おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

ちっとも懐かしくないね (20世紀少年 第519回)

 第16集の161ページ目。サナエはようやく話の通じる相手ができて、会話が真剣味を帯びてきた。彼女は「”ともだち”の作ったこの町」について、「ここ、なんなんですか?」と訊き、その答えも待たず、ここが懐かしいという人もいるけれど、「あなたも懐かしいですか、ここ」とオッチョに尋ねている。

 次のページの上段に出てくる「やきとり」、「質流」、「眼科」、「サイダー」の古臭い看板や、中段の軒を連ねた木造の民家の絵は、オッチョは壁を乗り越えてから、このあたりまでたどり着く前に見てきた光景を、彼が思い出しているのだろう。「いや、ちっとも懐かしくないね」とオッチョは言った。


 懐かしいという感覚は、私も歳を重ねるに従って、だんだん分かるようになってはきたが、若い人に説明するのはなかなか難しい。何十年も前に観た映画や写真、久しぶりに聴いた曲などについて、われわれ中高年は「「懐かしい」というのだが、ただ単に古くて、知っているというだけでは駄目で、何らかの良い感情を伴わなくては懐かしいとは言わない。

 したがって、すでに「”ともだち”が作った」と知っただけで、オッチョは嫌悪感しか持てまい。では、仮に第三者が昔の町を再現したのだとしたら、どうだろう。これは人によるかもしれない。実際、サナエの周囲には、懐かしがっている人がいるそうだし。

 もしも、ここに出てくるような家が実際にあって、半世紀も前から家の手入れをして人が住み続けているのであれば、それは懐かしいというより、私には感動ものである。だが、見せ物として(あるいは、サナエの町のように、いわば強制収容所として)、急ごしらえで最近、作られただけだとしたら、幾ら昔、似たような光景があったとしても、単なる贋作です。


 この中段の絵でいえば、向かって一番右の煙突のある家が、比較的わたしの実家の1960年代に似ている。もっとも、うちは平屋だったが。民家に煙突がある理由は(ほかの絵にも何軒が出てくる)、風呂が屋内になり、風呂の鉄釜を新聞紙と薪(まき)で炊くため、もうもうたる煙が出るから、煙突なしだと台所や居間まで煙だらけになってしまうからだ。

 小学校の3年生から4年生ぐらいにかけて、夕方こういう風呂を炊くのが私の夕方の役割であった。薪は休日などに祖父とナタで割って作る。こういう個人的な楽しい記憶があってようやく、この絵も少しは私にとって意味を持つ。団地暮らしだったオッチョには、全く興味がないだろう。


 私とて、仮にどらえもんか誰かが、当時のままで実家を再建してくれると誘われても断る。そこで一緒に住んでいた人たちや、そのころの暮らしぶり抜きで、建物や家具ばかり再現されても、それは単なるレプリカである。ところが、”ともだち”という者は、自分が子供のころの家やら漫画やらを再現するのが大好きなのだ。

 すでに、フクベエがそうであった。ヴァーチャル・アトラクションしかり、ともだち博物館しかり。そもだち博物館の彼の勉強机の脇には、小学校4年生の理科の教科書があった。1968年4月から1969年3月まで用いられたものである。多分そのころが、フクベエの一番幸せな時期だったのだろう。文集に”ゆめ”を書いていた頃だ。1970年は散々な目に遭ったのだから。


 そして、ともだち暦の”ともだち”も、この体たらくである。彼らに共通しているのは、単に懐古趣味で昔を復元しているのではなく、その言動からも明らかなように、いつまでたっても子供のままでいたい連中なのだ。第14集でバーチャル・アトラクションを仮想空間だと知っているヨシツネは、素直に昔のままだと喜んでいたが、オッチョが目にしているものはそうではない。間もなく、オッチョはさらに幼稚な「子供みたいな話」が蔓延している現実を知ることになる。


(この項おわり)




実家の花壇 (2012年10月21日撮影)