おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

田辺のばあさんとこ (20世紀少年 第579回)

 第18集の第2話から第7話までは、東京にいるオッチョとカンナの話と、北方にいるケンヂと蝶野巡査長の話が交互に描かれる。ページ順に感想文を書くと、あっちに行ったりこっちに来たりで若干あわただしくなりそうなので、最初にケンヂと蝶野巡査長のストーリーをまとめて追うことにします。

 第2話のタイトル「生き残った二人」は、オッチョとカンナの二人を指しているものと思う。ストーリーは蝶野巡査長の悪夢から始まる。夢に村の人たちが出て来て「グータララ・スーダララ」を唄っている。彼は村人の夜の集会のときには例の曲を聴いた気配がないので、やはり農作業の歌はこの一節だったのだろう。

 
 その歌にかぶさって「ファン、ファン」という警戒音のようなものが響いている。こちらは夢ではなくて現実であった。蝶野巡査長が、神様のごとく悪夢から飛び起きたところ、屋内にある「緊急」という張り紙の上のサイレンが鳴っている。彼は畳の部屋に置かれたベッドで、シャツとパンツという姿で寝ていた様子。部屋の中はやや散らかっているというか、そもそも余り物がなさそうだ。

 カーテンを開いて外を見ると同僚がみんな大騒ぎ。制服を来ながら巡査長は外に出た。上司のような警察官(名前も階級も出てこないので、勝手に副官と呼びます)が、遅いぞ蝶野巡査長と怒っている。蝶野氏はこの日、非番だったので昼間まで寝ていたのだが、副官によれば訓練ではない本物のフォーメーションD、すなわち宇宙人襲来の迎撃態勢が敷かれたのだ。


 襲来どころかすでに侵入していると聞いて、「ゲートを突破されたんですか?」と訊くと、先輩警官は「ああ」と返事をしている。ゲートは見張りの星くんが開けちゃったはずなのだが、現場で情報が混乱している。しかも、その宇宙人は「頭がでかくて手が長いそうだ」という目撃情報まで出た。まるでE.T.だな。実際のケンヂの帽子のサイズはカンナと同じくらいです。

 蝶野巡査長は「は!?」と叫んでいるが相手にされない。ここから先の蝶野巡査長のセリフは、誰かの発言をオーム返しにしつつクエスチョン・マークが付いているものばかりになる。周囲の警察官やケンヂの言うことが彼の常識に照らし合わせて意味不明、理解不可能なことばかりなのだ。


 宇宙人は自分をヤブキ・ジョーと名乗っているという情報だけは正確だな。蝶野巡査長は矢吹丈を知らないらしい。これだから若い人は困る。宇宙人は「ギター状の武器」を携行しているのだそうだ。これは半分あたり。もっとも、これからのケンヂにとって、防弾チョッキのような人殺し用ではないものも武器と呼ぶならば、似たような意味においてギターは武器であるから、鋭い指摘(予言?)なのかもしれない。

 この続きは75ページ目に飛ぶ。ちょうどオッチョとカンナがラジオで聴いているのと同じグータララ節を、村のおじいさんが警官の前でのどかに唄っている。フォーメーションDは肝心の宇宙人が見つからないため、おじいさんまで公務執行妨害などと八つ当たりをされているのだが、ついに宇宙人の乗り物であるバイクが発見された。堂々と駐車してある。


 きさまら宇宙人をかくまっているなと副官が怒鳴っている。彼らの帽子には「ともだちマーク」の徽章がついているが、その宇宙人の旧友が考案したものだと知ったら驚くだろうな。おじいさんは「別にかくまってなんかいねえよ」と一人冷静であり、民家を指さして「田辺のばあさんのとこでよ、メシ食ってるよ」と言った。昼飯の時間かなあ。ポリスが来襲だの侵入だのと盛り上がっている割に、先方は緊張感のかけらもない。

 吹きすさぶ風が村の大地に砂埃をたてている。田辺家はかつてのドンキーの実家のような感じの木造平屋建て。周囲の家々も同様だ。貧しいのである。ケンヂはおそらく白米のご飯を食べなかったに違いない。蝶野巡査長は近接近用のライフルを構えて、田辺のばあさんとこの宇宙人包囲網に加わった。



(この項おわり)



なんてん。静岡だけの風習であろうか、子供のころの実家や先祖代々の墓があるお寺では、便所のそばに南天の樹が植えてあった。

今年もまた、「20世紀少年」に関わりのある人たちが亡くなりました。「また逢う日まで」を歌った尾崎紀世彦さん、アームストロング船長、火星といえばレイ・ブラッドベリ。ご冥福をお祈りします。




























































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