おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

我等の生涯の最良の年  (第1138回)

 2017年も残りあと僅かとなりました。本年は、その前の年に亡き伯父の戸籍や軍隊の記録が見つかったのを機に、結婚したばかりの彼が戦死したマリアナテニアン島に旅行に行ったり、関連の調べ事をしたりで、戦争のことを考えることが多かった年です。与党と同じだな。

 締めくくりに、12月8日を迎えて借りたくなった先の大戦に関連する映画を二本レンタルしたので、今回と次回にその感想文を書きます。ちなみに、今の若い人は映画を一本二本とは数えないのだろうか。かつてはバウムクーヘンのような海苔巻きのような、筒状のフィルムが媒体だったのだ。


 今回は先に観た「我等の生涯の最良の年」。アメリカ映画で、原題を”The Best Years of Our Lives”という。1946年の公開作品だから、うちの国との戦争が終わった直後に、制作・公開している。作品内の時代設定も同じです。

 そのころの日本はまだ都市部や被爆地など焼け野原だったろうな。しかし、高度成長も始まっていない1950年代には、黒澤映画とゴジラが出てきたから、これは大したものだ。思えば戦後の沈滞ムードと、邦画の繁栄は無縁ではなかろう。例えばゴジラは原爆の子、三船は特攻隊基地の軍人だった。


 さてと。以下、筋にも細部にも触れますのでご注意ください。「我等の生涯の最良の年」は古い白黒映画であるが、デジタル加工をしてあるのだろうけれど、それにしても映像も音声も驚くほどきれいで、私よりずっと古びていない。英語も分かりやすい。字幕の助けを借りれば、早口になる冗談の箇所以外はほとんど分かる。

 カメラは、ジョン・フォードとともに「ミッドウェー」と「真珠湾攻撃」を撮影したトーランドで、戦争のドキュメンタリー記録とはうって変わって、むやみに場面を切り替えず、落ち着いた雰囲気に収めている。


 モノクロは写真もそうだが、陰影の処理が難しくて、へたすると目付きが悪くなってしまうものだが、全くそういう瑕疵が見当たらない。それに全編にわたり、鏡と写真の使い方が上手い。特に鏡の工夫のおかげで、下手な3D映画よりも、ずっと立体感の豊かな絵になっている。

 音楽もいい。ジャスには不案内だが、あのピアニストは斯界の大物だそうではないか。連弾の場面も秀逸。テレビや携帯端末なんぞがないのも、私には落ち着いて観ていられる要素になっている。その代わり、兵器やそのスクラップは恐ろしくも本物だ。


 主人公の男三人は、たまたま出身地と除隊時期が重なった復員兵で、陸海空がそろっている。この映画は、登場人物たちと同様、実際その当時おおぜいいた復員兵(特に傷痍軍人)と、その家族、恋人、仕事仲間のために作られた作品だ。

 役者はマーナ・ロイバージニア・メイヨしか知らなかったので(偶然、女優だけ)、以下、いちいち名前を挙げない。主役の三人とは、最初に出てくるのが空軍の爆撃手だった大尉(キャプテン)、次が一番若い海軍の空母の機関手だった青年(セイラ―)、最後は年長の陸軍歩兵の軍曹(サージェントを縮めてサージ)。


 集まった瞬間に戦友になるというのも羨ましい間柄だが、一方で、三人は故郷に着く前から、これからが心配だと言い合っている。この映画は、普通にみれば彼らの復員の苦労を丁寧にうつし、また、それを支える周囲を描いたホーム・ドラマということになるのだろう。それもまたよし。

 でも私は映画に関する限り余り普通ではないし、特に冒頭申し上げた通り、第二次世界大戦と関わりがあるというから借りて観たのだ。戦闘の場面が無くても戦争映画と呼べるのならば(朝ドラと似ている)、これも戦争映画だ。以下、そう思う理由を述べます。


 少し理屈っぽいのをお許しいただくと、日本語文法の名詞には、単数形と複数形の明確な違いがない。邦題の最後はこのため「年」になっているのだが、原題は複数形の「Years」だから、堅苦しく直訳すれば「幾歳月」のような長さのある期間です。

 しかし、作品自体は少し長尺ではあるけれど、そんなに長い日々を描いたものではない。推測してみる。セイラーに支給されている障害年金のようなお金は2百ドル。キャプテンが財務省からもらったという失業手当のようなものが千ドルで、サージが再就職した銀行における重役の年俸の一か月分にあたる。


