おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

三億円事件 (20世紀少年 第847回)

 明日は確定申告で忙しくなりそうなので、今日のうちに書いておこう。3月10日は東京大空襲(1945年)の日です。この日付は私にとって8月15日よりも重い。理由は単純明快。ご近所で大勢の人が亡くなったからだ。死者は約10万人と言われている。早めの春休みで疎開先から東京に戻っていた子供たちの多くも犠牲になった。ご冥福をお祈りします。この次の日付も重い。

 ところでテレビアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」の監督、庵野秀明さんが雑誌の取材で語ったところによると、1954年に公開されたシリーズ最初の映画「ゴジラ」において、この怪獣が上陸して暴れたときのルートは、この東京大空襲の際、アメリカ軍の空襲部隊の飛行経路と同じらしい。よく調べたねえ。

 
 前に書いたと思うが、「ジョーズ」を発表したときにスピルバーグ監督が「巨大な悪を描きたかった」と制作動機を語っていたのを覚えている。当時の私は「漠然とした悪」というイメージしか持たなかったが、その後の彼の作品群からして、おそらく彼にとっての巨悪とはナチスだろう。

 ゴジラの映画が作られたとき、日本は敗戦から十年も経過していない。当時この映画を作ったり観たりした大人は、当然、戦時中の災難や戦後の貧困を身に染みて覚えている世代である。だからこそ最初のうちゴジラは悪役であり恐怖の対象だったのだ。それにしても1960年代の日本は、なぜかあらゆる怪獣や宇宙人の標的にされて大忙しであった。


 ともあれ、ゴジラは子供たちの支持も得たせいか、段々と良い者になり、悪役の座はキングギドラモスラに奪われてしまった。私の知っているゴジラはケンヂの証言にあるように子供がいたり、イヤミのマネをしたりと迫力に欠け始めた。モスラが東京タワーに繭を張った迫力満点のシーンは何時ごろのことだったか。ザ・ピーナッツが応援歌を歌っていたものだ。

 ところで庵野さんは、浦沢さんや私と同じく1960年の生まれである。「20世紀少年」にこれだけの愛着を持ったのに、私はどうしてもエヴァの魅力が分からない。テレビ版も映画版もレンタルして観たのだが、途中で止まったままだ。大変な作品であろうということは雰囲気的に感じるのだが。主人公の年齢や性格によるものかなあ...? エヴァンゲリオンについては別途いつか書いてみたいことがある。


 さて、私が青少年時代を過ごした現実の1960年代から70年代にかけて、言いかえると昭和30年代半ばから20年間ほどは決して良い時代ではなかった。世界中で、日本中で暴力の嵐が吹き荒れていたのだ。戦争や凶悪犯罪だけではない。公害、交通戦争、内ゲバ暴力団の抗争、きりがないほど様々な事件や事故で人が亡くなる時代だったのだ。

 いつか私が批判した「冷戦」の真っ最中である。物心がついたときにはベトナム戦争が始まっており、中学卒業の年まで続いた。7歳のとき中東戦争があり、まことに不思議だったが小さなイスラエルがあっという間に周辺のイスラム大国の連合軍を破った。8歳のときソ連の戦車がチャスラフスカのチェコスロバキアに侵攻するニュースの録画を観て、私は初めて戦争を憎んだ。


 現代の日本人、特に若い世代は将来に不安を覚えている人が多いと統計は語る。彼らにとっては無意味かもしれないが、昔の日本は将来どころか毎日が大変だったのだ。間違いなく、とんでもない格差社会であった。私の周囲も大半は不潔で貧乏で、インフレも薬害も伝染病も差別も凄まじかった。

 今はドメスティック・バイオレンスや子供の虐待が社会問題になっているが、私が子供のころのニュースでは、毎週のように無理心中が報じられ、続いてコイン・ロッカー・ベイビーズの時代が来た。警察の統計によれば、今や凶悪犯罪も交通事故死も激減しているが、社会的弱者の受難は形を変えながら連綿と続いている。


 拙宅は東京都なので警視庁の所轄だ。このため、時々新聞の朝刊に「広報けいしちょう」という折込が入って来る。平仮名ねえ..。警視庁の本部はカスミガセキにあり、桜田門外ノ変は未来の警視庁前で起きている。事件は会議室で起きてるんじゃないと言われてしまったことがある。

 今年1月発行の「広報けいしちょう」第63号によると、本年は警視庁創立140周年だそうで、それを記念して「100の事件で振り返る」という特集が組まれている。チョーさんの職場なのに、どうも全体にノリが軽くないかなー。表紙にはもちろんピーポくんも印刷されている。


