モンちゃんは、左ウィングであったか。あのころはまだ遠かったねえ、ワールド・カップのトーナメント。このたび、ろくにルールも知らぬまま楽しませてもらい、南アフリカ共和国の優勝で閉幕しました。
イングランドはメダルの授与式で一部もめたらしく、それは悔しいのも分かるが、試合を終えたらノー・サイドだと、ご先祖が決めたんじゃなかったのかい。
南アには一度だけ、出張で行ったことがある。会議室のあるビルの前で関係者が、昨日となりの銀行に強盗が入ったから、今日はもう大丈夫だと言っていたのを覚えている。物は考えようか。
業務出張だから、出先の国のことは多少まじめに勉強してから行く。半日ほど空いたので、ネルソン・マンデラが住んでいた家(生まれた家ではなく、育った家だったらしい)を見学した。これはずっと前に書いたな。
今回のラグビーは、日本が出ない試合もよく観た。時差がないというのは大きい。南アフリカのデクラークという小さな体でよく動く印象的な選手の名前、どこかで聞いたと思ったら、マンデラさんを釈放した人と同姓でした。
英語では「De Klerk」と書くそうなので、ドゴールをド・ゴール、ダビンチをダ・ヴィンチ、ゴッホをファン・ゴッホと書くべきだと主張する人は、デ・クラークと書くことになる。どうせ発音からして違うのにね。それに本名は中黒「・」ではなくて、スペースです。
かつて南アフリカでは、西暦1900年前後に、ボーア戦争という酷い戦いがあった。イギリスは国力を落として、日英同盟はその一つの結果というのが定説らしい。
のちに第一次世界大戦で、英国陸軍の司令官となるイアン・ハミルトンはボーア戦争について、「ボーア人たちは、わが英国の優秀な武器に対抗するに、彼らのボーア魂をもってした」と、「想ひ出の日露戦争」(雄山閣)に書いている。ハミルトンはイングランドの名字かな。
11月になっても撫子が咲く東京
ボーア戦争は、南アフリカの地で、イギリスがオランダ系のボーア人の領土を強奪しようとして始まった。なぜオランダ人が、こんな遠くに移住したのか知らないが、かつてオランダは貧しかったのではないだろうか。ゴッホの初期の絵を思い出す。「馬鈴薯を食べる人々」など。
かつて、オランダに親族一家が駐在していて、一週間ほど泊めてもらったことがある。今のオランダ人は総じて巨人であるが、親族らによれば、かつて西洋では小柄なほうで、大きくなったのはインドネシアを植民地にして裕福になってからだそうだ。
前出の欧州系の姓に入る「デ」は、ゴッホの「ファン」と同様、オランダの名字にもあるらしい。スペインにもあるそうなので決めつける訳にはいかないが、何となくあの男、出島や蘭学の時代からお付き合いのある国の血が流れていそうな気がする。牽強付会。
あいつのせいで負けた。そんな風に敵から言われるのも、運動選手冥利に尽きるというものです。ラグビーも本来は、ボールを蹴っ飛ばす競技であることを思い出させるプレーヤーでもある。今回の日本チームの活躍ぶりとも併せ、ラグビーの戦法にも新しい要素が加わっただろうと思う。
(おわり)
本日の初日の出 (2019年11月3日撮影)
Stranger to blue water
Dark and dusty
Painted on the sky
Misty taste of moonshine
”Take Me Home, Country Roads” John Denver
ウェスト・バージニアは炭鉱の町
釜石は鉄鋼の町 (2014年、釜石にて)
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