おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

冒険者たち  (第991回)

 前回は、もう一つボクシングの話題を出そうと思っていたのですが、長くなったので今回に持ち越しです。映画「ミリオンダラー・ベイビー」において、ミリオンダラーは、たくさん金を稼ごうという程度の意味合いで出てくるのだが、原作の小説はもう少し詳しい。この短編小説の原題は「Million $$$ Baby」と書く。気の利いたスロット・マシンのようだな。

 その中でボスとマギーは、女ボクサーとしては初めて、一試合で百万ドルを稼ごうという壮大な興行の計画を立てる。女ボクサーで初めてということは、男ボクサーはすでにその遺業を達成した者がいるということだ。何人いるか知らないが、最初にこの記録を打ち立てた男の名は歴史に残っている。ジャック・デンプシー。1919年から1926年まで、ヘビー級の世界チャンピオンだったアメリカのハード・パンチャーである。


 引退後、デンプシーはマンハッタンでレストランを経営していたそうだ。私が生まれて間もない1961年の冬のある日、彼の店に知り合いが若者を連れてきた。その知り合いとは、音楽作品の著作権を管理する会社の取締役であった。

 ちょうどその日に契約を交わした相手の青年を連れて、まずビル・へイリ―・アンド・ヒズ・コメッツが「ロック・アラウンド・クロック」を録音した「ちっぽけな」スタジオを見物してから、デンプシー食堂まで食事に来たのだ。


 ジャック・デンプシーは同行の若者を見て、三つのアドバイスを与えた。(1)それではヘビー級には軽すぎる。もっと肉を付けるように。(2)もう少し、いいものを着ろ。(3)強く殴り過ぎることを恐れるな。最後の(3)は、彼の人生そのものだ。しかし取締役は、青年がボクサーではなく、曲を作っているのだと説明した。

 「そうだったのか」とデンプシーは早とちりを撤回し、親切にも「よし、その歌が聞ける日を楽しみにしよう。幸運を祈るよ。」と言ってくれた。チャンプは長生きした。だから後年、その青年がボブ・ディランであることを知ったかどうかはともかく、その歌は聞いたに違いない。お互いに、幸運を祈り、祈られた甲斐があったというものだ。


 これはボブ・ディランの自伝の冒頭に出てくるエピソードである。この先もずっと、かくのごとしでディランは記憶力一つとっても常人ではない。一度見た人の顔は忘れないと書いてあるが、人の名も忘れないようで、無名の人たちの名前も次々と出てくる。

 それより印象的なのは、この殺し屋とまで言われたボクサーがかけてくれた言葉も含めて、彼は人から受けた好意や恩ばかり書いていて、自慢話や他者への攻撃が殆ど出て来ない。これほど感謝の気持ちがあふれた本というのは滅多に読めるものではない。

 二三年前に買ったまま読まずにいた厚めの「ボブ・ディラン自伝」を、近ごろ少しづつ読んでいる。これから時々、彼の言動を引用することになると思うが、特にお断りしない限り、この本が出典である。もの覚えの良い本人が書いているのだから、これ以上のテキストはあるまい。


 さて、そのジャック・デンプシーのほうだが、彼の顔写真を見ると一目瞭然で、純粋な白人でも黒人でもないことがわかる。幾つかの資料にざっと目を通したところ、北米インディアンのチェロキー族の血を引いているらしい。インディアンの部族の中でも人口が多く、文化の発展度も高かったそうだ。このため、アングロサクソンとの交流や、他方で反目も多かったらしい。

 インディアンはモンゴロイドだ。つまり我らの親戚筋である。遠い昔にベーリング海峡のあたりを踏破したのか、それとも太平洋を小舟で渡ったか、いずれにしろ、きっと何世代もかけての大冒険。たいした度胸と根性である。ともあれネットで「チェロキー 有名人」などと検索すると、本当かよと思う程に、特に音楽と映画の分野で活躍する人たちの名が続々と出てくる。その全てが事実かどうかは知りようも無いが。

 でも一人ぐらい名を挙げよう。せっかくだから「20世紀少年」に出てくる人が良い。ジミ・ヘンドリクス。赤ん坊のころのジミというのも想像しがたいが、彼も蒙古斑が出たのだろうか。映画では残念ながら、ジミヘンのギターは出て来ない。そもそもお姉ちゃんからギターを贈られた話からして割愛されているので仕方がない。


 コンサートのあと、夜なのにカンナを背負ったまま、ケンヂは放火による火災で変わり果てた元コンビニ兼自宅の焼け跡を訪れた。幸いご近所への延焼はほとんどなかったようだが、唐沢ケンヂは大粒の悔し涙をこぼしながら、畜生とつぶやいている。ここに至るまで、彼の怒りはだんだんと増殖してきたものだった。

 ドンキーを殺され、たくさんの人が自分の子供のころ書いたシナリオで死に、お姉ちゃんの行方が分からない。カンナが連れ去られかけて、彼にとっては聖地であろうコンサート会場から、道端に投げ捨てられた。そして、ついに家も店も焼かれた。文字どおり自分の足元に火が付いて、ウロウロしている訳にはいかなくなったのだ。


 正確にいえば自分も危なくなったという、何とも人間的で宜しい理由のみならず、焼け跡から手焼きせんべいのブリキ箱に収納された「よげんの書」が出て来た。これには敵と戦う方法が書かれているはずであった。漫画のほうには、それが理由でケンヂが決意を固めたと神様が見抜いている。

 実は期待したほどの予言内容ではなかったのだが、それはともかく、決定的な考古学上の証拠品が出土したのだ。何の恨みか分からないが、彼は自分がターゲットにされていることを確信した。映画では、ケンヂとカンナには寝る場所もなく、やむをえず近所に避難することにしたらしい。そろって商品は入れ替えたが、マルオは今もそばに住んで店をやっている。そして出陣には威勢のよい音楽が付き物である。






(この稿おわり)








これが郵便局であることを理解するのに時間がかかった。東京駅前。
(2016年2月2日撮影)





まもなく拙宅から富士山が見える季節も終わりです。
(2016年2月16日撮影)











 There's too much confusion.
 I can't get no relief.

 手に負えない混乱。
 息つく暇もなし。

   「見張塔からずっと」 ボブ・ディランジミ・ヘンドリクス









































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