おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

硫黄島  (第1153回)

 前回の続き。また、取り留めもない感想文。クリント・イーストウッドスティーブン・スピルバーグの映画、「父親たちの星条旗」と「硫黄島からの手紙」が登場したとき、私は後者のタイトルにある「Iwo Jima」とい表記に何となく違和感を覚えた。

 硫黄島の名は、子供のころから知っている。戦後日本は左翼思想が横行したと力説する人たちがいるが、少なくとも子供たちが接する少年漫画やプラモデルの世界では、先の大戦は、膨大な情報源であり、多大なる興味の的だった。硫黄島の名は、栗林中将との組み合わせではなく、バロン西に米軍が投降を呼びかけたという感動物語に出てきた。


 記憶ではそのころのフリガナは、「いおうとう」だったはずなのだ。私の記憶は、子供のころほど確実です。もっとも、硫黄は多分、訓読みであり、いま盛んに噴火している霧島連峰の硫黄山も「いおうやま」とTVで読まれている。その伝でいけば、「いおうじま」になる。

 島という漢字は、日本古来の島々においては「しま」と呼ばれる。さどがしま、あわじしま、えのしま、さくらじま。他方で外国のアイランドは、グアムとう、マダガスカルとう、ハワイとうという塩梅で、音読みになる。

 興味深い例外は、北海道・北方領土の、おそらくアイヌの言葉がついている島の名は、礼文とう、国後とう、奥尻とう。推測ですが、きっと幕末維新のころ以降に、外国の島の名と同様に名付けられたのだろう。


 さて、この戦闘当時を知る者は、残念ながら周囲に母しかいない。極めて頼りないが、でも戦時中は毎日のようにラジオを聴いていたというから、とりあえず発音を訊いてみたら、「いおうとう」と返って来た。容易に信用できない相手なので、ニ三年後にもう一度尋ねたが、やはり「いおうとう」と言っている。

 今年に入って、サイパンテニアンからの遺骨収集団がご帰国の際、慰霊式に出たところ、直ぐ隣に集まっていた戦没者遺族団体の代表者らしきご老人が、「次回は、いおうとうです」とはっきり言ってみえた。勝負あり。米軍の発音は、通訳の結果が定着したものか。


 前回なぜ「父親たち」(Our Fathers)と複数なのかと書いたものの、原作の「硫黄島星条旗」(文春文庫)を読むと、著者の一人で、あのとき摺鉢山の山頂に居たドク・ブラッドリー衛生下士官の息子、ジェイムズが丹念に当時の海兵隊員や遺族に対し取材をしていることから自明である。とはいえ同書は当然ながら、彼の父親の勇気と貢献と戦後が主題になっている。

 映画もそれを踏まえて、ドクが主人公になっている。一方で、私としては、イーストウッドが描きたかった中心人物は、インディアンのアイラであるというふうに観た。イーストウッドは、マイノリティや弱者に光を当てる作品が多い。少なくとも私にそう思わせる作品を作る。


 例えば、冒頭に流れる歌。例えば、母親があの子の尻だと主張するハーロンが、ローゼンタールの写真の中で、旗のポールの土台を固めている、右端の後ろ姿の男だと父親に告げに行く長い徒歩の旅。マイクこそヒーローだと訴え続けながら酒に溺れるアイラの姿。

 マイク・ストランクは海兵隊の軍曹だ。日本軍がガダルカナルから撤退した直後のソロモン諸島に上陸、ブーゲンビルとタラワと硫黄島という、その名を聞くだに身の毛もよだつ戦場で部下を失い続け、まず間違いないと言われているが、硫黄島の戦いで同士討ちの砲弾で死んだ。


 マイクもアイラとともに、あの写真の中にいる。この国旗掲揚硫黄島の占領の合図ではない。アポロ11号が月面に立てた旗、「猿の惑星」の飛行士たちが到着した星に立てた旗、あれらの先輩にあたる到着記念の旗だ。

 そのあと第5海兵師団は、摺鉢山を降り、栗林司令官が待ち構える島の反対側に構築された戦慄の地下陣地に向かう。海兵隊員の中には、占領が終わるまで日本兵を一人も見なかった者もいるらしい。マイクはその戦闘の途中で戦死した。マイクはチェコスロバキアの移民の子で、アメリカ国籍を持たず、兵役の義務はなかったが真珠湾の前から海兵隊員だった。


 アイラが生まれ育ったピマ族のインディアン保留地は、アリゾナ州にあり、今なお世界地図に載っている。私はアリゾナに二回行ったことがあり、初回は北部のフラグスタッフに宿泊し、グランド・キャニオンを見てきた。

 二回目は南部のツーソン(ビートルズのゲット・バックに出てくる)に泊まり、野生の八チドリや巨大なサボテンの群生を見物してきた。ピマ族の保留地は、フラグスタッフとツーソンの中間ぐらいにある。


 海兵隊員たちは、ほとんが若く、アイラも入営時は19歳。映画に出てくる白人の二人は、一人がアイルランド系(ドク)、もう一人のタイロン・パワーことレイニーがフランス系で、いずれもカトリック。伝統の支配者階級であるWASPではない。大半が労働者階級の出身だ。

 この日米の若者たちを殺し合わせておいて、アメリカ合衆国が次に何をしようとしていたかは、年表で経緯をみれば歴然としている。父親たちの星条旗が摺鉢山に掲揚されたのが、1945年2月23日。そのあとで白兵戦が本格化する。


 映画にも出てくるが、「硫黄島星条旗」によると、米軍が飛行場を押さえた時点で、さっそくエンジン・トラブルを起こしたB29「ダイナー・マイト号」が、硫黄島緊急着陸してくる。これがアメリカ時間の3月4日で、米軍はようやくマリアナ諸島と、日本の本土の中間地点に、航空基地を確保したのだ。そして、それから間もない3月10日に、東京大空襲

 本書「硫黄島星条旗」は力作だが、あまりにアメリカびいきであるのは明白で、日本の愛国者にはお勧めできない。スピルバーグ向けだ。彼の作品は、ここまでアメリカの映画界がユダヤ資本に席巻されると彼に限らず仕方がないのだろうが、ナチス・ドイツ大日本帝国に対する反感が至ることろに見え隠れする。

 ローゼンタールの写真では、ハーロンの反対側の左端に、アイラ・ヘイズが写っている。ちょうど、ポールから手を離した直後で、彼が両の手を挙げたような格好で立っている。後年、海兵隊が創り上げた記念碑は、ほとんど同じ外見なのだが、アイラの手の位置が微妙に違う。敬意は、こういうふうに表す。アイラは、そのアーリントンで眠っている。




(おわり)




この近所の楓の下に、双葉山が眠っている。
(2018年4月10日撮影)








 When our fathers with mighty endeavor,
 proclaimed as they marched to the fray...

   ”Stars and Stripes Forever”















































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