おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

命のお礼、命の代償 (20世紀少年 第560回)

 第17週の123ページ目。オッチョから逃げようとした男は、文字どおり崖っぷちに追い込まれた。これ以上近づくとばら撒くぞ、あんたにも分け前をやると、男は切羽詰って商取引に出た。まだ息の荒いままのオッチョは、「金のために人を殺すのか」と声を絞り出すように糾弾した。

 ああそうだよと答える男の顔はどこか嬉しそうに見えるが、オッチョも男が続ける説明には声も出ない。男が言うには、彼の家族も全員殺されたのだという。みんなで万博の開幕式に行き、みんなにワクチンが届き、そこに強盗が現れて彼以外はみんな殺された。なぜ彼だけ生き延びたのか知らない。家族の仇を討ったならまだしも、強盗は「殺して行ったんだ」というからそうではなさそうだ。彼だけ留守だったのか?


 だから俺が殺して奪って何が悪いと咆哮しながら、なぜか男はワクチンを崖下に捨て始めている。これが諸悪の根源(正確には、これを配った奴だが)と気づいての行動か。「3歳ぐらいの女の子も殺したさ、俺の娘と同じくらいのな」と言いながら男は泣いている。オッチョの表情が微妙に揺れる。

 しかし、報いと償いのときは来た。男は足を滑らせ、かつてのフクベエのズルのように、仰向けの恰好で崖から落ち始める。オッチョはかろうじて、彼の左手首をとらえ、捕まれと言った。だが、男は右手を動かそうとはしなかった。そして最後の最後、どうやら男は正気に戻ったとみえる。


 あんたは命の恩人だと男は言った。「お礼にあんたが寝ている間に、ワクチン打っておいたよ」と聞いて、何だとと叫ぶオッチョの怒りがすさまじい。まあ確かに、「それはどうもありがとう」と言うような人ではないが、この状況でここまで激怒するとは。

 後にカンナも「こんなもの打たないから」と言っているが、オッチョも”ともだち”のワクチンの世話になぞなるものかと思っているのだろうか。この二人には弾丸が当たらないとチャイポンが不思議がっていたが、ウィルスも当らないのか。それはそれでそうかもしれないが、単にそういう理由だけではあるまい。二人には死を覚悟しないといけないほど厳しい仕事があるのだ。


 オッチョの握力も限界に近づいている。「なあ、この世界って、絶望だけだよな...」と言い遺して、男の手は命綱だったオッチョの手をすり抜けた。「ダイハード」第一作のテロリストの親分のように、男はオッチョを見つめながら暗闇の中を落ちていく。

 オッチョは息があるなら助けようとしたのだろう、崖下まで降りたが男はやはり死んでいた。「三歳ぐらいの女の子も殺して奪ったさ」という男の声がよみがえり、オッチョは亡骸のそばで慟哭した。その女の子のために。男の家族、少年の両親、静かな暮らしを営んでいたはずの村人たち、山内さんに死のワクチンが届くまで助け合っていた旅の道連れ、そしておそらく翔太くんも思ってオッチョは泣いた。


 幸い、ワクチンのセットが一つ、壊れずに落ちていた。夜が明けて、オッチョは少年の腕に、ワクチン接種の反応が出たのを確認している。そして、泣き出した子供に対して、「おじさんの師匠がこう言った」と師の教えを少年にも伝授している。絶望に打ち勝つ方法はない。ただ歩くだけだ。

 少年には近くに住む親せきがいたようだ。オッチョはそこまで一緒に歩いて見送り、手を振って別れて歩き出した。行く先は、しかし東京ではない。後にサナエに語ったように、彼はともだち歴の元年から3年まで本州中を歩き回った。さらに多くのゼツボウを見たことだろう。それを背負って東京に戻ってきたのだ。

 物語はしばらくの間、オッチョから離れる。そして、もう一人のスーパー・ヒーローがようやく戻ってくる。第17集のおもて表紙の絵には、こういうセリフが付されている。正義は死なないのだ。



(この項おわり)




釣りの風景  (2011年7月14日撮影)













































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