おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

カルト  (第1166回)

 せっかくサッカーのワールドカップを楽しんでいるのに(日本チーム敗退後も毎日観ています)、無差別集団殺人犯であるオウム幹部の集団極刑のニュースが飛び交い、せっかくの週末の気分も台無しだ。しかしながら、このサイトでさんざん、「20世紀少年」の教祖であり教団である”ともだち”と、オウム真理教のアナロジーを書き立ててきた以上、黙って通り過ぎる訳にもいかない。

 類似点は多い。書くのも汚らわしい部分は繰り返さないが、私にとっての関心事は同年代であるという点です。昭和30年生まれの麻原を筆頭に、オウムの幹部や実行犯には、昭和三十年代生まれが多い。大半と言ってよい。

 人口構成上は、ちょうど第一次と第二次の戦後ベビーブーマー(大雑把にいうと、団塊の世代および団塊ジュニア)の中間ぐらいで、あえて彼らと比べればだが、一般に進学や就職で、それほど激烈な競争原理にさらされたわけでもないと思う。


 この年代は、一回り上の、命がけではない左翼革命運動で火炎瓶を投げていた連中から、しらけの世代とか三無主義とか言われ、就職したころ経団連に新人類と呼ばれ、そのあと不思議な名称だが、ニューエージと言われた。バブル景気のころ二十代後半を迎え、遊び優先で結婚適齢期という言葉を死語にし、間違いなく日本の少子化の一要因をなした。

 バブル景気というと、経験していない若い人たちは、みんなして金儲けて後輩に苦労かけた時代という印象をお持ちでしょう。全面否定はしませんが、補足修正はします。


 あのころ、あぶく銭を稼いでいたのは、株式や不動産やゴルフ場会員権などに投機する資金があった人たちであり、そこらの若者は、せいぜいスキーとかカラオケとかディスコ(クラブというのか今は)とか、ユーミンやサザンで満足していた程度です。

 むしろ、私の同年代で東京近辺で働いていた人たちは、はるか遠くの土地を高値でつかんでマイホームを建ててしまい、通勤帰宅も片道二時間とか、新幹線で金帰月来とかいった過酷な目に遭っている人も多い。そして、1990年代に入りバブルがはじけ、95年に地下鉄サリン事件が起きた。


 ニューエージのイメージは、自己啓発自己実現、カルト、オカルトという、およそ現実離れしているとしか思えないものに没入した。おそろしいのは、これらが姿かたちを変えながら、今の日本でも続いていることだ。かつて本当の自分とか救済などと呼んでいた陶酔感の求めは、いまも癒しとか絆とか、まあ悪者ばかりではないが、消え去る気配がない。

 オウムもその後継団体とやらが、もう連絡が途絶えてしまったけれど一時期お世話になった先輩の住む地域に蝟集するようになり、子供の多い土地柄だったこともあって、住民の立ち退き要請運動が起きていたのを覚えている。いまどうなっているだろう...。


 カルトという言葉を、拙宅の広辞苑(まだ第六版)で引くと、次の三つの意味が並んでいる。カルト【cult】①崇拝。②狂信的な崇拝。「−集団」。③少数の人々の熱狂的支持。

 さて、①の意味は知りませんでした。どうみてもポジティブな意味合いで、スペリングからすると、カルチャーやカルティベーション(耕作、養成)などと同じ語源を持つものだろうか。しかし、今の日本のカタカナ英語のカルトは、こういう意味では使われまい。

 私自身、カルトという言葉を知ったのは、たぶんビートルズを聴き出した中学生のころで、チャールズ・マンソンが「ヘルター・スケルター」に触発されて、凶悪事件を起こしたというエピソードを読んだときのことだと思う。


 ③の「少数の人々の熱狂的支持」は良きにつけ悪しきにつけという感じで、中性的な語感である。さしずめ、ワールドカップの観客席で化粧と被り物をして踊っている方々が該当しそうであり、我が家に入って来さえしなければ、別段、嫌う理由もない。

