おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

自由なんて、本当の自由でないのなら、何も失うものがないのと同じこと  (第1340回)

 懸案の「改正草案」の第18条は、本当に同草案が現行の憲法を「改正」する意図があるのかどうか、疑わしく思えてしまうような内容だと感じる。まずは、久しぶりに改正草案のサイトを再掲しよう。お変わりなく、恙無きや云々。最後に関係者一同(推進本部や起草委員会)のご尊名リストがある。みなさん、本当に全文を読んでみえるのだろうか。
https://jimin.jp-east-2.storage.api.nifcloud.com/pdf/news/policy/130250_1.pdf



  【現行憲法

第十八条 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。


  【改正草案】

(身体の拘束及び苦役からの自由)
第十八条 何人も、その意に反すると否とにかかわらず、社会的又は経済的関係において身体を拘束されない。
2 何人も、犯罪による処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。


 さてと。どこから、どう始めれば良いのやら。奴隷とは、難しい定義は知らんが、人でありながら人あつかいを受けず、モノ扱いを受ける身分をいう。生まれながら、あるいは、戦争に負けて捕まるなどして奴隷となり、金で売り買いされたり、物々交換される。社会的又は経済的関係において、家畜や農機具と同じだろう。逃げられないし、逃げても行くところはない。

 何人もそのような、文字どおり非人間的な拘束は受けないと、現行憲法は言い切っている。さらに、拘束だけではなく、強制労働させられるのも唯一の例外として、犯罪の刑罰として意に反する苦役すなわち懲役刑を受ける。第9条より、はるかに明快な法であり、解釈の余地が無い。このため、改正草案も真向から書き換えするような立場をとっている。


 条文案の掲題は、(身体の拘束及び苦役からの自由) となっているが、これが私には実感がよくわかない条件付きの「自由」になるらしい。なお、現行憲法の第18条の後半は、そのまま改正草案の第2項になっているので、ここでの話題は現行憲法の第18条前半と、改正草案の第1項の比較である。

 まず、「いかなる奴隷的」の大事な字句が、綺麗さっぱり削除された。さらに、「社会的又は経済的関係において」という限定付きということで、それならば「身体を拘束されない」という、いささか極端な表現を使えば、刑務所に片脚突っ込んだような表現になった。


 これは表現を換えて言えば、「社会的又は経済的関係」以外においては、その意に反してさえ身体を拘束されることがあり、その場合は、奴隷的拘束であっても憲法は黙認するという意味です。小欄ではときどき、私見なので他の解釈があっても構わないと書いているが、ここでは、そうは書かない。他に読みようがない。

 では、「社会的又は経済的関係」以外とは、どういう関係があり得るのか。正解の一つは、改正草案が自ら示しており、第14条案において「政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」という文言があるから、すなわち「政治的関係」においては奴隷的拘束があり得る。古今東西の例によれば、先ず思い浮かぶのが政治犯と脱走兵だろう。それに拉致か。


 歴史は繰り返すという人もいるが、当たり前だけれど、全く同じことが起きる訳ではない。マーク・トウェインが上手いことを言っている。「歴史は繰り返さない。だが、韻を踏む」。わがサイトも、いま思想と言論の自由が保障されているうちに、書き上げておかないと。まさか小林多喜二のようにはなりませんように。

 オーソン・ウェルズは映画「第三の男」で、観覧車に乗りながら、こう言った。「スイスの友愛、五百年にわたる民主主義と平和。結局やつらは何を作り出した? 鳩時計だとさ」。奴隷や苦役よりは鳩時計のほうが、まだましです。


 それに、スイス500年どころか、戦後日本はまだ70年少し。今の同朋の平均寿命より短い。もっとも主権在民や平和に、賞味期限の長短は無い。幸徳秋水が刑死したのは、連合艦隊対馬沖でバルチック艦隊を叩き沈めてから、わずか6年後のことである。

 なお、国粋主義者の中には、徴兵制は国民主権であれば当然であると語る人たちがいる。絶対に間違っている。繰り返すが、権利や自由は、義務や責任を必ずしも伴わない。志願するのは自由だが、徴兵は国家が人員不足の無謀な戦争を始めざるを得なかったという、その無為無策(せいぜい不運)の証左にしかならないだろう。

 
 思えば、統治者側も奴隷的拘束をするなとか、苦役を課すななどと言われるのは気分が良くないだろうし、気持ちとしては削りたくなるのも分からないこともない。でも、上部が傾けば末端が暴走しかねないというのが、組織の振幅というものだろう。憲法は実際の暴力を禁止しているのだ。

 今回は、比較的短いが、この辺で止める。明白であるときは、ぐだぐだと書かないに限る。書き込みも一休みしたくなってきたが、この権利と義務のところで、国民ががんばらなくて、他にどこで頑張るのだ。





(おわり)






気疲れすると、メダカを眺めて、暮らしています。
(2016年9月2日撮影)



 

 Freedom is just another word for nothing left to lose.
 Nothing don't mean nothing, honey, if it ain't free.

  ”Me & Bobby McGee”  Janis Joplin


























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