おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

釣り (20世紀少年 第605回)

 第18集の13ページ、物語はオッチョやカンナから離れて、ケンヂと蝶野元巡査長のロード・ムービーに切り替わる。蝶野元巡査長とは、呼び名として長すぎるな。蝶野では可哀そうだし(「登場少年紹介」は蝶野と呼び捨てにしているが)、当面は将平君にしますか。

 二人は食糧の調達中である。川で釣りをしていなさる。なぜか二人とも立派な釣竿を持っており、釣った魚を入れるバケツのようなものも準備してある。ケンヂはスナフキンのように岩に腰かけて、あまりやる気が見られないが、将平君は靴を脱ぎズボンの裾を上げて川の中で奮闘中だ。

 
 どうやら東北地方の相応に大きな川の中流域のようである。狙いはニジマスかアユか。また釣れました、これは大物だと自慢している将平君の釣果をみると、どうやらアユのようである。本人いわく、非番の日にやることがないので釣りばかりしているうちに上達したらしい。銃の訓練なり武芸なり、警察官ならやることはたくさんあると思うのだが。

 将平君はケンヂに対して、何度も「ケンヂさん」と呼びかけているのだが、その都度はぐらかされてしまうので、ひょっとしてこの人は記憶喪失なのではないかと疑い始めている。いわゆる記憶喪失は、精神医学の専門用語でいうと解離性障害などと呼ばれる。自分が誰なのか分からなくなってしまう病気の総称らしい。行方不明になったり自殺に至ることもある危険な病気らしい。


 当のケンヂは、おまえまた釣れたのかなどと暢気である。さらに、珍しくご尊父の話題を持ち出している。かなり手厳しい評価であって、商売やる気があるんだか無いんだか分からないフラフラした親父であり、また、アズキ相場に手を出すようなろくでもない親父だと言っている。

 親父さんがアズキ相場に手を出して大損したのは、その後でまた損したのでない限り、ケンヂがまだお母ちゃんのお腹の中にいたときであった。姉ちゃんの大英断がなけれがケンヂはこの世に生まれてこなかったのだから、ろくでもないと言われても草葉の陰でお父ちゃんも反論できまい。

 
 ジャリ穴で釣りをしたとき、ケンヂは父ちゃんの釣竿を借用している。父上は「釣りとなると人間変わる」ほどの釣好きであったらしい。例えば家族旅行中に川から「スイカのような匂い」がすると、そういう場所には鮎がいると言って飛んで行ってしまう。広辞苑にもアユは「肉に香気がある」と書かれており、天然のアユはスイカやキュウリのような香りがするらしい。私は天然の鮎をタモで掬い上げるという快挙を成し遂げたことがあるが、匂いまで覚えていないな。

 さらに、ケンヂの回想は続き、5歳のときには釣りに夢中になった父ちゃんが一人で川に入り、一人取り残されたケンヂは岸でビービー泣いていたという悲しい思い出もあった。彼は姉ちゃんと一緒にいたときも2回、川に落ちているので、いわば水難の少年だったのだ。


 「それ以来、俺は釣りには向いてねえんだ」というのが本日、釣れなかった理由らしい。それに続く「どうしても釣りたい得物がいたんだ」というのは、ドンキーに非科学的と言われた伝説のライ魚のことで、それは数ページ後にケンヂ本人の口からも語られている。鮮明な昔話を聴かされて、将平君は記憶喪失ではなかったのか?と考え直し始めている。

 当のケンヂは腹が減ったのでお前が釣った魚を食おうという。河原で塩焼きにして二人で食っている。実に美味そうだ。やはり川魚は塩焼きに限る。ワカサギの天ぷらもウナギの蒲焼も美味いが、自分で釣ったアユやニジマスを河原でいただくなら塩を振るのだ。


 ときどき釣った魚の写真を載せてきたように釣りは好きですが、釣り道具を持つほどの趣味でもなく、ときどき釣り具屋さんで借りたり、漁師さんの船に乗せてもらって楽しむ程度だ。子供のころは、枯れ枝に母の刺繍糸を結んで、餌はスルメなどを使い、この程度の仕掛けでドジョウぐらいなら釣れる。

 ザリガニを釣るときは刺繍の糸では弱いので、凧上げに使う麻糸を流用する。貪欲な連中で、なま物なら何を餌にしてもハサミで捕まえに来るので、糸をはさんだタイミングで釣り上げる。スイカの匂いはしないが、ときどき腹に真っ赤な卵をたくさん抱えた雌を引き上げることがある。


 最初に釣竿を握ったのは、中学生のとき同級生に誘われて、鯨ヶ池という静岡の沼に釣りにいったときだが、釣れなくて飽きてしまい、竿を放置していたらコイかヘラブナに持って行かれた。釣り具屋のおじさんと一緒に舟で探したら竿だけ見つかった。このおじさんは約40年後に亡くなった。妹の夫の伯父上であったと、そのとき分かった。田舎は狭い。

 将平君は塩焼きを味わいながら、いまだに正体不明の相手がケンヂであることを確認しようとして、いろんな質問を浴びせている。その目的は果たせなかったが、21世紀に入ってからのケンヂの消息が、わずからがら読者にも明かされることになる。



(この稿おわり)





1966年ごろの私と妹。当時の実家前にて。車が時代を感じさせます。































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