 だが、もうすっかり②の「狂信的な崇拝」が、普及・定着した。さらに言えば、広辞苑が補足している「カルト集団」という用例が、今やカルトそのものになっている。


 刑罰のタイミングについては、「なぜ、この時期に」という議論が盛んです。私が権力者なら、こう考えるだろうなあ。最近、国民も口うるさいから、おめでたいことに重なると文句が出そうなので、ワールドカップで敗退してから、オリンピック・パラリンピックの日本代表が決まりだす前とし、七夕も避けよう。総裁選も改元も、大掃除のあとのほうが宜しい。

 しかも最近は身内がセクハラやら改竄やらで不祥事の展示会になっており、これらから報道や有権者の目をそらすべく、せっかく羽生結弦選手に国民栄誉賞を授与したのに、またしても文部科学省の筆頭幹部が古典的裏口入学のプロモーターになった件が発覚してレッドカードの一発退場、もうひと騒ぎ、支持を得られそうなことを企画しないといけない。

 去年の7月11日に共謀罪を定めた法律が施行された。またぞろ一周年記念の反対運動を起こされても五月蝿いので、思い出させておかないといけません。教主は手を汚していなかった筈だ。


 冗談はいい加減にして、今回に限らず、死刑というものは、何と後味の悪いものか。今回もご遺族の反応は人それぞれで、複雑なものでございました。もうあの男から真相や本音を聞き出すというのは無理だと感じてみえたと思います。せめて謝罪はしろと考えてきたのですが、二十余年待っても開きなおったままだった。

 私と同世代の死刑囚たち、ほとんどは平凡な顔立ちで、仮に電車の反対側の席に座っていても分からないような容貌であるのが、なおさら怖い。その中で教祖を除き、一人異彩を放っていたのが新実だった。決して褒める訳ではないことを断言してから書きますが、ニュルンベルクゲーリングのような確信犯だった。


 これまで小欄で触れてこなかった事柄を、この機に出します。弁護士一家の殺人事件。あれは酷い。彼らは、国家の転覆を図ると言っていたそうで、そういう意味では地下鉄サリン霞ヶ関、松本の裁判官、うちの近所で起きた警察庁長官の狙撃事件、公証人役場の関係者など、一応は彼らなりの薄汚い筋が通っているが、弁護士一家の件は、単なる自己保身にすぎず極悪非道、鬼畜の業と呼べば鬼畜に対し無礼である。

 あの事件がオウムの仕業と分かったとき、うちの子も、犠牲者となった子と同じ一歳半ぐらいだった。今となっては同一人物とは思えない程、当時の我が子は天使のようだった。

 証言によれば、下手人の一人は新実らしい。あいつなら、やるだろう。あの薄笑いを浮かべたまま、やるだろう。私は天国地獄の存在を信じないが、地獄の底があるなら、そこで会おう。話がある。


 村上春樹が「約束された場所で」の中で、河合隼雄と対談しているとおりで、オウムも最初のうちから、あんな卑劣で残酷なことをしようと綿密に計画していたのではないのだろう。

 自分たちが正しい、国家権力が全て間違っていると気勢を挙げ、快哉を叫んでいるうちに、自らの暴走を止められなくなったのだ。だから真相なんて、本人たちも分かっていないと思う。


 死刑制度の是非については、簡単に書ける事柄ではないので、今日は控えます。EUから人権蹂躙だと言われているらしいが、シリアやパレスチナに連日ミサイルを撃ち込んで子供を殺したり、それを黙認しておきながら、天に向かって唾するとはこのことだ。
 
 ここ数日の報道の中で何より印象に残っているのは、もうかなりのご高齢と思われる故坂本弁護士の御母堂の一言です。「麻原は死刑になるべき人だとは思うが、他方では人の命を奪うことは嫌だなぁという気持ちもある」。この親にしてこの子あり。



(おわり)
 



夏の外勤先にて  (2018年6月22日撮影)













Till I get to the bottom and I see you again.

    ”Helter Skelter”  The Beatles
















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