 大雑把にいえば、キャプテンの千ドルは、今の日本円にして数十万円くらいだろう。彼はこれを奥様と二人で、奥様が驚くほど速く使い果たしてしまい、でもまだ就職先が決まっていない。決まって間もなくストアの客を殴打一撃でノックアウトしてクビになっているので、この映画はせいぜい数か月の長さだろう。何年もの長期間ではない。

 人は「生涯で最良の日々はいつですか」と訊かれたら、どういう風に答えるだろう。ここで「今です」とか「これから来る」とか答える人は、自己啓発のやりすぎで、首相と同じ未来志向に陥っている。山あり谷ありの人生経験をもつ人は、これまでの人生を振り返ることだろう。


 先ほどお出ましいただいたキャプテンの奥様は、現行犯の浮気が見つかってしまった際、夫に「私の人生の一番良かった日々が台無しになった」と勝手に怒って出ていく。軍人の夫の高給があり、自身はナイトクラブで働いて、自由な私生活を楽しんでいたのに、いきなり貧乏になった経緯を踏まえてのご発言だ。

 映画は途中で、この先どうなるのだろうと心配しつつ、この幸せそうなタイトルだから、きっとハッピー・エンドだろうという根拠の薄い心の支えにもたれかかりながら観ていく。確かに大団円のように終わるのだが、この先、順調にいくかどうかは神のみぞ知る新生活である。


 冒頭で広い意味では戦争映画だと書いたのは、太平洋戦争が終わったあととはいえ(服装からして、まだ寒い季節になっていない)、男三人にとって戦争の傷跡は深い心の傷になっている。勝った方であっても。呑み出すと止まらなくなる。

 セイラ―はフィリピンで船が沈む際に大火傷を負っている。戦友もおおぜい亡くした。空母が沈んだとなるとレイテ沖か。サージは、死んだ日本兵から日本刀と寄せ書きのある日の丸の旗を手に入れ、そのあとヒロシマに行った。その彼に融資の申し込みに来た男は、硫黄島に上陸した工兵で海兵隊員か。サージは依頼を断れない。


 キャプテンの「職場」は、最初と最後に出てくる。ボーイング爆撃機、B-17のボンバーだった。日本に空襲と原爆をもたらしたB-29の先輩機であり、大西洋戦線ではナチス・ドイツと戦い、1942年ごろソロモン、ダガルカナル、ラバウルの上空で零戦と戦った。

 彼らの家庭生活の再構築や再就職は、この戦争の間に得たものや強いられたものが直接の援けになっている。それは技能のようなものではなくて、長年にわたる戦場で身に付けた姿勢や忍耐や人間関係だ。振り返れば、それが最良の日々であっても良い。勝ったから言えるんだが。


 戦闘の話で終わるのも無粋なので、その他のエピソードについて幾つか。映画の結婚式の場面ほど退屈なものは稀だが、この映画は別格だ。母と娘、父と息子の関係も、それぞれ味わいのあるものになっている。脚本がしっかりしています。

 そういえば、何か所かに「ジャップス・アンド・ナチス」というセリフが出てくる。一括りで、フィッシュ&チップスか。この時代の戦争体験者では仕方がないか。しかも、監督と製作がユダヤ系だし。


 最後に、キャプテンが町を出ようと家出するとき、胸を飾る勲章とともに贈られた表彰状を、親に渡して置いていく場面がある。後に父が母相手に読み上げているが、私が観たDVDのヴァージョンには、日本語字幕に誤植がひとつある。父さんが最後に読み上げた感状の発行者が、第八空軍の「空軍中尉ドゥーリトル」になっている。

 英語の音声は「コマンダー、ルーテナント・ジェネラル」になっているはずなので「空軍中将」だ。叙勲は軍隊の人事でも最重要事項だから、中尉さんでは無理だろう。司令官にもなれないし。欧州でキャプテンが従軍していた頃の第8空軍は、確かに司令官がドゥーリトル中将であり、史実と合っている。

 このドゥーリトルは帝都東京の初空襲をやらかした男として歴史に名が残っている。キャプテンのご両親が嬉しそうだ。男の私としては出番が少ないが、父と子の場面が印象的だ。誰が言ったか、正確にはなんといったか忘れたが、この世に愛の言葉がなくても保てる愛情があるなら、それは父親と息子の間にある。





(おわり)





寒い季節の我が家の日の出
(2017年12月13日撮影)








 おやじが人を愛することを教えたこと
 おやじは惨めなくらいに一人ぼっちでしたよ

           「おやじの唄」 吉田拓郎











































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