おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

山古志  (第1210回)

あまり自信をもってお薦めできない方法ですが、私は被災地や観光地に行く際(つまり、出張を除く旅行では)、事前にあまり情報収集をせずに出かけていく。現地で新鮮な印象を持ちたいからだ。

もちろん日程は組まないといけないので、車を運転しない当方としては、交通機関と運行状況だけは調べてゆく。地震報道の際に、盛んに名前が出ていた山古志は、長岡市からバスで日帰りができそうだった。


この地名を覚えていたのは、「こし」という、いかにも北陸・越の国らしい名であったのと、これは長岡に到着してから思い出したのだが、錦鯉の産地であり、地震による水漏れなどで大変な損害があった。

今回と次回は、この山古志行きの感想と記録です。お邪魔したのは2019年10月30日。これすら知らずに行ったのだが、本震の発生は2004年10月23日の午後6時前なので、15年前の同じ月。山古志地区のサイトです。
yamakoshi.org



バスの運行であるが、行き帰りとも、長岡駅村松というバス停を結ぶ路線バスと、村松から山古志の案内所「おらたる」(地元の言葉で、俺たちの住んでいる辺りという意味らしい)を結ぶコミュニティ・バスを乗り継ぐのが唯一の公共交通機関

長岡の駅前で確認すると、この乗り継ぎができる便は午前中だと一本しかない。その時刻表の写真を事前に撮り、バス停の下見までして準備万端、迎えた当日は雨。ただし、運行に差し支えるほどではなかった。


定刻通りに長岡駅前を出発したのだが、上記の唯一の乗り換え地点、村松を乗り過ごした。原因は、人のせいにすると、前の座席に座っていた小学生の男子二人による、車内広告の批判が極めて面白かったので聞きほれていたのだ。

気づいたときには、村松の次のバス停に向かっており、しかも午前中一本しかない乗り換え用に座っており、このまま乗っていても着かない。次のバス停は雨のせいか人影すら見えず、その次が小・中学校前なので、ここなら何とか代替策が見えるかもしれないと思い、子供たちと一緒に降りた。


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確かに小・中学校はあった。併設校で「太田小中学校」という表記も見た。通学の子らが、見知らぬ私にも挨拶してくれるのはうれしいが、街道をしばらく眺めていても、タクシーが通りそうな雰囲気ではない。たまに黄色ナンバーが走り行くのみ。

雨の中、ずうずうしくも学校の正面玄関で雨宿りしながら様子見をしていたのだが、自分だけで解決する決意はあっさり断念し、職員室と書いてある呼び鈴を押した。タクシー会社の電話番号を教えて頂くためです。


女性の職員の方がお越しになり、用件を伝えると「それは大変」という感じで戻り、すぐに出てきて、「別の者が車でお送りします」と仰る。これは過分のことだし、平日の9時前で学校は特にお忙しい時間帯だ。

慌てて断ろうとしたのだが、すぐ別の教職員の方(たしか、あらかわさんと仰る男性)が出ていらして、いま車を出しますと対応迅速。どうせタクシーを呼んでも長岡から来るから金と時間がかかりますとのことだが、被災地の慰霊とお見舞いに来ておいて、いきなり借りが出来た。


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棚田が名高いところですなどと観光案内までしていただき、案内所「おらたる」までお送りいただいた。この場を借りて、改めて深謝いたします。今回の旅、あちこちで望外の親切に支えられたのだが、特にこれは助かった。

雨が上がろうとしている。「おらたる」のロビーでパンフレットと地図をいただいて勉強し、一階二階にある震災時の写真や資料を拝見する。自衛隊の救助活動の写真もあったが、お顔がいくつか写っているので遠慮して、その代わり震度を示した分布図を撮ってきた。

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震源は内陸部にあり、震源地の当時川口町も、山古志村も、今は合併して長岡市の一部になっている。川口の震度は7、山古志は地震計が壊れたらしい。発生した時刻は、次のとおり。いつまでも時計が止まっている。

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館内には錦鯉発祥の地の説明だけではなく、本物の錦鯉も泳いでいる。何でも高価な一品になると、一千万を超えるというのだが、誰が買うのだろう。さて、幸い雨も上がったので、歩いて回ることにした。鐘があったので手を合わせる。

棚田は高いところから見下ろすと美しいそうなのだが、徒歩では距離も標高も無理がありそうだったので、中心を流れる沢の上流、右岸、中流の橋、左岸と一回りすることにした。日本昔ばなしの世界です。


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この行程はずっと舗装された車道で歩きやすく、道路橋梁や両脇の山肌などは、すっかり復旧が済んでいる様子で、私が見てもどこが被害に遭ったのか、もう分からない。この山間部の村から外側に出る道が、全て土砂崩れなどで寸断され、通信手段もつながらず、文字通り孤立した。

今は稲作に加えて、錦鯉の幼魚を育てていたり、野菜の直営店が開いていたりで、のどかな風景を取り戻している。問題は、人口です。少子高齢化はここに限らないだろうが、特に山古志はいったん全村が避難したため、そのまま帰らない人もみえるらしい。


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お邪魔した季節は、コスモス、ススキ、セイカタアワダチソウが咲いていたころで、柿はまだ生っていたが、稲刈りはもう終わっており、雨のせいかもしれないが、栗の実も全部落ちていた。ちょうど大豆の収穫期らしく、枝豆が干してあった。カマキリ二匹に出会う。


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今回最後の話題は、アルパカ。なぜかこの中南米ラクダ類が、アメリカのコロラド州から山古志に贈られ、無事、牧場で育ち、増えているらしい。ちょうど、通りがかりの近くに牧場があったので見物した。近くにいた人が平気で触っているので真似したら、柔らかくて暖かい。

一時間半ほど山道を歩いたので、さすがに疲れ、「おらたる」でコーヒーを飲み、帰りの相談をした。長岡方面に戻る道沿いに、本日開店しているはずの食堂があるという。そこまで歩いて昼飯、あとはバスを待つ。堅実なる修正計画を立て、御礼を申し述べて山古志の中心地を後にした。


(つづく)




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ここのアルパカは、人懐こい。
私の手を一なめして「なにこれ」と考えているところ。
この日はよく歩いたこともあって寒くなく、
東京から着てきたジャケットだけで十分でした。
(2019年10月30日、山古志にて撮影)










 ひとのなさけが しあわせを
 そっとはこんだ かさじぞう

     「日本昔ばなし」 主題歌





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山古志の道祖神と笠

























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