おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

Twist and Shout (20世紀少年 第701回)

 前回の続き。ビートルズのファースト・アルバム「ミート・ザ・ビートルズ」が録音されたのは1963年2月11日月曜日。私は2歳半で建国記念の日。かつて、ポピュラー・ソングは先ずシングルありきであり、アルバムは人気が出た歌手の福袋的な商品であったらしい。それを変えたのはビートルズと言ってよかろう。サージェント・ペパーズのころからだ。このため私と同世代のロック・ファンは、往々にしてアルバムを語る。

 漫画「20世紀少年」に出てくるレコード・ジャケットの絵も、音楽「20世紀少年」を除きアルバムのジャケットばかりだ。たぶん現代はシングル中心に逆戻りしただろう。一曲ごとにダウン・ロードするのだから。ともあれ60年代の当時は、若者もそう簡単にLPレコードを買えるはずもなく、シングル・レコードか電リクでヒット曲を楽しむのがほとんどだっただろう。そういう時代だったので、多忙な彼らは一日でアルバムの録音を仕上げる必要があった。


 前回紹介した本「ビートルズ レコーディング セッション」は、その日の様子をこういう表現で始めている。「音楽録音史上、これほど実り多い585分は他に例を見ないだろう」。既に発売されていた最初のシングル「Love Me Do」と「P.S. I Love You」を除くLP用の10曲を、彼らはアビーロードの第2スタジオにおいて、一日10時間労働で吹き込んだ。このころの録音技術からして、ほとんど全てスタジオ・ライブと言ってよい。

 イギリスはこの年、観測史上で記録的な寒さだったそうで、ジョン・レノンは風邪をひいており、のど飴をなめながらレコーディングに臨んだ。リード・ボーカルの一人が風邪なのにこういう仕事をしないといけないこと自体、契約の厳しさとアルバムの位置づけをよく示している。この日、ビートルズは昼飯休憩を断って働いている。ジョンは途中からミルクを飲み、ミルクでうがいまでし、最後に喉をつぶした。


 レコードというものを知らない皆さんに基礎的なことを書き残すと、黒い円盤の表と裏の両方に溝が掘ってあって、アナログで録音されている。表をA面と呼び裏をB面と呼ぶ。ビートルズストーンズの曲の配置をみると、明らかにアルバムのAB両面の最初と最後の計4曲に強力なナンバーを置く工夫がなされているのだが、CDの出現により半分は台無しになった。

 さらに、当時のイギリスではアルバムのA面とB面の曲数は同じにするという不文律があったらしい。これも昔のアルバムの構成をみると歴然としている。この堅苦しい習慣のせいでビートルズは困り、ファンは恩恵にあずかった。9曲録音した時点で、最後の1曲が決まらなかったのだ。先ほどの585分とは録音時間の総計であり、セッション自体は始まってもう12時間以上、経過していた。技師は帰宅の時間を気にしている。


 彼らはいったんスタジオの簡易食堂に移り、コーヒーとビスケットで会議を開いて最後の一曲を決めた。結論は何年も続いた彼らのアマチュア時代、セミプロ時代のステージで何百回も何千回も演奏されたに違いない「Twist and Shout」で行こうということになった。ジョンの声は枯れてきている。一発録りを狙うしかない。ジョン・レノンは上半身裸になってマイクの前に立った。

 「この第1テイクでジョンが歌ったものを、我々は今日でも耳にしているわけだ」と著者は語る。正確には、信じがたいど根性で第2テイクも取ろうとしたらしいが、ジョンの喉がもたなかった。この日のジョージ・マーチンは、「彼らはいったいどうなっているんだろう。1日じゅうレコーディングしているのに、やればやるほどよくなってくる」と語っていたそうだ。


 だからジョンが疲れていなかったら、もっとすごい出来栄えだったのではというのは意味のない想像ということになる。ジョンは特にその初期において、自作自演すると曲がちょっと可愛くなってしまう傾向があり、彼のアーシーな声はむしろカバー曲で十分に味わうことができる。特に「Twist and Shout」は、これ一曲聴いただけで、ジョン・レノンがロック史に残るヴォーカリストであることを実感できる。

 彼の歌唱のみならず、ポール・マッカートニージョージ・ハリスンのバッキング・コーラスも冴えわたっており、バンドのアンサンブルも申し分なし。練習なしでこれができるのだから、よほどライブで磨きこんできたのだ。この曲はしばしば彼らのライブ・ステージでオープニング・テーマに使われている。

 ちなみに、1966年の日本公演のオープニングは「Rock and Roll Music」。この曲の出来栄えも「オリジナルではない」という一点を除き、オリジナルをはるかに凌いでいる。


 録音した日の翌3月、彼らの最初のアルバムがリリースされた。A面の第一曲は同じ日に録音された「I Saw Her Standing There」。映画『レインマン」で、ダスティン・ホフマントム・クルーズが歌っていましたね。

 そしてB面の最後が「Twist and Shout」。ともに当然の選曲である。「60年代はロックの時代」の幕が開いたのだ。さすがのケンヂも、これをそのままパクるのは気が引けたらしい。録音日のジョンは22歳、ポールは20歳で、AKB48と同じ年ごろである。



(この稿おわり)






わが家の、てっせん (2013年4月26日撮影)

































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