おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

コンビニ考  (第963回)

 映画でも大人のケンヂはコンビニ店長として初登場する。主演は唐沢寿明。初めて彼を観たのはいつだったか...。「利家とまつ」は会社が忙しいころで、土日は出勤か睡眠だったから観ていない。おそらく、「ラヂオの時間」をレンタルで観たときが初めてだろう。渡辺謙のトラック野郎が最高であった。

 漫画ではケンヂ店長もそれなりに働いているのだが、映画では全く冴えない。そもそも冒頭のシーンが、小学生じゃあるまいし、本社営業の大竹さんに(彼も漫画に似ているねえ)、発声練習をさせられているのである。確かに下手だ。大竹担当に演歌歌手だったかと訊かれている。こぶしが爽やかでないと言われている。


 しかも、靴のかかとを踏んだままで説教も食らっている。これはさすがに叱られても仕方がない。子供のころ親や先生によく、かかとを踏むんじゃないと叱られたものだ。しかしこれには時に事情もあり、成長期なのに新しい靴をなかなか買ってもらえなかったのだ。貧しいのだから親を責めはしないが、でも足が入らなくなってくるのです。学校の上履きは、それを見越して、よく伸びるゴムでできていた。

 さらに、これは漫画でも同じなのだが、ケンヂは制服の前のボタンを全部はずして歩き回っている。ロックバンドじゃあるまいし。後年、サナエがほのかな想いを寄せたコンビニの同僚、中川先輩はグータラ節を口ずさみつつ、この曲はコンビニを良く知っている人が作った歌のような気がすると、鋭い洞察力を見せている。ただし、それに加えて、ぐーたら姿で働いていたことまでは知るまい。

 売り子の制服は水色と白の縦じまであり、映画では店の外装も色が分かるので、どのコンビニを真似たのか分かる。商品も本物で、カロリーメイトがある。かつては開発途上国によく出張に行ったので、カロリーメイトは朝食や非常食として携行必需の食品であった。あの商品の発想は、夜勤が厳しいお医者さんから生まれたと聞いたことがある。さすがはプロだ。


 お母ちゃんは石井トミコさん。ご本人のブログによると、NHKで初めて水着になったという経歴の持ち主。一体、いつの時代の、どのようなお姿であったか、ぜひ知りたいものである。コンビニの騒動や新聞報道のたびに目を丸くしている。映画では、遠藤家の皆さまはそろってドングリ眼の体質であり、お母ちゃんの遺伝によるものだろう。

 バイトのエリカちゃんが早速、登場していて、池脇千鶴があのかったるい感じを良く出している。第一章のみの登場ではもったいない女優であり、漫画と同じくらいの出番があったなら、ぜひ敷島娘を演じてもらいたかったものです。


 この店内の会話から、アフリカで伝染病が流行り出した件、姉のキリコが赤ん坊を置いて失踪したこと(お母ちゃんは20世紀の古語で「蒸発」と表現している)、このコンビニが昔は酒屋だったことなどが出てくる。そして、遠藤酒店をコンビニに転業したのは、ケンヂであったと映画のお母ちゃんは断言しつつ怒っている。漫画では主語が明言されていない。

 もっとも、漫画では第11集でケンヂがカンナに、バンドを解散して実家に戻り、「酒屋をついだ」と言っている。このとおりとすれば、酒屋を継いだはずのキリコが急にいなくなり、ケンヂが戻って跡継ぎになったというのが自然の解釈だろう。

 ケンヂはなぜバンドを解散したのか自分でもよく分からず、このときもカンナに「強くなかった」からバンドをやめたと自らの人格の問題にしている。それはそれでそうかもしれないが、直接のきっかけが店主の蒸発だったとしたら、むしろ親孝行ではないか。


 でも、その後でコンビニに変えた。お母ちゃんは、これが気に入らない。お父ちゃんの形見でもあった代々のお店だったのに閉店されてしまったのだ。バカ娘とバカ息子のせいで。その割に、店の新聞をタダ読みし、梅おかかの握り飯をこっそり食っているのだから、ちゃっかりしたものである。おにぎりの件はしらばっくれているのであるが、エリカちゃんが証人となって、ぼそぼそ告発している。

 お母ちゃんは漫画でも映画でも、ケンヂに万引き扱いされて更に怒り嘆いている。このころのケンヂは、本当に1970年の万引き事件のことを忘れていたらしい。盗癖も遺伝なのかな。お父ちゃんは破産しているし、お姉ちゃんは結婚が上手くいっていないし、全部まとめてケンヂはコンビニのように欠点と悪運の品ぞろえが豊かだ。ところで、ケンヂが親に食ってかかるのも無理はない。


 コンビニは複数の本や同業界で働いている人の話を総合すると、ケンヂの店がそうだと思うのだが、フランチャイズのシステムを取っている場合、本社が各店に課す上納金(かっこつけて、ロイヤルティと呼んでいる)は、粗利に所定の率を掛けて算出する。