 年表を見ると私が生まれた昭和35年は、60年安保闘争と浅沼委員長刺殺事件が載っている。続いていずれも拙宅の近くで起きた昭和37年の三河島列車事故(死者160人)、38年の吉展ちゃん誘拐殺人事件。ここまでは幼すぎて記憶がない。そして、この先は書き上げていくときりがない。

 リストは基本的に事実関係だけの記載だが、警視庁の口惜しさがにじみ出ている言葉がいくつかある。例えば「殉職」、昭和47年の「あさま山荘事件」。また唯一「公開捜査中」とあるのは、世田谷一家殺人事件。さらに「日本犯罪史上最悪の事件」、これは平成7年〜の「オウム真理教事件」。


 そして「未解決」が二か所。昭和43年12月「三億円事件」と、昭和59年の「グリコ・森永事件」。これらはあくまで何らかの形で警視庁が関わったものだけであり、故郷の静岡で起きた金嬉老事件や、あの恐るべき大久保清の犯罪などは含まれていない。

 三億円事件が起きた昭和43年は西暦でいうと1968年。ケンヂたちは3年生で秘密基地はまだなくて、忍者部隊と蛙帝国が白兵戦を展開していたころ。この年、アメリカではロバート・ケネディキング牧師が暗殺されている。飛騨川のバス転落事故、円谷の死。よげんの書でも書きたくなる気分が良く分かる。


 三億円事件に関しては本も多いしネットにも恐ろしく詳細で豊富な情報があふれているので、ここでは細部に触れない。当時の雰囲気だけお伝えすると、とにかく連日、テレビも新聞も大騒動であった。祖父を亡くしたばかりの実家も、これで野次馬的な大騒ぎになった。宝くじの一等賞が1千万円のころである。

 昨今こんな真っ暗な世相でうんざりするようなニュースが続く中、犯罪は犯罪だからほめるわけにはいかないが、三億円事件は暴力沙汰ではなかったため話題にしやすかった。私は当時、夢中になっていたアルセーヌ・ルパンと重ね合わせてテレビに釘付けとなりました。


 現場は浦沢さんの出身地でサダキヨが転校した先の東京都府中市である。私は随分と府中競馬場のお世話になったが(通算で勝っている)、府中刑務所のお世話になったことはない。今もあるその刑務所のそばで事件は起きた。

 簡単に言うと「あっちむいて」と注意をそらしておき、ホイと金をかっぱらった。このため強盗ではなく窃盗となり、警視庁にとって痛いことに時効が早々に成立してしまった。あれだけ物証を残し、一億総探偵みたいな事件だったのに無念の未解決となってしまった。


 刑事事件の時効が来た日、私は高校生でそろそろ深夜のテレビを観はじめた頃。夜中の0時過ぎに開かれた記者会見の実況中継を観た。席上で警視庁の捜査本部の責任者が目を真っ赤にして「こんな日が来るとは夢にも思わなかった」と語った時点で、私はこの事件の見知らぬ犯人をヒーローに祭り上げるのをやめた。

 凶悪犯罪ではなかったが故に、例えば遺族を気遣う必要もなく、その後も繰り返しフィクションやドキュメンタリーに取り上げられている。それはそれで文句は言わないが、このような警察関係者ほか人生を狂わせた人たちもいることだけは忘れないでもらいたい。


 さて、悪ガキに犯人扱いされた遠藤ケンヂは、「三億円も手に入れてりゃ苦労しねーや!」と走り去るイジメっ子たちに向けて叫び、遅ればせながら空中デコピンを放っている。実際、苦労したもんねえ。でも三億円を手に入れていても苦労したと思うよ。金で解決できたなら楽だったが、そういう相手ではなかったのだ。

 ようやく邪魔者を追い払ったケンヂは、文字どおり踏んだり蹴ったりの暴行を受けていた少年に「大丈夫か」と声をかけた。ナショナルキッドのお面は、しばし地面に伏せたまま震えていたが、ようやく上半身だけ起こし先ほど蹴られて痛むらしい左の二の腕を押さえた。ケンヂにとって想定外の会話が始まる。




(この稿おわり)




刑務所の壁(本物)






 Money don't get everything, it's true.
 What it don't get, I can't use.
 Now, get me money. That's what I want.

          Barrett Strong   ”Money (That's What I Want)”  1960


 金で買えないものがある そのとおり
 金で買えないもの 俺には用がない
 さあ、金くれ 欲しいのは金だけ










































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