おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

抑止力  (第1941回)

九条で国防はできないと騒ぐ、脳みそが不調な人たちには困ったものです。確かに第九条だけが文書で存在しても、現実にミサイルを飛ばしてくるような国が近くにある以上、必ず国を防げるという保証はない。

かといって、憲法自衛隊を明記すれば防げるというものでもない。仮に国防軍と表現を変えても同じこと。だからそういう騒ぎをしている人たちは、多分、憂さ晴らしの口先だけか、その先の軍需産業その他でそろばん勘定をしているかのどちらかでありましょう。前の戦争もそうだったはずだと思う。


これまで戦後七十年余、世界中で、アジアも含め、戦争は無数にありました。テロリストの掃討を戦争と呼ぶのかどうかわかりませんが、飛び交う凶器は同じもの。それでも日本は近代になって(幕末維新以降)、これほど長い間、戦争と無縁だったことはない。

これからも外交と協調をもって全力で避けていくというのが憲法で誓ったことです。押し付けられたものであろうがなかろうが、良いものは今後改憲をしようと続けていきたい。


ここでいう外交というのは、外務省が行っている狭義の外交にとどまらないのは、言うまでもありません。貿易然り、国際貢献しかり、文化やスポーツの広がりしかり、民間交流しかり。

いわゆる皇室外交も強力です。ほかの国から王族が来ただけで、われわれも好意を抱きます。平等の憲法下で皇族という特殊な存在があることについて、しっかりとその存在意義を位置づけないといけないという堅苦しい意見もありますが、私は反対です。

時代により、皇室を持つ意義や、その役割や有難さや、ときには後嗣問題のような、ややこしさも含めて、なんだかよく分からないが有難そうで、あったほうがどうやら良さそうだぞと思える限り、よくわからないままで時代時代で考えて感じていけばよい。


それでも、外交に限界なり危険なりは常にあります。当面ないとは期待しているものの、世界の歴史は絶え間ない侵略行為の繰り返し。国同士ばかりではありません。この国でもアイヌ琉球とのかかわりというのは、決して綺麗ごとばかりではなかった。今なお彼らは日本人だと公言する者もおりますが、残念ながら、おバカです。つける薬はない。

現政府は、防衛予算を増やし続けたいらしい。一つにはアメリカの押し売りと、国内関連産業のうるおいで経済成長の政権公約を何とかしたいのだろうと思います。しかしながら、そもそも抑止力にも限界がある。


もちろん戦争に限らず、事件事故の防止に抑止力は重要です。しかし、絶対に万能ではない。典型が刑事罰です。ほとんどの人は警察や裁判所や刑務所のご厄介にはなりたくないと考えているという意味において有効ですが、かといって凶悪犯罪が絶えることもない。

国家間の軍事にしても、まず第一に、原理的に抑止力は仮想敵国なりの軍事力より強力なものを自国が持たなければ、相手にとって脅威にはならない。少なくとも、うちと同じくらい凶暴そうだと思ってもらわないと効果がない。現状、どの国に対しても、その優位性を持っていそうなアメリカとて、いつまでもそれを維持出来るかどうか、トラの焦り方を見ていると危ないものです。


先の戦争において、すでにアメリカはイギリスを抜いて世界一の工業国でした。また軍事力も、トップクラス。それと比べて日本は地下資源や食料自給率、人口や国際関係など、重要な要素のどれをとっても劣り、総合的に国力と呼ばれますが、はるかに劣位でした。

それでも1941年(昭和十六年)、この12月8日、日本はアメリカを侵略しました。あそこまで追い詰められたのだから仕方がないという話をしたいのではなくて、ここでアメリカの立場に立ってみれば、弱い国に一日限りの戦闘とはいえ完敗だった。


最終的には連合軍の勝利と日本軍の無条件降伏で終わりましたが、アメリカ人の戦死者は太平洋戦争だけで、十数万人に及ぶ。日本軍より一桁少ないが、これは人数の問題ではない。抑止力に完璧、終着点というものはない。

相手が強化すれば、こちらも背伸びせざるを得ない。そういう態度でソ連は滅びました。これから激しく急速な人口減により、また、アジアほか各国の成長により、日本の国力は絶対的にも相対的にも衰えます。現代の高度で高額な軍事力を、保持・増強し続けられるはずがない。


最後に写真を一枚掲げます。出先で見つけた古いアサヒグラフから拝借しました。撮影されたのは1923年(大正十二年)のはずです。せいぜいその翌年。関東大震災がありました。

この写真に並んでいるテントは仮設の病院で、アメリカ軍によるものだとの説明が付されています。右側のアップの画は、アメリカの海軍兵が、日本風にいえば炊き出しのため、パンを焼いている姿です。この18年後に、日本はハワイのアメリカ海軍を襲った。日本は感謝の心を忘れ、両国とも外交に失敗し、血と鉄の雨が三年数か月も降り続けた。

このとき、米軍もペリーと同様、東京湾を測量したという説がある。やりかねない。


当時の憲法上の国政責任者・最高権力者は天皇でした。実質的には軍隊が簒奪しました。今は違います。責任は私たちにあると宣言している。主権も親権も、単なる権限だけではなく、それと引き換えの責任があります。われわれの代表者が、このままでよろしいか。





(おわり)