は家族と子供の不運または不注意という時代であった。

 はたしてマルオが斜面で滑り、慌てたケンヂもすべり落ちる。助けを呼びに行こうとしたヨシツネは、動転して自転車ごと転んでしまい(これで二人は助かったと言えなくもないか)、ドンキーが代わりに工事現場の仮設事務所に走って行き、ロープを持って帰ってくる。

 大人が見つからなかった以上、最も適切な判断であろう。建築現場にしろ船舶にしろ命がけの現場にロープは不可欠である。文字どおりの命綱なのだ。ただし、このロープは長さが不足していたが、これまたドンキーの果断な措置により、鼻水タオルで命綱を延長して二人を救う。


 第14巻の最終話において、バーチャル・アトラクションに侵入したカンナは、1971年9月1日にジャリ穴の縁に座りこんでいるドンキー少年と会う。ドンキーは、この穴にライ魚がいるという噂は嘘だと語る。なぜならば、彼はこの穴が干上がったのを何度も見ているからだという。科学的な精神の持ち主なのだ。

 ちなみに、ライギョ広辞苑によると「タイワンドジョウの通称」という程度の、そっけない説明しかないので、ネット情報で補足すると、台湾や中国から来た外来魚であるらしい。最大の特徴は、空気呼吸ができるということだ。干上がった期間がごく短いものであったなら、ドンキーには悪いが、伝説のライ魚は生き延びたかもしれない。


 それはともかく、ドンキーは小学生にして、単なる噂か本当かを実証せんとする近代的知識人の素養を充分、備えている。他方で、ケンヂたちが信じ込んでいるライ魚伝説の根拠は、マルオによるとヨシツネが見たはずであり、ヨシツネによると自分は見ておらず、「吉田の友達の友達が見たんだ」という、極めて信憑性の低い情報源に頼っていることになる。

 ここでは、この物語において、友達の友達が証人なのだという噂話を信じるかどうかは、子供によって判断姿勢が異なるという設定になっていること、また、ドンキーのようにちゃんと調べれば、所詮うわさはうわさであって、根拠もない作り話だったということも有り得る世界である(いずれも、当たり前です)ということを押さえておく。そして、カツマタ君の噂話が直後に出て来る。


(この稿おわり)


江戸城跡の外堀名物、伝説の釣り堀。 (2011年7月2日撮影)





































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