ずいぶん前に評判になった作品ですし、TVドラマも始まったらしいというので、掲題のDVDをレンタルで観ました。ここで話題にするために、ひどい誤解がないよう二回みました。ちなみに、原作の漫画は読んでいません。いつもどおり、書きたい放題に感想を書きますので、この物語をこのまま好きでいたいという方は、ここでご退席いただくのが賢明かと存じます。未見の方もご注意ください。
では、お断りはここまでにして、さっそく第一印象から、三点。まず、読み飛ばしていただいて頂きたいほど間抜けなレベルの感想ですが、その前日、これは原作を二十年以上前に読んでいる「寄生獣」の映画を借りて観たばかりだったので、利き手を失うと何かと大半だろうなあと思いました...。
次に、私はこのアニメ映画を、コメディ作品として観ました。それに伴う違和感については後に触れますが、会話を楽しみつつ笑いながら観た。証人は、これで良ければ家族がいますが。それに、方言の響きが心地よい。西日本のほうの言葉は、ゆっやりとした母音の多い柔らかな方言も多く(バラエティ番組の見過ぎは良くない)、関西に何年か住んだころの、地元の人たちの喋り方を思い出して懐かしかった。
もう一つ、主人公すずたちの広島の家が、ずいぶん大きくてきれいだなと思ったことです。時代が時代だけに、けっして豪奢とか裕福とかいうものではありませんが、自分の子供のころを思い出すと、ちょっと羨ましいくらいの生活環境です。
自分の子供のころは、もう高度経済成長の波が、うちの田舎の静岡市郊外にも徐々に押し寄せてきていて、白黒テレビや氷で冷やす冷蔵庫や、かき回すだけの洗濯機くらいはありました。ただし、人口が急増していましたから、宅地開発が間に合わず、ごちゃごちゃした民家の集まりと、昔ながらの田園風景が、まだらになっていた時代です。
風呂は薪で、鉄窯を熱して沸かします。これは小学生になって私の役割になり、夕方になると紙屑と木片に火を点けて、新聞紙をウチワ替わりにして風呂を沸かしておりました。薪は木工大工だった祖父が、材料とナタなどの工具などを準備していて、私と二人、日曜日に薪割りをいたします。束ねて小さな小屋にしまっておく。カマドウマが跳ねる。
蚊帳を買う金は無く、便所は汲み取り式です。便所や道端のゴミ箱に舞っている大きな金色のハエが、食事時は食卓上空を急降下爆撃機のように襲ってきますので、宮本武蔵ならぬ身、箸で振り払いながら飯を食う。お菓子は、食パンの耳に砂糖を塗った物とか、不味いセンベイとか、キャラメルなんて滅多に食べた覚えがない。西瓜は豊富にありました。座敷と呼べるような部屋は無く、座敷童に会ったことはない。
三代6人暮らしで、一つしかない扇風機は夜、祖父母だけが使う。畳をこじ開けると白アリの行列が見える。切りがないので、この辺でやめますが、この記憶と比べると、アニメのすずちゃんの家は、ずっと生活水準が高そうです。少なくとも、はるかに清潔だ。今度、このアニメをお袋に見せて、コメントを求めようと思う。
もっとも、軍隊かかえた都会の広島や軍港のある呉ですから、金回りは良かったのかもしれません。男は軍関係の仕事が多く、当時としては花形産業です。たいていのフィクションの傾向として、原作者が女性なので、女性の登場人物のほうが個性的で魅力的です。私が女ばかり見ているのでなければ...。
コメディ仕立てとはいえ、これは戦争映画です。両者が並立し得ることは、チャプリンが証明済み。それなのにネットやメディアによれば、どうやら世間の評判は、健気に働きながら成長する娘の暮らしと恋愛の物語という受け止め方で、評価が高いらしい。かつては世界の中心で愛を叫んでいた日本人も、ずいぶんと慎ましやかになったものだ。
そういう側面を否定しませんが、あの時代に、広島の原爆や呉の海軍、戦艦大和の沈没やB29の空襲を題材にしておいて、戦争映画ではないというのは通用しない話です。戦争映画にもいろいろあり、好戦的なプロパガンダ作品もあれば、反戦一色の作品もあり、私が青少年のころ作られ続けた帝国陸海軍の大活躍と、個人の悲劇を組み合わせたようなエンターテインメントまで様々です。
いずれにせよ、実際にあった出来事であり、その経験者や遺族がまだ少なからず生きていて、日本人だけで三百万人以上、死んだ戦争です。それが単なる悲劇の味付けにしか使われない(あるいは、そうとしか受け止めない)のであれば、それは必ずヒロインが白血病になる少女漫画とか、朝ドラと何も変わりがない。これは、それだけの作品なのですか。
ベスト・セラーとか大ヒット映画というのは、要するに普段、本を読まない人や映画を観ない人まで金を出すから発生する現象です。共通の話題がほしいというミーハー的要素もあると思いますが、それは必要条件であって、やっぱり価格に釣り合った手応えがないと十分条件にはならない。確かに美しいアニメです。でも、原作が漫画で、ドラマ化もされるということは、アニメーションの出来栄えだけで好評になったのではない。
私が戦争映画だと言い張っている理由は、私個人の側にあります。父方も母方も戦死者がいます。特に父方は、優秀な職人で跡継ぎになるはずだった伯父が戦死し、自他ともに認める職人には不向きの父が家系図のみ継ぎました。そもそも、祖父が経営していた木工所は、働き手数人が全員兵隊にとられ、生還したのは一人だけ。これで代々の稼業はつぶれた。戦争のせいです。
その工場も自宅も、静岡の空襲で全焼しました。母方の自営の店舗と自宅も、やはり全焼しました。おかげで、うちには戦前のものが何一つ残っていません。写真一枚ない。戸籍だけです。そして、祖父母も両親も親戚も、私のような戦後生まれの小僧には、ほとんど戦争の話をしなかった。戦後の苦労話は、嫌という程きかされましたが。贅沢言うんじゃないという文脈で、です。
唯一すこし詳しく聞いているのは、母とその妹(私の叔母さん)が静岡大空襲のとき、私の祖母と三人で、火の粉をかぶらないように三人で布団を頭に乗せ、手をつないで夜中に隣町の清水近くまで逃げたという思い出話くらいです。それも、誰も家族に犠牲が出なかったので話せるのでしょう。そこらに散乱している木材で、祖父がさっそく作った臨時の小屋は、その晩の嵐で柱と天井が吹き飛ばされたそうです。
おそらくもう大半の日本人は、こういう聞くのも忌まわしい話題は、避けて通りたいのだと思います。弱くなった、とは弱い私も言えませんが、強くなろうとか、嫌でもやらなくてはならないものもあるとか、そういう発想は、エネルギーの無駄使いにしか思えないらしい。
このアニメ映画は、左翼のイデオロギーを持ち込んでいないところが良い、というご意見もあるようです。戦争に反対することと、左翼活動は同一のものではないし、それに軍事をイデオロギー問題にしたのは、彼らの好きな現政権でしょう。原作はけっこう昔のものだそうですから、時代の趨勢に巻き込まれ、私にこんな言われ方をするとは、作品も不運です。長くなったので、後半は次回とします。
(おわり)
暑いので、なかなか朝顔が咲かない。
(2018年8月12日撮影)
とてもやりきれない − ザ・フォーク・クルセダーズ
.