おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

続きの雑談  (第1123回)

 前回少し書きもらしたことがあるので、タイトルどおり、前回の続きの雑談です。千尋はきっと多摩川に落ちたのだと勝手な推測を述べた。私の多摩方面での暮らしは、けっこう長く、引越しも多い。

 千尋たちがアウディの後部座席に乗せていた紙らしきバッグに店名が書いてある「KINOKUNIYA」は、多摩にも店舗がある高級スーパーで、このブログにも以前、国立店に立ち寄ったことを書いた覚えがある。彼女は育ちが良さそうだ。


 もっとも両親は食い意地が張っているが、制作時にあの年齢とすると、両親は私の同世代である。そうなれば、「20世紀少年」たちと同時期に同じあたりに住んでいたことになり、食い意地の張り方も似ている。

 三鷹に住んでいたこともあります。井の頭公園のそばで、吉祥寺駅の反対側。休みの日に生まれたばかりの子を抱いて、ときどき公園に散歩にいったものだ。あのころの井の頭の池は汚かった。泥沼のようであった。


 さすがに関係者も見かねたようで、何年か前に浚渫工事をしている。そのときに自転車やら家電製品やらが池の底から少なからず出てきて、都民としてはみっともないニュースになった。最近行っていないが、池はおかげでだいぶ綺麗になったと、多摩に住む親戚から聞いている。

 1960年代から70年代にかけての公害は酷かった。今でいう環境問題や自然破壊に近いが、直接の被害者は住民で、公害病や薬害は深刻な健康被害をもらたし、少なからずの命を奪っている。

 私の場合は、かつて田舎の静岡県にある田子の浦のヘドロ被害がひどくて、近くを通るときは車や電車の窓を閉めないと、気を失いそうになる悪臭だった。いまはずいぶん改善しています。それなのに「昭和は良かった」などと安直に言う人が年上に多く、真空跳び膝蹴りでも喰らわせたくなることがある。


 「千と千尋の神隠し」の前半、リンとセンが大湯の当番に抜擢された初日、ヘドロの固まりのような神様が入浴にくる。従業員の見立ては見たとおりで「けがれ神」であったが、さすがは歴戦の温泉女将、湯婆婆はどうも様子が違うと判断し、センを脅迫して歓待することにした。

 釜爺がありったけの薬湯を送り出してくれる。これは、難事を予知したカオナシが、雨宿りのお礼ということでセンにくれた木札の御利益であった。釜爺は、てっきり風呂焚きだと勘違いしていたのだが、薬湯のブレンド係だったのですね。頭脳労働でもあるから、昔は贅沢品だった天丼を食っている。エビ天つき。


 穢れ神らしきヘドロの固まりは、いい湯に浸かって機嫌をなおし、来た甲斐があったというものだ。それだけでなく、センが「トゲのようなもの」を見つけて、リンと一緒に引っ張り出す。出てきたのは泥まみれの自転車を筆頭に、山ほどの生活ゴミ。

 センが縄を結わえたのは、滑り止めがついている自転車のハンドルだったな。井の頭公園を思い出したのは、このときです。湯婆婆によれば、穢れ神どころか、「名のある川の主」にちがいないのであった。竜となって空を駆け去る。川は綺麗になったのだ。


 主の湯遊びに巻き込まれたセンは、一瞬、川に落ちたときのことを思い出している様子であるが、我に帰れば、お騒がせの客が置いていった銭湯代は、肉団子のようなものであった。苦いらしい。

 のちに紙飛行機の戦闘機集団に襲われたハクは、この団子で元気を取り戻す。どうやら、竜に効く薬を、先輩が後輩に残していったらしい。それにしても、センの親切、湯婆婆の智恵、リンの機転と比べ、どうも男は影が薄いなあ。釜爺はよく働くが...。すべては愛の力じゃそうだが。




(おわり)




美濃国うすずみ温泉郷  (2017年7月22日撮影)








 やってやれないことはない
 やらずにできるはずがない

   平櫛田中 (彫刻家。うちの近所で働き、多摩で亡くなった。)



 There's nothing you can do that can't be done.
 
   似たような意味。 「愛こそはすべて」 ザ・ビートルズ





(ご参考: このすぐ近くに住んでいました。)

http://www.ghibli-museum.jp/







































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