 粗利とは、これでも元銀行員なので威張ると、売上高から仕入れ値を引き算したもので、しかし未だ諸経費を引く前の段階である。もしも、この段階で赤字ということは、コストプッシュ・インフレや流通の問題などで、仕入れ値が限界を超えて高くなっているか、売れなくて不良在庫が発生しているか、理由はともあれ経費節減では対処できない問題だから状況は深刻ということになる大事な指標である。


 しかも、コンビニ業界の場合、これに加えて過酷と呼ぶべき仕打ちがある。念のため、私はコンビニを時々利用しており、そこで長時間の立ち仕事や運搬の仕事をしている方々には何の恨みもない。経営の問題である。上納金は単純に「粗利×定率」で決まるのではない。実際に売れた額なのではなく、売れたはずの額が粗利の計算に用いられる。

 従って、一旦仕入れた商品が何等かの理由で破損・紛失すると、計算上では収入としてロイヤルティ計算の対象になってしまうのに、実際は丸々フランチャイズ店の負担となる。たぶんお母ちゃんは、この計算方法を知らない。

 なぜならば、商品の破損や紛失の典型が、食品の賞味期限切れと、万引きだからだ。隠れて食べた梅おかかも、売り物にならなくなった新聞も、売り上げに架空計上されてしまうのだ。


 ケンヂはこれを知っている。だから、漫画でも映画でも、彼はお母ちゃんの盗み食いや新聞の立ち読みならぬ座り読みに厳しく、また食品在庫の確認・管理も一所懸命やっているのだ。

 この面ではコンビニとは売りつける商売というより、ほとんど自動販売機の管理者みたいな側面がある。コンビニで万引きをしてはいけない。賞味期限が切れた程度で、捨てるのも買わないのも良くない。そのうち日本も世界も食料危機が来る。


 以上は業界全体の話だが、次はケンヂの店に特有の話題である。地方や郊外のコンビニに行くと、店舗より広い駐車場があって、買い物客が自動車で来ることを想定していることがわかる。しかし、ケンヂの店も我が家の近所も、都市部のコンビニやスーパーは駐車スペースもないし、あっても土地代が割高になってしまうだろう。マーケットは自分で歩いてくるのだ。

 だから、駅やバス停、会社や学校など、大勢が集まる場所から歩行者が進む動線と距離が大きく物をいう。商品にさほど大きな差はないのだから。第22集に”ともだち”が復元した俺たちの街を、ケンヂとマルオが誘導されて歩く場面が出てくる。内心忸怩たるものがないマルオは好奇心丸出しで、まずファンシーショップになる前の実家、丸尾文具店に驚き、続いてジジババの店頭でも興奮している。

 その先に小学校があった。カツマタ君とケンヂの因縁と言えば中学校の屋上を思い出すが、第22集の学校は、第14集に出てくる夜の理科室に向かうモンちゃんやドンキーたちが入っていく小学校と全く同じ絵である。”ともだち”がなぜ小学校のほうを選んだかといえば、おそらく小学生時代に悲劇が起きたからだろう。


 さて、第22集に戻ると正確に再現されているならば、そして絵から私が想像するに、丸尾文具店とジジババと小学校は、同じ道沿いの近所にある。これは当然といえば当然で、当時の子供がよく行く小売店となれば、菓子屋と文房具屋であり、同じ道沿いのすぐ近くにあれば有利である。

 実際、ジジババの店がある道は、子供たちが下校したり、たむろしたりと賑やかであった。露天商の万丈目が路上で店を広げていたのもこの道だろう。沿道にはお店と民家が混在しているが、第1集でケンヂが配達のトラックを転がして通るマルオのファンシーショップのあたりは、商店街と呼ぶにふさわしい看板の数々である。すずらん灯も立っている。


 これに対し、ケンヂはマルオに向かって、そこを曲がると俺んちだと言っているので、遠藤酒店はマルオの店がある道と交差している道路沿いにあった。1997年当時のこの道は第2集に、コンビニが群衆に襲われたときにユキジの背後などに見えているのだが、心なしかマルオ通りより狭いし、すずらん灯もない。

 酒屋であれば来客ではなく配達が中心だろうから、仮にメインルートから離れていても大問題ではなかったのだ。当時は専売制というものがあり、うちの実家も酒のほかに専売の塩や、ほかにも味噌など重いものをまとめて配達してもらっていたものである。だが、コンビニでは繰り返すが、立ち寄り客を対象とすることを前提とした立地が命なのである。


 ケンヂの店の売り上げが振るわなかった事情の一つは、この店の場所にもあるのかもしれない。それに加えて熱意はともかく資質に欠けている模様の店長、商品を自家消費する母親、滑舌の悪いバイトという営業態勢では、売れるものも売れなくて仕方がないな。

 遠藤家の小売店舗は、一時期、キリコが老母と出来の悪い弟をかかえ、その青春を犠牲にして守ったお店だった。運命の子の誘拐未遂に加え、店を焼打ちにした連中に天罰が下ったのも当然の報いである。




(この稿おわり)





アオスジアゲハ  (2015年9月30日、近所の商店街にて撮影)














 愛はコンビニでも買えるけれど もう少しさがそうよ

             「運命の人」   スピッツ









































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