おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

バングラデシュ  (第1038回)

 バングラデシュには出張で三回、行ったことがある。もう20年ほど前だ。現地の滞在日数は合計で4週間ほどだったろうか。いずれも首都ダッカが主な宿泊地で、ときどき地方に行くような行程だった。当時アジアの最貧国の一つで、文化も気候も食べ物も日本とは大違いだから、楽な出張ではなかったが、嫌な思いをした覚えはない。農村で陸棲の蛍を見たことがある。

 いずれの出張も私を現地に派遣した組織は、先週末に7名もの日本人出張者が亡くなられた惨事が起きたのと同じ政府の外郭団体で、主な目的も同じく調査だった。大切な社員を失った企業のうち、2社とは一緒に仕事をした記憶がある。そういう業界や業務から離れて久しいが...。大使館の近くというから、何度も仕事や食事で歩いている。


 途上国では、治安はどこでも要注意だが、当時のダッカは比較的、安心して街を歩けた。晩飯がてら同行した先輩と、ようやく涼しくなってきた日没後のダッカの中心街を、一時間ほど歩いたのを覚えている。大変な人出であった。みんな白くて長い服を着ており、髭をはやしていない当方の顔を見て、なんだこれはという表情をする。

 今般の報道で現地に長くお住まいの邦人の方々が、親日家の国なのに信じられないと言ってみえた。経済的にも歴史的にも、同国と我が国は対立構造や、面倒な利害関係の中に置かれたことはないはずだ。戦争を放棄し資源と食糧を輸入に頼る日本としては、あらゆる国との間で平時外交により、良好な関係を維持し続けなればならない。ずっとそれが上手くいっていた国というのが、私の認識だった。


 辛い話題だが、明日からの激務に備えて、できるだけ気持ちの整理をしておきたくて書いている。小学校の社会の授業で、世界地図や地球儀を見始めたころ、この国は「パキスタン」という国名で、ローマ帝国同様、一つの国が東西に分かれており、しかもこちらはインドを挟み領土が飛び地とあって、東パキスタンと呼ばれていた。

 当時アメリカのホーム・ドラマやヨーロッパの映画などを見るたび、日本は世界で一番、貧乏な国なんだろうなと思っていたものだが、高学年くらいになると国際のニュースも見て分かるようになってくる。ビアフラやバングラデシュで、悲惨な戦争、内乱、飢餓、難民といった問題が起きているとのことだった。

 
 今は亡きジョージ・ハリスンが、そのバングラデシュの救済コンサートを主催したのは、1971年というから、私がビートルズを聴くようになる一二年前だ。そのあと暫く意識の外にあった国に出張に行くようになったのは、バングラデシュパキスタンの国担当になったからであり、それらの国々で実施する事業の企画や管理をするバック・オフィスの一員だったからだ。

 担当になる直前の1991年、バングラデシュの特に沿岸部は、最大級のサイクロンに襲われ、約14万人の死者を出している。担当した事業の中には、普段、学校や病院として使い、暴風雨の非常時には避難所となるサイクロン・シェルターの建設プロジェクトもあった。自分が参加した事業の中で、あれほど地元の関係者から感謝の言葉を受けたものも少ない。


 今回の憎むべきテロは、断食月ラマダンにおける最後の礼拝の日である金曜日の夜に起きた。こういう記念日的な日は危ないというお達しも出ていたようである。こうした広報や報道は、今(あるいは今後)、イスラム教の国で働いたり暮らしたりしている邦人には、不可欠の情報である。

 だからと言って今回、そんな日にレストランで外食をしていたということを非難するのはやめてください。パキスタンバングラデシュへの出張のうち、確か2回、この断食月と重なったことがある。外国人で異教徒の我らに断食の義務はないが、なにしろ都会の高級ホテル以外は、食事ができる店は昼間、閉っている。

 仕事で会う相手国の方々は、当然、食事はおろか飲み物も駄目だ。暑い国なのに。このため、交通事故が増えるらしいが、仕事は仕事、自分たちだけランチで中座という訳にもいかない。気軽に立ち寄れる娯楽施設もなく、だから日が沈んでからの夕食は、一日で最大の楽しみだった。カレーやタンドリ・チキンが美味しいのに、酒を飲めないのには参ったが。


 かつて小欄では、最初の出張時に、相手国政府の高官が面会後に出入り口まで送ってくれた際、「コーランを読んだことはあるか」と笑顔で尋ねて来た話を書いたような覚えがある。担当になったなら読めと言われた。彼は英語で「It's a nice book.」と仰った。ナイスね。「読む」と約束したまま四半世紀が経とうとしている。

 今回の凶悪事件では、コーランが人殺しの道具に使われた。こいつらは、ムスリムではない。分厚い宗教書で、しかも法律に類するものまでぎっしり書かれているらしいが、男の約束だ、コーランを読もう。そうしないと、このままではイスラム教を嫌いになってしまうかもしれない。少なくとも敬遠しそうだ。


 先日のトルコでも、そして今日はイラクでも酷いテロがあった。単なる無差別ではないのが恐ろしい。一部の教条的狂人らにとって、もう私たち日本人は明確に敵国人である。十字軍には参加していないし、同じ黄色人種だか、自国民やムスリムを巻き添えにすることさえ平気なのだから、何を云っても無駄だ。

 戦争について無知で単純な当方は、戦乱というものは昔ながらの領土や資源の奪い合いか、さもなくば東西のイデオロギーの対立、権益・権力の争いで起きるのだと思って来た。実際、子供のころの戦争は、今でもそういう解釈で見当はずれということはあるまい。でも、イランイラク戦争のころから、訳が分からなくなってきた。そして大抵、アメリカ合衆国が絡んでいる。


 先日、オバマ大統領が、米国も世界の警察官はもう務まらない旨の発言をしたらしい。オバマさんは立派な大統領だと思うが、彼に限らず「世界の警察官」という表現は、世界中の警察官に失礼だろう。初めから殺し合う気で軍隊を出しているのに。

 オウムの実行犯は、自分たちだけコソコソ逃げた。卑劣だが我が身大事で、これだけは人間的である。されど、自爆テロの連中が考えていることは、さっぱり分からない。生涯考え続けても分からないだろう。そんな奴らに命を絶たれるとは、どれほど無念か。今の私はご冥福を祈る元気も出ない。どうか安らかにおやすみください。






(この稿おわり)







夾竹桃 (2016年6月4日撮影)

 キョウチクトウは、広島市の花。盛夏の象徴。生命力も強い。
 被爆の地では、数十年は草木一本、生えまいといわれた。
 しかし同市のサイトによれば、この花が真っ先に咲いたらしい。
 インド亜大陸の原産。花言葉は注意、用心。












 Such a great disaster,
 I don't understand.

   ”Bangladesh”  George Harrison








































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