おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

かえるくん  (第1168回)

 村上春樹が、地下鉄サリン事件の被害者に取材したのは、その証言集である「アンダーグラウンド」の巻頭にある「はじめに」によると、事件翌年の1996年1月から12月にかけてのこと。あとがきに当たる「目印のない悪夢」の日付は、翌1997年1月になっている。この膨大な作業と執筆の分量からして、事件後すぐに全力で行動したに相違ない。

 この「目印のない悪夢」は、これだけでも読みごたえがある。その中でまず、アンダーグラウンドは「地下」という言葉に続くカッコ書きに出てくる。直訳でもあるし、ロンドンの地下鉄の名でもある。ちなみに、この当時は営団地下鉄と呼ばれていたため、その名で出てくるのだが、地下鉄サリン事件からほどなくして、東京メトロに自称が変わった。


 もう一か所、「自分自身の内なる影の部分(アンダーグラウンド)」という表現も出てくる。この箇所は、オウム真理教という「ものごと」が自分にとって全くの他人事ではなかったからこそ、目を背け、後味の悪さが続いているという論旨だ。これが執筆の動機だろう。きっかけは、1990年2月の衆議院選挙に彼らが立候補したときに、オープンカーの上で「訳の分からない踊り」を踊っているのを見たときからだったそうだ。

 このときは偶然ながら、私も同様に海外駐在先から、親族の結婚式のため帰国しており、当時はネットも衛星放送もないから、めずらしくテレビを熱心に観ていたときに映った。数日遅れで新聞雑誌は届いていたから、オウムや麻原の名前ぐらいは知っていた覚えがある。ひでえな、と思った。他人事だった。そして今も後味が悪い。

 あの、自称グルは、最初から行動的で狂暴な人殺しだったのだろうか。悩んでも分かり得ないことだが、子供のころ死ぬのが怖くて泣いてばかりいたというエピソードを読んだことがあるので(私もそうでした)、むしろ段々と被害妄想が膨らんで、過剰防衛に走ったと考えた方が、私にはまだしも、かろうじて分かりやすい。特にあの、サティアンでの見苦しい捕まり方をみると。


 オウムの調査や分析や解釈は、おおぜいの人が行なった。他方で、村上春樹が語るように、あれは自然発生したのではなくて、われわれが生み出したのではないか、われわれは止められなかったのか、それなのに「あちら側」(オウム)の研究や罵倒は繰り返されても、われらの「こちら側」はなぜ省みられないのか。

 村上春樹阪神・淡路大震災があった兵庫県の出身で、サリン事件のときは東京都に住んでいる。さらに、あとがきによると、このころは「ねじまき鳥クロニクル」の準備でノモンハン事件の調べ事をしたあとでもあり、教団と旧軍部との類似性にも触れている。これだけ事が続いては、作家の感受性もただでは済むまい。


 次作の「約束された場所で アンダーグラウンド2」は、1998年に雑誌「文藝春秋」に連載された。それが単行本となって出版される際に付された、河合隼雄との対談の中で、河合先生もなかなか手厳しい。

 「村上さんがこのような被害のそれぞれの生々しさを自分で引き受けて、そこから答えを出すしかないんです。でも頭で考えたらだめです。そういう意味でも、村上さんが今後書く作品というのは大変だろうなって思います。これだけの仕事をやったあとで書くわけですから。」と語っている。


 私は村上春樹の作品を、大学生のときの「風の歌を聴け」から、新入社員だったころの「ノルウェイの森」までは、全て買って読んだ。その後は、海外に通算8年もいたこともあって、また、仕事の厳しさに堪えかねて、ゆっくり読書する余裕もなく、飛び飛びに読む程度になった。あまり、熱心な愛読者とは言えない。

 ともあれ、読んだ限りにおいて、村上作品の大半に共通するのは、ひとの生死と性愛だ。人生、煎じ詰めれば、そういうことになるなあと自分でも思う。もっとも、彼の場合、人間様の言動だけではその世界観や人生観を語り尽くせないようで、よく動物が出てくる。そして、地下も出てくる。「羊をめぐる冒険」はそれこそ地下の物語だし、「ねじまき鳥クロニクル」には井戸が出てくる。


