おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

Oh! Darling  (第979回)

 満を持してのユキジ初登場場面のセリフであったが、やはり原作の壁は高く、監督は更に厳しかったようでトキワのユキジも、「いきなり、あたしの股間に首、突っ込んで舐めんのよ」と吠えている。

 しかも、漫画では賑やかそうな焼き鳥屋で酒が入っているから情状酌量の余地があるが、今般は成田空港という公共の場かつ公務中でユニフォームを着たまま、職場のど真ん中である。


 隣では市原弁護士役のピンクの電話が、ピンクのドレスを着ている。いやはや、似てらっしゃる。ご本人のブログがあり、ザ・ローリング・ストーンズの大ファンであられるらしい。

 後段でバンドのポスターに見入っているシーンが印象的で、メンバーの呼び方が「春さん」(drams)、「遠藤ケンヂ」(vocal, lead guitar)、「おじさん」(bass guitar)となっている。ビリーは焼き鳥屋のおじさんなのだ。


 常盤貴子はケンヂやオッチョらの役者よりも一回りほど年下で、大雑把にいえば20世紀のユキジに年齢が近く、21世紀の再登場以降は老け役である。しかしながら私が程よく歳を取ったせいか、後半のユキジのほうが魅力的だと思う。目が綺麗でスタイルも良い。あの大家さんのようにはなるまい。
 
 1997年時点のどこか鬱屈しているユキジの様子も上手く醸し出している。嫁入り前とか、お嫁に行けないというのは、もう放送禁止用語なのだろうか。角度を変えて、「結婚して普通の主婦」「という噂は無いわけ?」になっている。

 これも今となっては、ポリティカリー・コレクトではないかもしれない。今回は際どい表現が多くなりそうなので、予めご容赦願います。特にハラスメントに過敏な方は。


 青の三号も登場するのが嬉しい。青いスカーフもよく似あっており、「あのバカ犬」という芸名も健在。しかも、漫画ではもっと品位に欠ける態度だったように思うが、ハンドラーと違って映画では職場の空港内とあって、比較的まともな勤務態度である。

 市原さんは、なぜかペロペロ・キャンディをなめており(さすがに成田空港で、たこ焼きは買えないか)、どうやら外国からご帰国なさった折に、旧友のユキジを尋ねて来たご様子。

 弁護士には多忙を極める事案があって、変な宗教に家族を奪われた被害者の会から、ジャンジャン電話がかかってきているのであった。かつての電話は、ジャンジャン架かってきたのだよ。ピンクの電話は、もっぱら架けるために使う屋内用の公衆電話だが、もはや絶滅危惧種だろうな。


 それまでブルー・スリーの品行に頭を抱えていたユキジは、友人が見せた変な宗教のシンボル・マークを見て驚いた。それは彼女が小学生だったころ、冬支度に入った原っぱで見上げた覚えのある旗に描かれていたものと同じであった。

 ユキジが知っているのを知り、驚いたのを見て市原さんも驚いている。だが、この場面は唐突に終わる。無事、入管と通関を潜り抜けたらしいご主人が出て来たのだ。

 漫画では妻たる節子さんのフェロモンとやらに参っている設定のご主人は、驚くべきことに国際結婚だったようで、しかも日本語がおできになる。遠くから荷物が出て来たと声をかけつつ、お互いをダーリンと呼び合う青い山脈のような二人の爽やかさに、思わず「ダーリン?」と復唱してしまったユキジであった。しっかり相手を見ている。


 もう十年以上も前、すでに英米では「darling」という呼び方は、日本で「あなた」が絶滅危惧されているのと同様、古びつつある昔の語法であると聞いたことがある。確かに、映画でも殆ど聞かないような気がする。フィクションでも、ラムちゃん以降、覚えがない。歌詞では沢田研二以降、覚えがない。春が来ても夏が来ても...という歌なんだが、あれは何十年前か?

 今回のタイトルは、1969年発売のアルバム「アビー・ロード」の収録曲。ピアノが良い。遠い昔、職場の先輩女性が「ビートルズの曲の中で一番好きだね」と笑顔で語ってくれた記憶がある。その彼女も国際結婚で、ご主人はまともな方で、いや別に他意はないのですが。

 その後、我が身辺においては、十数年前に仕事仲間の或る後輩女性から、当時、課長代理だったので「代理」と呼ばれていたことがあり、それが若干、舌っ足らずで「ダーリン」に聞こえるため、そう告げたところ、周囲も含めて大いに喜ばれ、その日一日の流行語になった。良い時代であった。人間は多少、からかいあったり、こづきあったりしながら成長していくものだと思うのだが、不寛容がそれを邪魔する。


 この映画のいいところは、子役がそろって元気いっぱいであり、地なのか演出なのか分からないが、それぞれ個性も存分に発揮している。ユキジ役の少女も、運動神経が良さそうだし、怒らせると怖そうで適役である。よく陽に焼けているなあ。

 むかし吉行淳之介(諸星さんのお母さん役の、お兄さん)が、白くてきれいな肌の女性に子供のころどうだったと訊くと、そろって色黒だったと答えるんだと言っていた。この分野で彼の保証付きとあらば間違いあるまい。将来も有望ではないか。


 漫画のユキジは慎重で、最初にクラス会の開催という観測気球の打ち上げを起案するのだが、映画のユキジは直截的で、いきなりケンヂのコンビニに乗り込んでいる。そこでお互い未婚であることを確認し合い、微妙な空気が流れている。この二人だけの男と女の話題は、映画の趣旨に沿わなかったようで打ち止めになっている。しかたない。

 「お嫁に行けない」という言葉も今や駄目か...。「嫁入り前」もあかんか。前に書いたように「嫁」が禁止なら全部ダメだ。嫁入り前と言う言葉は、こういう主張は何度でも繰り返すが、決して差別や軽蔑のための用語ではなく、女性にだけ厳しかったというのは確かだが、その人の立場や将来を慮って使うものであった。もう手遅れだな。


 さて、コンビニではカウンターの「ケンヂくん」が元気そうだったし、初顔合わせのカンナも可愛くて、行った甲斐があったかに思えた。赤ん坊の性別は実に分かりにくいし、訊きづらい。

 漫画では神様は堂々と間違っていたし、映画のユキジも無遠慮に「女の子?」と尋ねている。同級生だもんね。忘れ物も届けてやった。へたくそなロックも観てやった。今回はドンキーとオッチョに関する情報交換もした。


 しかし、その日に頼んだ市原弁護士への接触は、ケンヂくんが多忙を理由にすっぽかし、「会わなきゃよかった」ことになる。これは世の中、日々至るところで、胸の内に浮いては沈んでいる思いだろう。普通は相手には伝えないし、会うこと自体も改めて出かける気にもならない。

 でもユキジはしっかり伝えている。まだ、やらなくちゃいけないことがあるからだ。だが、この時点のケンヂは、まだ本気を出す準備ができていない。映画の順番で行くと神様のお呼び出し、姉ちゃんの部屋、羽田とコンビニの被災、コンサートでの洗礼が待っている。






(この稿おわり)







寒緋桜  (2016年1月16日撮影)





 おまえの涙 苦しんだことが
 卒業してしまった 学校のような気がする夜

    「ダーリン・ミシン」  RCサクセッション








 ”Mo chuisle” means my darling, my blood.   ”Million Dollar Baby”





































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