おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

エスタブリッシュメント (20世紀少年 第553回)

 昨日のブログを読み返してみて、重要な政策を並べた部分において、沖縄の基地問題が抜けているのに気が付いて驚きました。恥ずかしながら、うっかり忘れたのではなく、思い出さなかったのだ。沖縄には十回近く旅行に行っていて、釣りやビーチや料理で散々楽しませてもらっているのに、現地の方々に顔向けができない。

 新聞やネットで改めて調べてみても、米兵の悪さばかりが報道されているだけで、この選挙戦において日本を守るべき基地をどこに敷設するのかという問題がほとんど語られていない。政治家も何かを言うと誰かの票を失うからか。人のことは言えないが、目をつぶり口を閉じているのだろう。


 ジョン・レノンに「労働者階級の英雄」と訳された歌がある。「階級」は英語で「class」。今でもときどき話題になるが、どうやら大英帝国では、いまだに金持ちと労働者という二つの階層間の垣根が高いらしい。先日の大統領選挙では、アメリカさえ段々とこの元・本国に近い様相を呈しているようだ。中国の民衆デモは年間十数万から二十万件とか。

 それと比べれば本邦は、さすがに一億総中流とまではいかないまでも、あるいは格差の存在は否めないものの、それほどまでに上と下の両極端ではないと思ってきた。それがどうやら、そうでもないと思い始めたのは東日本大震災以降のことである。日本にも歴然と支配者層というものがある。あまりそういう言い方をされていないし、彼らの自覚そのものが低いから歴然としていないだけだ。


 確か欧州のどこかの国の諺に、「人間には二種類しかない。税金と取る方と取られる方だ」という意味のものがある。これは正しいと思う。「税金を取る方」というと、与党や財務官僚というイメージだが、支配者層という概念は勿論もっと広い。「税金を使うほう」や「直接その恩恵を受ける人たち」も含まれる。

 国や地方自治体のお役人、財界、学界、労組(これには反対意見も出そうだが、大手労組の構成員はほとんどが大企業の正社員である。今ではあまり使われないが、「労働貴族」と呼ぶ。現与党の大票田である)。そして報道機関。税金のかなりの部分は彼らの間を循環しているうちに、いつのまにか彼らの懐に入るようにできている。


 念のため、私は支配者階級が悪だと決めつけるつもりはない。これだけの人口と経済を抱える国には必要不可欠である。だが、出来具合が問題なのだ。支配するならするで、ちゃんと統治してもらわねば困る。他国と比べると、まだしも日本は支配者層と非支配者層の間の流動性は高いはずで、それが長年にわたる経済の発展や平和に貢献してきたのかもしれない。

 でも近ごろはどうだろう。官僚組織の機能不全が政治家とマスコミにたたかれ続けているが、同じ支配者層として、ちゃんと行政府に働いてもらわないと自分たちが困るからそう言っているに過ぎない。データは持っていないが、主要官庁の出世コースは東大卒ばかりと良く聞く。それが本当なら東大の入試は科挙だな。中国でさえ、とっくの昔に捨てたのに。


 支配者層の末端にいる人たちは日々の仕事が大変で、自分たちがそういう組織に属しているという自覚が薄いはずだ。私自身、二十代は銀行員で、三十代から四十代半ばまでは政府の外郭団体にいた。そこから外れた最近になってようやく気付いたのだが、それまでの私は支配者層の末席に連なっていたのである。

 こうした末端の構成員に至るまで、支配者層は原発とTPPに賛成であるはずだ。原発ムラが政治家や報道や他の学者から激しく非難されたが、たぶん東電の事故を起こしたのがけしからんといっているだけではない。

 支配者層の存在が、原発という象徴(攻撃目標)を得てしまい、私でさえはっきりと認識できるほどに、この事故をきっかけに浮彫になってしまったから怒っているのだろう。だからこそ、新政党の一部はシンボルとしての原発反対を声高に叫んでいる。弱みを握って仲間入りするには絶交の機会だから。


 大震災の発生以降、こうして私は政治家や官僚の言うことは勿論、新聞もテレビも信じられなくなってしまった。彼らが常に嘘をついているという意味ではない。だが、彼らは肝心なことを絶対に言わないような気がしてならない。一例を挙げれば、電力業界は最大の広告主であり、最大手の政治献金団体でもあるそうだ(ただし大震災以降はさすがに遠慮しているらしい)。彼らはお互い友達ではないが仲間なのだ。結束は固い。 

 仲間の作法をわきまえない新参者は、ホリエモンみたいに冷たく排除されることになる。新規参入そのものが難しいことは、至る所に実例がある。先ほどの科挙しかり、税制しかり。所得には課税されるが、金融資産には課税されない(利息にだけだ)。在職老齢年金は、高額所得者の年金を減額・支給停止する制度だが、資産家の年金を減らす制度はない。すでに金持ちになっている者には優しく、これから少しでも何とか金持ちになろうとしている者には厳しい。


 今どきの若者も、その親も、意識しているかどうかはともかくとして、このカラクリを体感しているからこそ、かつての私やオッチョと同様、一流校を目指し、大企業の正社員や公務員になろうとする。特殊能力がない人のジャパニーズ・ドリームは昔からこれが王道で、でも近ごろちょっと怪しくなっているのだが、まだまだ深く信仰されている。

 政治主導の謳い文句も、すっかり色あせた。支配者層間の役割分担を強引に変えようとして、お仲間からの反発を食らったのではないかと思う。このシステムは、日本経済が奇跡的に(高度経済成長時代は戦争もクーデターもなく、大災害も少なかった)元気だったころに発達したものだから、当時の社会経済には適したものだろう。

 だが、もうアンシャン・レジームになっている。ところが情けないことに、私には誰がルソーで何処に松陰がいるのかも分からない。投票日は迫っているのだが、このままでは白紙投票になってしまいかねない。それにまだ、原発の存続についての決断を先送りにしたままだ。次回はそれについて触れます。



(この項おわり)



久しぶりに歩いてみました。変わったなあ。 (2012年11月30日撮影)

















































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