 河合隼雄の予言を受けて、1999年に雑誌「新潮」に、「地震のあとで」という短編詳説の連作を発表し、五点の作品に書き下ろしの一作を加えた短編集が、「神の子供たちはみな踊る」というタイトルで、2000年に新潮社から出版された。その全部について感想を述べる余裕もないので、もっとも強く印象に残った「かえるくん、東京を救う」のみ取り上げます。若干、ストーリーに触れますので未読の方はご注意を。

 登場生物に、かえるくんと、みみずくんが出てくるというのも、また、前半がユーモラスなのも、村上作品だから許容されるというものだろう。下敷きになっているテーマは、連載のタイトルにあるように阪神・淡路大震災であり、明示されてはいないが、その二か月後に起きた地下鉄サリン事件も念頭に置かれている。


 そう思う傍証を二つ挙げます。かえるくんが言う、東京を救う対象とは、みみずくんが1995年2月18日に起こすはずだった直下型の大地震だったのだが、この日付は阪神・淡路大震災の1月17日と、地下鉄サリンの3月20日の真ん中にあたる。

 もう一つ、この短編小説の主人公である片桐さんと同じ姓の人物が(但し、本名か仮名か知らないが)、「アンダーグラウンド」に被害証言者の一人として出てくる。二人とも、地道に働く、地に足の着いた人物として、好意的に描かれている。


 「アンダーグラウンド」の片桐さんは、事件当時40歳と紹介されており、ご本人が語っているように麻原と同年代であるし(麻原も事件当時40歳だった)、さらに、「神の子どもたちはみな踊る」の片桐さんも、1995年に40歳になっている。

 この短編集の各作品は、大震災以外に共通点はないと思うが、ひとつ例外があり、かえるくんは、表題作の「神の子供たちはみな踊る」の主人公である晋也青年の、あだ名でもある。かえるのように踊ると、恋人に言われたのだ。設定上、彼は本当に周囲から「神の子」扱いされ、それが嫌で棄教した。読んでいただければわかるが、晋也は「あちら側」ではない。


 「かえるくん、東京を救う」のかえるくんも、片桐さんも「こちら側」であり、他方で、みみずくんが「あちら側」であるのは明白だ。戦いの結果、かえるくんはみみずくんを、バラバラにしたらしいのだが、そうなっても本物のミミズと同じく、みみずくんは死なない。バラバラになって、生き続ける。どこかの教団のメタファーだろう。

 難しいのは、かえるくんとはそもそも何かという問題です。かえるくん自身が言うところによると、みみずくんとは敵対関係ではなく、友だちになろうとは思わないが悪の権化でもなく、「あってかまわない」ものである。

 さらに、「世界は大きな外套のようなものであり、そこにはようような形のポケットが必要とされている」らしいのだ。これが村上春樹のたどり着いた「あちら側」(ただし、犯罪集団になる前の)と「こちら側」の実相なのだろう。


 これ以上、筋の詳細には触れないが、かえるくんが片桐さんを協力者に選び、求めたのは彼の勇気と正義であった。戦いは「引き分け」とかえるくんは評価したが、その活躍は誰にも評価されることもなく、見返りもなかったが、東京は救われた。

 この作品の次に書き下ろし短編の「蜂蜜パイ」が最後の収録作品として載っている。主人公の淳平は短編小説家だ。終盤に彼はこう言っている。「これまでとは違う小説を書こう、と淳平は思う。夜が明けてあたりが明るくなり、その光の中で愛する人々をしっかりと抱きしめることを、誰かが夢見て待ちわびているような、そんな小説を」。今後書く作品は大変なのだ。




(おわり)





アオウミガメくん
(2018年8月14日 奄美大島にて撮影)
















Jai guru deva om...

























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