第4巻の136ページで、帰国早々のオッチョがケンヂに会うために渋谷の横断歩道を歩いて渡ったとき、彼とすれ違った男は、信号が変わりそうなのに、ゆっくりとしか歩けない老婆を見かねて腕をとってあげた。
おかげで無事、渡りきったおばあさんは、「こんな世の中に、あなたみたいな優しい方が」と言って感謝している。男は訊かれもしないのに、友民党の者ですと言って、ますます相手を喜ばせている。「今は友民党だけが救いだわ」と彼女は言った。とんだ考え違いだったのだが、政党に救いがあると思えるだけ羨ましい世の中だ。
第15巻の第7話では、13番がこれから大事な用があるというのに、同じように横断歩道でおばあさんを助けている。この党のマニフェストには、横断歩道で高齢者を支援しますという条項も入っているのだろうか。ただし、13番の場合、すでに赤信号に切り替わったにも拘らず、狼狽する女性の手を引っ張って、クラクションの嵐の中を渡り出した。
その際に彼は、「人間が歩きたいように歩く。それが正しい世界だよね」と言って、相手をやや強引に納得させている。世界に正しいも正しくないもないと思うが、しかし、歩きたいように歩けるに越したことはないのは確かだ。ここ東京では、地方に行って比べてみるとよく分かるが、車の運転手にマナーの悪いのが実に多い。
この老婆の被害と同様、歩行者用信号が青でも、平気で右折車が相談歩道を横切って行く。停まった車も往々にして、じりじりと歩行者を圧迫しながら前に進んでくる。近くにある日暮里駅前の交差点では、歩行者用が青になったので歩き出してから、目の前を都バスが強引に走り抜けたという経験が2回あり、もう一回同じ目に遭ったら、石原さんちに文句を言うつもり。
第19巻に、若き日の長髪の殺人者が、ケンヂの「正義」の行いを目撃している。歩行者用の信号が点滅しているのに、まだ老婆が歩いているのに気付いたケンヂは、黙って横断歩道に立ち尽くして、運転手らの罵声を浴びながら彼女の横断が終わるまで待っていた。そして黙って立ち去っている。
私も一度だけ、これとそっくりの状況に身を置いたことがある。歩行器でゆっくり歩いている女性が、横断歩道の半ばあたりまで達したとき、もう信号は点滅していた。幸い待っている車が少なかったので、私は彼女に「車を停めますね」と声をかけて、運転手たちに腕を広げて合図をし、クラクションも罵声も浴びることなく彼女に付き添って歩き、かなり時間をかけて渡りきった。
相手が黙って立ち去ろうとするので、私は心のどこかで、感謝されるのを待っていたのだろう、「大丈夫でしたか?」と声をかけた。老婆は「大丈夫じゃないから、こんなもん使ってるんだよ」と荒っぽく言い捨てて、こちらの顔も見ずに去った。ケンヂを見習うべきであった。都会は本当に住みづらい。
無事に横断したあとで、13番は「ねえ、おばあちゃん」と声をかけて、「もう大丈夫だよ。もう苦しまなくて済むよ。」と言った。なぜなら「新しい世界が始まるんだ」そうだ。すばらしきこの世界とは、その新しいほうのことか? 「もう苦しまなくて済む」は、時に絶望した人の使う言葉ではなかろうか。13番は何を言わんとしているのだろう。
ともあれ、彼自身が「苦しまなくて済む」どころではなくなってしまうのだが、それはまだ先のこと。ちょうど同じころ、ローマ法王は新宿歌舞伎町教会に着いた。今日この日のために、仁谷神父は道路から教会への通路にカーペットを敷いてお待ちしている。神父はひざまづいて法王をお迎えした。
(この稿おわり)
上: カマキリの威嚇
下: マメコガネ (英語で俗に、Japanese Beetles)
(2012年8月9日撮影)
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