おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

パンクの女王  (第1073回)

 パティ・スミスの顔と名前だけなら、四十年以上も前から知っている。デビュー・アルバム「ホーセス」のジャケット写真。白いブラウスの肩に上着を掛けた立ち姿。確かラジオで彼女の歌を聴き、「これは、ついていけない」とあっさり諦めた私。1970年代の半ばはパンク・ロックの興隆期であり、彼女もそのジャンル内で語られていた。

 ネットのない時代、最新の音楽情報は友からの口コミか、時おり立ち寄るレコード屋においてある月刊のカタログ集。これを持ち帰れば、新譜やコンサートの情報が載っている。見るのみだけど、何度も読んだな。パンク草創期の強烈なジャケットの数々を覚えている。パティ・スミスもその一人。


 その彼女が今年(2016年)の夏に来日している。親しかった故アレン・ギンズバーグの詩を朗読したらしい。それを村上春樹らが全訳して、プロジェクターで映写したそうだ。会場は我が家から三十分くらいの距離で何度か行った場所なのに、終わってから知った。こんなもんだ。

 と思っていたら、先週テレビに彼女が映った。別件で12月10日、スウェーデンストックホルムで開催されたノーベル文学賞の授賞式典だった。受賞者のボブ・ディランの代役で、ディランは「先約があるので失礼」という、私が飲み会を断るときの口上レベルの理由を伝えて欠礼した。代理人が一曲歌って帰ったと聞いたら、泉下のノーベルも、さぞかし喜ぶだろう。


 デビュー前のボブ・ディランはラジオで音楽を聴きながら、文学が世の中を変えようとしているのに、ポップ・ミュージックは旧態依然の生ぬるさだと憤っている。自伝で彼が挙げている文学とは、1950年代のビート・ジェネレーションのもの。

 代表作であるケルアックの「路上」、前出アレン・ギンズバーグの「吠える」、グレゴリー・コーサの「ガソリン」。私はコーサさんを知らないが、ネット情報によると、ディラン・トーマスが死んだNYの病院で生まれ、ボブ・ディランが生まれたミネソタで死んだ。アメリカって、狭いのか?


 ディランは一時期、「路上」が自分にとってのバイブルのような本だったと書いている。ごく若い頃に彼が慣れ親しんだ音楽、文学、映画の作品群は、自伝に書いてある数量だけでも膨大なものだ。系統だったものではない。南北戦争のころの新聞も熱心に読んでいる。

 その混沌の中から、彼の詞は生まれ出づる。ティーンのころからディランのようになりたいと願ってきたというパティ・スミスによれば、「彼は私たちの文化のリーダー」であり、「彼は歌詞や旋律を歌うのではなく、歴史を歌う」ということらしい。褒め過ぎたのか、褒め方まで文学的だったか、このほどピンチ・ヒッターの役を仰せつかった。


 授賞式の前日のシンポジウムの際、パティが受けたインタビューの概要を、朝日新聞が報じている。スミスさんと、ディランさん。不勉強でアレン・ギンズバーグの詩も、ヘッセの「ガラス玉演戯」も読んでいないが、モティーフは反戦であるらしい。願いは満場の科学者に届いただろうか。

 スミスさんは10日の授賞式で、式典を欠席するディランさんの名曲「はげしい雨が降る」を披露する予定。シンポジウムでは、この曲の 「大勢の人がいるが両手は空っぽ」「飢えはひどく魂は忘れ去られている」といった歌詞の一節を引き合いに出し、「アーティストは世界の問題点を明確にし、科学者や研究者は実際の解決をさぐる。願わくは、私たちは同じ目標に向かって取り組んでいきたい」と述べた。スミスさんはまた、1946年のノーベル文学賞受賞者ヘルマン・ヘッセの長編小説「ガラス玉演戯」の一節を朗読した。






(おわり)





さざんか さざんか  (2016年12月6日撮影)








 Jesus died for somebody's sins but not mine.

 イエスは誰かさんの原罪のために死んだ
 私の罪は 置き去りのまま

        ”Gloria”  Patti Smith





























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