おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

裸足の王者 アベベ     (20世紀少年 第29回)

 今回は脱線します。「20世紀少年」の中身とは、ほとんど全く関係ないです。

 もう20年ぐらい前、私は国際協力の一環である「政府経済援助」(ODA)の実施機関に勤めていたのだが、ある日、世界各国から集まった研修生を歓迎するレセプションがあり、自分の担当地域だったアジアからも研修員が来ていたので、会に招かれて参加した。

 立食のパーティーだったのだが、ふと気が付くと初老の黒人男性が一人離れて立っていたので、応接側の礼儀として話しかけることにした。そのころはアフリカ大陸に行ったことすらなかったので、話題が続くかどうか分かったものではないが、そんなことを気にしている場合ではない。


 ちょっと固い表情のお相手に、まずは「どの国からいらしたのですか」と万能鍵的な質問をしたところ、無愛想な声で「エチオピア」という返事が帰ってきた。この瞬間に日エ両国の親善友好は成り立ったと言ってよい。「私はあなたの国から来た一人の偉大なマラソン・ランナーを知っています」と伝えると、彼はようやく笑顔を見せて一言、「アベベ・ビキラ」と答えた。

 アベベは浦沢さんや私が誕生した1960年に、ローマで開催されたオリンピックに出場したマラソン選手で、何と42キロあまりを裸足で完走し、そして優勝した。次の東京オリンピックでは、ちゃんと靴をはいて甲州街道を疾走、やっぱり優勝した。裸足で自転車と張り合って走るドンキーの姿を見ると、私はアベベを思い出す。


 私の父方の祖父は、建具屋という職人の棟梁で、豪放磊落な明治男であった。伝統的な職人は都市生活者であり、お祭り好き社交好きでお洒落である(母に言わせると「ハイカラ」)。祖父はスポーツも大好きで、オリンピックとなると大騒ぎなのだが、面白いのは日本人選手よりも、強い外国人のファンであった。

 大好きだった祖父と一緒に、東京大会とメキシコ大会をテレビ観戦した子供のころの私が、その影響を受けないはずがない。おかげで、私が応援したのは東洋の魔女でも体操ニッポンでもなく、円谷でも三宅兄弟でも釜本でもなく、アベベであり、ベラ・チャスラフスカであった。今でも私のヒーロー、ヒロインは、この異国のゴールド・メダリスト達である。


 幼稚園から小学校低学年にかけてのころは、暑い季節になると私たちはよく裸足で遊んだものである。もっとも、アスファルトはものすごく熱いので、もっぱら土か芝生の上だったが。遠いご先祖も、ホビットと同じように裸足で大地を歩んでいた、その記憶を足の裏が覚えているに違いない。今でも裸足で歩くのはとても気持ちが良い。

 私の幼稚園では、裸足で歩くことを「アベベ」と呼んでいた。遊び場を裸足で走ってたときに、「おう、今日はアベベじゃん」などと声を掛けられていたことを覚えている。やはり、王者はみんなのヒーローだったのだ。そして、もう一つの論点は「じゃん」についてである。


 私は大人になるまで、「じゃん」という語尾は共通語だと信じて疑わなかった。ところが、この語法が東京に入ってきたのは、それほど大昔ではないという記事だったか論文だったかを読んで、そりゃ驚いたものです。その説によれば「じゃん」発祥の地は、横浜とも静岡とも云われているのだという。

 別に、このことで横浜市民と意地を張り合うつもりもないが、とはいえ、歴史的事実として1960年代半ばには、静岡市内の幼稚園でも「じゃん」は公用語として認知されていたと、この半生を賭して断言する。



(この稿おわり)



薫り高きジャスミンの花。本来は熱帯の植物。
アジスアベバにも咲いているのだろうか。(2011年6月27日撮影)


































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