おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

これをおまえ一人で (20世紀少年 第433回)

 ラグビーで試合終了を意味する「ノー・サイド」(もはや敵味方に非ず)という用語が好きな人は少なくないと思う。勝負が終わったらもう仲間なのだ。昔から人口の割に日本は金メダルが少ないと言われ続けているが、多分こういう国民性と表裏一体であって、相手を叩きのめさないと気が済まないという感じで勝ちに徹しきるのが苦手なのかもしれない。

 私は勝者が敗者を称え、負けた方が勝った相手の次の試合を応援するという日本人の振舞は美徳だと信じているし、それだからこそ、女子サッカーで日本に負けたブラジルの監督が言い放った「日本は優勝候補に値しない」(理由は守備的だかららしい)という暴言は許せん。

 
 しかし、マスコミは勝利に浮かれてか、これを淡々と報じるのみだし、私の知る限り、JOCも抗議していないようだ。大人なのか? 私はそういう意味では大人ではないので、本当は罵声を浴びせたいが何とかこらえつつ、少しばかり言い返す。ブラジルは自らが優勝候補に値しないと認定するに至った相手に、サッカーの国際大会では完敗と言うべき「2−0」のスコアで、トーナメント初戦において敗退した。実に弱い。監督が無能だからであろう。

 これで終わっては後味が悪いので、もう一つ。ハンマー投げは男の力勝負である。子供のころから陸上ではこれが一番好きで、遠くに投げるだけと言う意味ではごく単純なスポーツであるが、テレビでずーっと観てきた。昔は室伏選手が強かったが、今も室伏選手が強い。親子二代、すごいもんだ。次のリオもいかがですか。


 さて。ヨシツネは出っ歯である。歳をとってからは口髭のおかげで目立たなくなったが、少年時代の絵では、はっきりと見て取れる。確か映画もそれを強調していた覚えがある。「20世紀少年」の少年時代のシーンには、ほかにも出っ歯の子が何人も出てくる。出っ歯や八重歯は珍しくなかったのだ。出っ歯は当時は、反っ歯とも言った。私は八重歯で、ずいぶんからかわれ、いじめられて嫌な思いをしたものだ。

 昔の日本人のイメージを描いた外国の戯画は、出っ歯でメガネで首からカメラを提げた旅行者というのが定番だった。現代では明らかに歯並びの悪い人は減った。かといって歯列矯正をしている人の姿も、減ったように思う。外科手術で矯正しているのか。八重歯を抜く人もいるらしいもんなー。「親からもらった体」も死語。


 映画「カサブランカ」で、ハンフリー・ボガートに「10年前は何をしていた?」と訊かれたイングリッド・バーグマンは、「歯にブリッジをしていたの」と色気のない返事をしている。歯列矯正のことですね。西洋では伝統的に、歯並びが悪いというのは容貌の問題を超えて、品格の問題であると聞いたことがある。最近では、肥満も同じ扱いを受けているみたい。

 今の日本に出っ歯や八重歯は少なくなったのは、奥歯の数が減ったのも一因かもしれない。昔は多くの人が親不知の痛みに苦しんだ。私も4本の親不知がほぼ同時に虫歯になり、渡米を控えていたため1週間で4本抜いたという実績を持つ。うち2本は、なかなか抜けなくて死ぬかと思った。


 すでに大半の日本の子には親不知が生えてこないという話を聞いたのは、もうずいぶん前のことである。最近では、その内側の第二臼歯さえ、生えない子までいるらしい。根菜やスジ肉などの固い食物をあまり噛まなくなった食生活の影響だろうか。体の使わない部分は、どんどん退化する。例えばギターをやめると、左手の指先はすぐに「ぷにゅぷにゅ」に戻る。

 なお、ヨシツネが出っ歯の役に選ばれたのは、本家本元の源義経が、同じく「むかばのことにさしいでて」(向歯とは、広辞苑によると、上あごの前歯のこと。出典は平家物語十一)という容貌であると平家に言われていた、という話からとられているのだと思う。義経は色白で体が小さく前歯がことさら「差し出て」いるから、見ればすぐわかると敵に嘲笑されていたらしい。


 蝉しぐれの草っぱらで、ヨシツネ隊長は少年時代の自分の作業に参加したくなったようだ。「おじさんも、手伝っていいかな」と控えめに訊くと、この基地の隊長さんは「いいけど、変なふうにいじらないでよ」と、ちょっと警戒している。これはもちろん嫌がっているのではない。もう仲間だからこそ言えるのだ。

 おじさんは、早くも腕まくりをしながら、「まかせとけ、こういうのは慣れているんだ」と威張った。ボウリング場に奪われた土地でも、この醤油工場跡地でも、2000年の廃線の地下鉄ホームでも、2014年のともだちランドのそばでも、羽田の再開発用地でも秘密基地とくればベテランなのだ。


 「へー、おじさんもつくったことあるんだ」と少年は感心した。「ああ、何度も何度もつくった。何度、壊されてもな」とおじさんは言って微笑んでいる。本人は忘れているようだが、泣きながら旗を立て続けたことだってあるのだ。

 経験豊富だから、講釈も多い。「秘密基地っていうのはな、まずは居住性が第一なんだ。外見が良くても、居心地悪けりゃダメだ」というのが彼の主張だが、はたして正しいか。秘密基地で一番大事なのは、それが基地とは分からないような外見と、その目的にそった機能であって、居住性の優先度は低いと思うのだが...。まあ、場数ではヨシツネに遠く及ばないので黙ろう。


 おじさんが、なかなか礼儀正しく「ちょっと中を失礼するぞ」と言うと、「いいよ」という現役隊長の許可が下りた。うん。充分、広い。重ねた漫画雑誌にトランジスタ・ラジオもある。草もほとんど抜いてあって、地面も平らにしてある。木漏れ日も程々の具合に上手く草が結ってある。居住性、問題なしだ。
 
 ほう、こりゃあ、たいしたもんだ、おまえ、一人でやったのかと訊かれて、ヨシツネ少年は「うん」と自慢げである。「これをおまえ一人で...」と感無量のおじさんだが、そのとき基地内に光があふれ、ヴァーチャル・アトラクションの操作室では、エンジニアの彼が「脱出...した」と驚いた。


 ステージに戻ったはずのヨシツネが身動きしないので、隊員たちは「大丈夫ですか」と不安そうだ。隣のコイズミも心配しているが、気が付けば隊長は震えている。「思い出したよ」とヨシツネは背中越しにコイズミに答えた。1971年の僕が、何をやっていたのか。「おまえ一人でよくがんばった」とヨシツネは言った。大人になっても頑張ってきたし、これからも頑張るだろう。

 いつの間にか闖入者のおじさんが消えたアトラクションの草原で、少年は基地再建の作業を続けている。ミンミンゼミの鳴き声が降り注ぐ。夏のセミの王者は、大雑把にいうと私の故郷の静岡以南ではクマゼミであるが、東京以北ではミンミンゼミである。棲み分けは、かなり明確になされている。今年、わが家の近所では8月1日に初蝉を聞いた。

 もしも浦沢画伯に一枚だけカラーで色紙を描いていただけるとしたら、私はこの第14巻206ページ最後のコマを選ぶ。緑に囲まれた秘密基地も間もなく完工だ。夏の青空と白い入道雲を見上げて、ヨシツネ少年は額の汗をぬぐっている。この先、いろいろあるけど、しっかりな。



(この稿おわり)




ブーゲンビリアの花咲く南の島へ(2012年7月11日撮影)




これはクマゼミです(同日)













































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