おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

異常な法秩序に突入したこの状況  (第1900回)

 本日の題材にする書籍は、「『憲法改正』の真実」(集英社文庫)。憲法学者樋口陽一小林節の対談集。タイトルは、この本の序「はじめに」に置かれた、樋口さんの発言から採った。

 本書はすでに読まれた方も多いかと思う。まだの方は、今からでも遅くないので、本気で読んでいただきたい。どうも私は古い本を採り上げる癖があるが、この本は2016年に発行されたものだから、すでに2012年の自民党憲法改正草案が出ているし、集団的自衛権も合法化された後のものだ。


 小林さんは、もうずいぶん前のことのように感じてしまうのだが、2015年に国会で、集団的自衛権の法制化は憲法違反だと主張した憲法学者お三方のひとりだ。もともと「改憲派」と自他ともに認めてきた学者だったので大騒ぎになった。いまだに、ネットでは「裏切者」「変節者」などと誹謗中傷されている。

 この本は憲法の入門書というより(もちろん、私のような初学者には格好の入門書であることに変わりはないが)、一言で言えば、現政権批判であり、憲法学者としての見解や立場が異なるお二人も、この連中に改憲されてはかなわん(もう少し上品な表現を使ってみえます)という共通点を持った。


 私もこのブログで、長いことかけて憲法と上記改正草案を読もうと頑張り、一通り終わってこの本を読んでみたら、ずいぶん遠回りをしたもんだと思った。しかし無駄な作業をしたとは全く思わないし、何となく違和感のようなものを持った箇所に明確な説明を得て、まことにありがたい読書になった。

 そういうわけで、読んでいただきたい本ばかりご案内しているが、どれか一冊というのなら、この本から始めてほしいです。先ほど、まだ間に合うとは書いたものの、そのうち手遅れになるかもしれない。同書の諸テーマは、じっくり憲法の本質や理想を語るというような、アカデミックな用件ではない。難解な法律用語に悩まされる心配はありません。
 

 若干の感想を付します。一番、読みごたえがあったのは、改正草案の前文の批判。また、それに関連して、ヴィシー政権の話題。樋口さんがフランスの論壇誌から取材を受けたときに、この前文の話をしたところ、相手の記者が「非常に鋭い反応をしました。ヴィシー政権を連想するというのです。」と語ったという部分だ。

 その名前だけは、中学生ぐらいから知っている。第二次世界大戦中にドイツに占領された後の、フランスにできた傀儡政権というような教わり方をした覚えがある。この流れを断ち切ったのがド・ゴールで、彼はまだ私が小学生のころ生きていたし、亡くなったニュースを観たのも覚えている。気骨と偏屈の人だった。


 フランス人記者が鋭く反応した部分に、ヴィシー政権フランス革命以来の仏国の理念であった「自由、平等、博愛」を(博愛は友愛とも訳される)、「祖国、家族、労働」に置き換えた。ナチス・ドイツが好きな概念だったのだ。それぞれ、日常的には大事なものだが、憲法に定めるものかというのが論点になる。

 今の憲法には無いこれらを、ごっそり取り込んだのが改正草案の前文である。その単語通り出てくるのは「家族」だが、全編にわたり「祖国」を大事にしようと謳っており(郷土、歴史、文化、伝統など)、「労働」は「活力ある経済活動」という言い回しになっている。とにかく、復古と経済発展が好きなのだ。

 家族は、すでに多くの人が改正草案の問題点として挙げている。樋口・小林の「憲法に道徳を持ち込んではいけない」、「思想統制になりかねない」、「法と道徳を混同するなというのは、近代法の大原則」という発言の大切さを、よく考えないといけない。偉い人の言う通りにしなさいと言われたいか。


 ヴィシー政権は、どこで読んだか忘れたが、フランスに詳しい内田樹さんによると、今のフランスでも暗闇の時代と受け取られていて、ろくに学校の教科書にも出てこないというから、相当ひどいものだったらしい。日本がそのお仲間だったことを知る人が、どれだけいるだろうか。

 私は偶然、知った。かつてフランスの植民地(仏領インドシナ)だったカンボジアに駐在していたときに、あれこれ同国に関する本を読んでいたら出てきたからだ。それまで本当に何も知らなかったのだ。また、高齢のカンボジア人たちが、日本語の挨拶などを覚えていたのには心底、驚いた。


 仏印進駐と呼ばれる。私は、なんとなく妙だなと思っていたのだ。連合国側であったはずのフランスが支配している土地に土足で踏み込んでいったのに、なぜ対仏の戦争が現地で起きなかったのか。当たり前であった。ヴィシー政権の時代だったから、仕方なく迎え入れたのだろう。

 この仏印進駐は、当時、植民地獲得合戦に夢中だった日本と米国の中を、決定的に引き裂いた。ハル・ノートのせいで自衛戦争に踏み切ったと大声で語る人たちは、これを懸命に隠していると考えて良い。こういうことを書くと自虐史観と言われるそうだが、自慰史観よりずっとましです。

 国家権力が教育熱心なのも、非常に危険だと思う。昨今、政府と報道機関は、徹底して文部科学省教育機関を、陰に陽にいじめている。「言うことを聞け」ということだ。このとばっちりは、子供たちが受けるだろう。義務教育に、武芸や道徳教育が復活・導入されたことの意味を、怖さを、国民投票までによく考えておかないといけない。




(おわり)



天も東京を清めたいか  (2018年1月22日撮影)


















































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