おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

夏のにおい (20世紀少年 第434回)

 私はボクシングも好きです。バンタム級清水聡選手は、オリンピックに出たくてプロの誘いを断ったという勇士だ。応援せずにおられようか。彼は2回戦で、あやうく負けそうになった。相手のアゼルバイジャンの選手が6回も膝をついたのに、レフリーは1回もダウンを取らず、判定は清水の敗け。今大会すっかりお馴染みになったが、日本が抗議して判定が覆り、清水は無事、準々決勝に進んだ。

 ここから先がひどい。毎日新聞によると、アゼルバイジャン政府が1千万ドル(8億円近く!)の賄賂を送っていたことがわかり、IOCはこのレフリーを追放処分にした。しかしBBC放送によると、賄賂を受け取ったのはレフリーだけではなく、連盟らしい。

 何がどうなっているのか知らないが、ともかくバンタム級を穢してはならない。私にとってバンタムとはファイティング原田であり、矢吹と対戦するために力石が降りてきた階級であり、薬師寺と辰吉が闘った戦場である。清水の勝利を祈ります。


 ところで、私がたびたび引用する「広辞苑」は立派な辞書だが、使いにくいという人もいる。その理由は一応筋が通っていて、この辞書は言葉の歴史を重視しているため、古くからある言葉において語義の変遷や追加がある場合、原則として、古い方から順番に並べるという方針である。このため、現在の意味を知りたいときに後ろの方を探さないといけないことがある。

 それはそれ、意外な発見もあるから愛用しています。例えば、「におい」【匂】という言葉を探すと、一部省略・修正するが、①赤などのあざやかな色が美しく映えること、②はなやかなこと、つやつやしいこと。③かおり、香気、④(臭と書く)くさいかおり。臭気。まだまだ続くが、①と②の出典例は万葉集とあるから、昔は嗅覚系ではなくて視覚系の言葉だったらしい。今でも、におい立つというような表現に残っています。


 バーチャル・アトラクションの中を走る第14巻207ページ目のカンナの、「ケンヂおじちゃんの子供のころの景色...夏のにおいがする...初めてなのに懐かしい...」という独白に出てくる「夏のかおり」は、上記の辞書的意味では③に該当するものであろう。当時の日本は④も満ち溢れていたのだが、この場面にはそぐわない。

 「あなたにとって夏のにおいは?」と問われたら、人はどんな返事をするのだろうか。私の場合は、このシーンの直前に2人のヨシツネがいたような草原や芝生が真夏の太陽に焼かれるにおいや、夕立や打ち水のあとで地面から立ち上る水蒸気と土埃の混じったにおいだな。万博には行かなかったけれど、セミ採りや野球ばかりしていた夏休み。


 これらの匂いは、今でも時たま経験する。そのたびに少年時代を思い出す。思うにわれわれの記憶は、主に見たり聞いたりしたこと、つまり視覚と聴覚で得た情報で出来上がっていて、人の姿かたち、声や会話の内容などは比較的、鮮明に覚えているのだが、臭覚や味覚は少し性質が違うように思う。

 例えば、昔のトマトはもっと美味しかったとか、昔の便所は臭かったとかいう記憶は確かにあるのだが、その記憶を言葉にしてみても、その美味しさや匂い自体が、そのまま舌先や鼻や脳の中で蘇ることはない。では、何も覚えていないかというとそうではなくて、同じような味のトマトを食べたり、この香水はあのときと同じだと感じたりしたとき、劇的にかつて同じ経験をしたことを思い出す。


 カンナは「初めてなのに懐かしい」と言っているが、これはどういうことだろう。実際は山形かどこかで体験したことがあるのかもしれない。あるいは、その直前のセリフに出てくるように、彼女は「ケンヂおじちゃんの子供の頃の景色」の中を走っているので、ケンヂへの想いを重ね合わせているのかもしれない。それとも、日が暮れてどこからかカレーのにおいがしてきたか...。

 ところが、彼女は別のステージに飛ばされたときの衝撃のためなのか、自分がなぜ走っているのか思い出せない。オペレーション・ルームでも、「この第4ステージで動いている光」がたぶんカンナだろうということくらいしか分からず、その移動が非常に速いため、「何となくそう思っただけ」のコイズミが、走っているのではと言っただけで、みんな心配になった。


 隊員たちは、何かから逃げているのでは、強制終了したほうが良いか等々、慌てている。ヨシツネ隊長も、いつまでも自分の少年時代の感懐にふけっている場合ではなくなった。4人してステージに横たわったままのカンナの身体を不安げに見守るばかりだ。しかし、結局、強制終了せずに済んだのは、カンナが走るのを止めて、光点の移動が停止したためだろう。

 カンナは「砂利の採掘場」のような場所にたどり着いた。そして、採掘跡らしき水のたまった大きな穴の傍らに、カンナにとって感覚的にはつい先ほど、夜の理科室の窓から外に飛び降りた少年、ドンキーが膝を抱えて座っているのを見た。自分はあの子を追いかけてきたのかといぶかりつつ、「ドンキー...」と声をかけた。


 ドンキーはちょっと機嫌が悪そうだ。「しつこいな、お姉ちゃんも...まだ、追いかけてきたのか。」と言って小石をもてあそんでいる。追跡されているのを知っていたのだ。それにしても、コイズミの報告によれば運動神経抜群のカンナを、これだけ引き離すとはドンキーの脚力、まさに恐るべし。

 前回のコイズミはヨシツネに「おばちゃん」と呼ばれて怒っているが、なぜかカンナは行く先々で「お姉ちゃん」だ。お姉ちゃんは少し戸惑い気味に、「今日、何年の何日?」という妙な質問をしてきた。ドンにキーは、そんなことを訊くために追いかけてきたのかと呆れているが、それでも「1971年の9月1日だよ」とちゃんと答えている。やはり、あの日の翌日だった。


(この稿おわり)



私は雲が好きである。世の中には「青空を思い浮かべて」と言われたとき、青い空だけ思い浮かべる人と、白い雲も一緒に思い浮かべる人がいるそうだ。私は断然、後者である。ちなみに、下段の写真は逆行で見づらいが夾竹桃の花です。
(2012年7月11日撮影)
 












































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